第24話 ~通~


「よく我慢したわね、マリウス」

 いい子いい子とでもいう風にミュゼットに背中を撫でられる。

 窓から門を眺めていたマリウスは、今にも飛び出して行きたい気持ちを必死で堪えていたのだ。


「アーシャが今まで受けた痛みの分、殴ってやりたかったが」

「あんな男、殴る価値もないわ。貴方の大切な手を痛めるだけ。それに、殴るよりも辛い制裁を与えてやる予定よ」

「制裁?」

 アーシャが尋ねる。

「あの男、首都で違法な娼館を営業しているの。15歳以下の身寄りのない少女を娼婦にして、荒稼ぎしているわ。逃げられない様に暫く泳がせておいてから、摘発してやるわ」

 紫色の瞳を鋭く細めるミュゼット。

「……情けないな。こうして孤児院を開いても、僅かな子供達しか救うことが出来ていないんだから」

「貴方は十分立派だわ、マリウス。本来は国が取り組まなければならないことを個人でやっているんだもの」

 そう言うとミュゼットは、顔を歪める。

「情けないのは私の方よ。皇子だったら政治に関われたのに……皇女には何の権限もないもの。陛下や、ジョシュアお兄様方が何かを変えて下さるとは思えないし。いつになったらこの国は、良い未来へ向かうのかしら」


 アーシャは、感情が昂り固くなったミュゼットの手を取る。

「ミュゼット……ありがとう。貴女が皇女で、私はとても心強いわ」

 ミュゼットはアーシャの手を包み直すと言った。

「時間が掛かるかもしれないけど、弟のことも調べるからもう少し待っていてね。まあ、貴女とあの男が国外追放処分で済んでいるのに、幼い弟達が奴隷送りなんてあり得ないと思うけど」

 アーシャは、はっとする。

「そうよね……よく考えたらそうよね……私、何でそんなことに気付かなかったのかしら」

 あの男に植え付けられた恐怖心は、正常な判断が出来なくなる程大きいのだろう。

 だが、一旦和らいだアーシャの顔がさっと曇った。

 あの男のことだ。金の為に、息子達を平気で何処かへ売り飛ばした可能性もある。

 ミュゼットはアーシャを安心させる様に、頬を優しく撫でた。

「大丈夫、必ず救い出すから。あの男を拷問して吐かせれば手っ取り早いんだけど……本当のことを言うとは限らないしね」


 普段ふわふわした彼女からは考えられない発言だが、その目は至って本気だ。

「ミュゼットは怒ると怖いな」

 笑いながらミュゼットの頭をポンポンと叩くマリウスの目は、彼女に対する誇りで満ちている。

「……惜しいな。もしミュゼットが皇子だったら、ヘイル国はきっと素晴らしい国になっていただろうに」

 アーシャもマリウスのその言葉に、心から賛同していた。






 ミュゼットに追い返されたアーシャの父親は、あれ以来すこぶる機嫌が悪かった。

 日々売上が落ちていく中、競りにかける予定だった少女が数人逃げ、更に客足が遠退いたからだ。


 ……くそ!


 裏でぐいっと酒をあおる。

「旦那様……あの……」

「何だ!?」

 下男が恐る恐る口を開く。

「先程ニーナを競り落とした客が、主人を出せと言っていますが……」


 ……処女じゃないのがバレたか?

 ちゃんと演技しろと言ったのに!


 ガシャンと乱暴にグラスを置くと、下男を突き飛ばし、客の元へ向かう。

 ……身なりの良さから、恐らく相手は貴族だ。すうと息を吸い込むと、接客用の顔を作り部屋をノックする。


「失礼致します。何か御用でしょうか?」

 ベッドにはその貴族らしき客が足を組み座っている。服もシーツも乱れておらず、情事の形跡が全くない。

 客は蛇を思わせる様な、隙のない目でこちらを見て言う。

「……この娘、まだ12~3だろ。どんなに化粧を塗りたくっても乳臭いからすぐにバレるぜ」

 客は隅で震える少女に、小銭の入った袋をぶつける。

「用はない。とっとと出ていけ」

 少女は袋を拾うと、頭を下げ部屋を飛び出した。


「まああんな子供を好き好んで買う奴がいるから繁盛するんだろうな……違法店が増える訳だ」

「……何を仰りたいので?」

 焦りを隠す為、虚勢を張ってみる。

「ミュゼット皇女は既に此処を調べている。摘発されて処分を受けるのも時間の問題だぞ」


 動揺する男の顔を、客はまじまじと見る。

「お前……あの女に似ているな」

「……はい?」

「アーシャ・ミラーだよ。親戚か何かか?」

「…………」

 警戒し何も答えない男を、客はふっと嘲笑う。

「何やら複雑な事情がありそうだな。……どうだ、それを全部話すなら、この店を救ってやってもいいぜ」

 期待にがっと見開かれる鳶色とびいろの目に、客はとうとう声を上げて笑い出す。

「くくっ……必死だな」

「……からかってるんですか?」

「いいやその逆だよ。こっちも必死だからな。良いパートナーになれそうだと感動していたところさ」

「あんたは一体……」


「ランドルフ・ハミルトン。あの病院のマリウス院長を憎む者だ」






 あれから数週間、ゆっくり静養したアーシャは、食欲も戻り元の美しい薔薇色の頬を取り戻していた。


 夫人達の診察をそろそろ再開すると言い始めた彼女が、マリウスは心配でならなかった。

「無理はいけない。君は頑張り過ぎてしまうから」

「ありがとうございます。……でも、お陰様で体調も戻りましたし、お約束は守らなければ。私をお待ち頂いている方が沢山いらっしゃいますし」


 それにもうすぐカトリーヌ皇女の検診の約束も迫っていた。順調に体重は増えているだろうか。

 まさにそんなことを考えていた矢先──


 けたたましい蹄の音と共に、ジョシュア皇子の屋敷から早馬がやって来た。


 まさか、皇女に何かあったのだろうか!?


 飛び出すアーシャに、兵は息を切らせながら伝える。

「ジョシュア皇子殿下より、アーシャ・ミラー医師にご伝言です。今朝、ローズ妃殿下が出血され意識がないご状態である為、速やかに診察願いたいと……」


 ローズ妃? 出血……意識障害……


 アーシャとマリウスは顔を合わせる。

 互いの目には、不吉な予感が浮かんでいた。



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