第23話 ~包~


「……アーシャ?」

 自分の声が震えているのが分かる。


 車内に飛び込み、その身体を腕に抱く。やつれた頬に浮かぶ痛々しい腫れ。

 そのまま立ち上がると、彼女の身長からは想像出来ない軽さに絶句した。


「マリウス!アーシャ、帰って来たの?」

 笑顔で駆け寄ったミュゼットも、その異変に気付き顔を強張らせる。

「……治療をする」

 何かを堪えながらそう呟き、歩き出すマリウス。


 ミュゼットは頭を下げたままの兵へ向くと、厳しい声で尋ねた。

「……何があったの?」





 マリウスの手から放たれる、柔らかい緑の光が、腫れた頬を包む。


 一体誰がこんなことを……


 何者かに殴られたその形跡に、全身が怒りで煮えたぎる。


 痣と赤みが引いたことで、痩せた頬が露になり、またこれも痛々しい。

 診察の結果、他に外傷はないものの、過労と酷い栄養失調だった。こんな状態で魔力を使い、治療を行えたのが不思議な程に。

 ヒーリングの魔術を施し、穏やかな寝息を確認すると、暫く髪や頬を撫で続けた。


「マリウス……ちょっといい?」



 別室へ移動したマリウスとミュゼットは、深刻な顔で向かい合う。

「兵が言うには、その男にお金を渡していたそうよ。宿代が足りなくなって、質屋に入ったこともあるとか。アーシャは酷く怯えた様子だったらしいけど……何か心当たりない?」


