第22話 ~恐~
夫人の治療を終え屋敷を出た頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。
今から帰れば、また先日と同じで夜中になってしまう……
甦るマリウスの温もりに、自分の肩をギュッと抱く。
明日も午後から首都で診察の約束がある。今夜は宿に泊まり、直接向かおう。そう考え、馬車に向かった時だった。
「アーシャ」
周りの、全てのものが止まった気がした。
身体にピシッと冷たいものが走り、ガタガタと震えが込み上げる。
この悪魔の様な声は……
「よお、久しぶりだな。まさかこんな所で会えるとは思ってなかったぜ」
顔は笑っているものの、自分と同じその
……どうしよう。
頭が真っ白になる。上手く
アーシャは恐怖を逃す為、唇を強く噛み締める。
ミュゼットの兵がさっとアーシャの前に出ると、男は声を上げて笑った。
「お前……ヘイル国でもお偉いさんなのか?相変わらず何処でも上手くやっていくんだな。俺譲りのその顔に感謝しろよ」
唇から流れ込む血の味に、アーシャは我に返り兵に言った。
「……大丈夫です。知り合いですから。馬車で待っていて頂けますか?」
「しかし」
「お願いします」
アーシャは男へ近付くと言った。
「お話ならばあちらで」
馬車から離れた場所で男と向かい合う。まるで鏡を見ている様な、自分とよく似たその顔に吐き気がする。
「……皇子の婚約者になって、やっとこれから楽が出来ると思ったのによ。黒魔術なんか使って追放されやがって。お陰で俺がどんな目にあったか」
「…………」
「俺だけじゃないぜ。アイツらまで」
「あの子達は……?リューとレイは!?」
ずっと気がかりだった弟達。夢に出てきては、泣いてアーシャに助けを求めていた。
「……可哀想に。アイツらは売り飛ばされたよ。今頃何処かで、奴隷として働いているんじゃないか」
「そんな……嘘よ……嘘」
アーシャは目を見開き首を振る。
「全部お前のせいだ」
鋭い刃が貫く。
「お前が家族を滅茶苦茶にしたんだ」
心がバラバラに引き裂かれ、苦痛に襲われる。
「……まさか自分だけ逃げて、良い暮らしをしているとはな。こんな上等な服を着て、護衛まで雇いやがって。家族は散々な目に遭ったというのに」
「……ごめんなさい」
男はアーシャの手首を掴み、恐ろしい形相でギリギリと締める。
「誠意を見せろよ。誠意を」
アーシャは鞄から、受け取ったばかりの封筒を出すと男に渡す。
「……ふん」
手首を乱暴に振り払い、中の紙幣を数えると懐へしまう。
「一回の治療で随分稼げるんだな。流石侯爵家だぜ」
男は屋敷を見上げニヤつく。
「……おい、まだあるだろ。財布も出せ」
言われるままに財布を開くと、震える手で紙幣を掴み渡した。
「お願い、もう……」
「マリエンヌ小児病院」
アーシャの顔が一気に青ざめる。
「いつだって会いに行けるからな」
「お願い……病院にだけは来ないで……お願い」
「お前の態度次第だ。今後の診察予定を全部見せろ。また取り立てに行くからな」
メモをポケットにつっこむと