 アーシャによく似た中年の男、怯え、暴力……


「父親か?」

「……え」

「アーシャは子供の頃から虐待を受けていたんだ」

「虐待……アーシャが、そんな」

「居場所を突き止めて、脅しているのかもしれない」

「一体何を脅すというの?」


 弟達が居ると言っていたな。あとは、彼女の過去か……


「マリウス……何かを知っているの?」

「……いや」

「お願い、教えて。アーシャを守りたいの」

「ミュゼット」

「アーシャに暴力を振るうなんて誰でも許せないけど、それが実の父親なら尚更許せないわ」

 怒りに激しく燃えるミュゼットの目。きっと自分も同じ目をしていることだろう。


「……君の胸に納めておいて欲しい」

 マリウスはミュゼットの手を取ると重い口を開いた。







『お姉ちゃん!助けてえ!』

『レイ!』


 父から逃げ惑う弟の前に塞がり、振り下ろされた拳を受け止める。

 崩れ落ち、起き上がれないでいると、目の前にもう一人の弟が。


『……助けて……』

『リュー!』


 泥だらけの服に汚れた顔。手は傷だらけだ。


『姉ちゃんのせいで、奴隷になったんだ』

『……ごめんなさい』


 助けようと手を伸ばすも届かない。

 いつの間にか父が目の前に立つ。


『全部お前のせいだ。お前のせいで滅茶苦茶だ』


 目を反らせば、愛したあの人が自分を見下ろしている。


『死んでくれ』


 氷の刃が自分を切り裂く。


 待って……最期に……会いたい……貴方に……会いたい




「……シャ、アーシャ!」


 翠色の瞳が自分を見下ろしている。

「大丈夫か?」

「……先生」

「ん?」

「先生なの?」

「そうだよ」

「私……死んでしまったの?」

「……生きてるよ」


 温かい手を頬に感じる。


「夢じゃないの?」

「夢じゃないよ」

「先生……」

「ん?」

「会いたかった……」

「…………」

「先生に会いたかった」


 綺麗な翠色が、ユラユラと潤む。

「俺も会いたかったよ……ずっと。 君に、ずっと会いたかった」

 ポタリ……ポタリと、熱いものがアーシャへ落ちる。


「おかえり、アーシャ」

「……ただいま、先生」






「アーシャ!お待たせ」

 ミュゼットが湯気の立つトレーを持って入ってくる。


「ご飯、一緒に食べましょう」

 アーシャを起こし、背にクッションを当てる。

「テレサが美味しいお粥を作ってくれたわ。あとね……じゃーん!」

 ミュゼットが皿にかかった布を得意気に取る。現れたのは、先日のクッキーをそのまま膨らませた様な、豚にしか見えないパン。

「……私?」

「そう!パンのアーシャも可愛いでしょ?」

 思わず顔が綻ぶ。

「可愛い……ミュゼットの、ずっと食べたかったの」

「ふふっ、今食べさせてあげるわ。胃がびっくりしちゃうから、少しずつね」


 出汁の効いたお粥と、柔らかいさつまいもペーストの入ったパンが、優しく胃に落ちる。

「すごいすごい!これだけ食べられたら上出来よ」

 半分以上残してしまったが、ミュゼットはにこにこと褒めてくれた。

 まるで子守唄の様に心地好い声。病院の子供達が、何故彼女の介助を好むのかがよく分かる。

 トレーを下げようと伸ばされたミュゼットの袖を、アーシャはつんと引っ張った。

「アーシャ?」


「ミュゼット……私、貴女が好き。もし、醜い本当の私を知って、貴女が私を嫌いになっても……私は貴女のことが大好き」

「アーシャ」

 ミュゼットはアーシャの細い背中を抱き締めた。

「私から見る貴女は、全部綺麗だわ。何もかも、全部含めて、大好きなアーシャだもの」

「ミュゼット……」

「貴女は私の親友で、私の妹よ」

「妹?」

「ええ」

 アーシャは少し身体を離し、ミュゼットをきょとんと見つめる。

「お姉さんじゃなくて?」

「いいえ、妹。可愛い妹だわ」

 微笑みながら、優しく撫でられる。


 そうね……そう言われたら、そんな気がしてきたわ。


 アーシャの痩せた頬に涙が流れた。






 翌朝、アーシャの部屋を訪れたマリウスは驚いた。

 鎮静作用のある薬を飲ませ、ヒーリングの魔術をかけたにも関わらず、起き上がり着替えを済ませていたからだ。


「おはようございます」

「アーシャ!」

 つかつかと近寄り、アーシャの肩を押さえて椅子に座らせる。

「まだ起き上がってはいけない」

「明日、診察の約束があるのです。移動に一日掛かりますので、今日出発しなくては」


 来週また父に会う約束をしている。

 稼がなくては……約束を破れば、此処へ来てしまう。


「それならもう断ったから心配しなくていい」

「え……」

「ミュゼットの兵が馬で断りに向かってくれた。急ぎではないので、体調が良くなったら来てくれればいいとの伝言を預かったよ。その後の約束も全て断りに向かっている」

「……駄目!」

 慌てて立ち上がり、ふらついたアーシャの身体を、咄嗟にマリウスが支えた。

「こんな身体で働ける訳ないだろう。医術を甘くみるんじゃない。万一誤診や医療ミスがあったら、患者にどう責任を取るつもりなんだ」

 マリウスは声を荒げる。こうでも言わないと、アーシャは此処を逃げ出してでも働き続けるだろう。

 怯えた顔で自分を見るアーシャ。

「稼がなくては……どうしても」


「その必要はないわ」

 朝食を手にしたミュゼットが、いつの間にか立っていた。トレーを置くと、静かに続ける。

「貴女を殴る父親になんか、一銭も払う必要ないの」

「ミュゼット……」

 全て知っているのかと、アーシャの顔が青ざめる。

「約束を破れば……此処へ来てしまう。もし子供達に何かしたら……皆に迷惑を掛けたら……」

「来ればいいじゃない。歓迎するわよ」

「そんな」

 ミュゼットは真剣な顔でアーシャを見つめる。


「アーシャ、私を誰だと思っているの?」

 にっこりと笑うその顔は、皇女の威厳に満ちていた。







 約束の日。一向に現れないアーシャに腹を立てた父親は、そのままマリウスの病院へ向かった。


 父親をコケにしやがって……!ボロボロにしてやる!!


 憤りながら病院へ着くも、門どころか周囲を兵がズラッと取り囲んでおり、入ることが出来ない。

「おい!アーシャを出せ!此処に居るのは分かっているんだ!」

 門の前で喚き散らしている所へ、ゆったりとミュゼットが近付いて行った。


「診療時間は終わりましたが、何か御用ですか?」

「アーシャを出せ!俺はアイツの父親だ!」

「アーシャ・ミラーでしたら確かにこちらの医師です。ただ彼女からは、父親は死んだと伺っておりますが」

「何だと?いいから出せ!出さねえと此処を滅茶苦茶にするぞ!」

「出来るものでしたらどうぞ」

 兵がザッと構える。

「……くそ!」

 父親は何かを思い付くと、ニヤニヤしながらミュゼットに向かって言った。

「……あんた、アイツの正体を知ってんのか?」

「何のことでしょう?」

「アイツは犯罪者だぞ。黒魔術で皇太子を殺して、サレジア国から追放されたんだ。……言いふらしてやろうか。そんな医師を雇っているなんて、此処の信用ガタ落ちだぞ」

「お好きにどうぞ。長年此処で信頼を得ているマリウス院長と、貴方みたいなゴロつきの言うことのどちらを信じるかしら。……その前に、私が今兵に命じて貴方を捕えたら、言いふらすことも出来なくなるけどね」

「何?」

「この兵達の紋章に気付かない?」

「……あ?」


 父親は、兵とミュゼットを交互に見ては、状況の悪さに気付き始めた。

「私はヘイル国第8皇女、ミュゼット・ブルゲールです。半分私の名義でもある此処で、これ以上騒ぎ立てるなら直ちに拘束します。また、アーシャ・ミラー医師に接近することを、今後一切禁止致します。もし彼女に害を与えた場合は処罰致しますので、そのおつもりで」


 皇女……

 青ざめた顔で後退る父親に、ミュゼットがとどめを刺す。


「貴方の顔……吐きそうな程醜いわ。アーシャとは全然違う」

 冷気がピシピシと金髪を逆立てる。

「二度と私達の前に現れないで」





 ミュゼットと何やら言い争い、慌てふためきながら立ち去る男。


 兵の異様な多さから、何かがあったのだと推測する。

 ……もしかしたら使えるかもしれない。


「おい、あの男を尾行して身元を調べろ。ミュゼットの兵に気付かれないように」

 ランドルフは物陰から私兵に命じた。

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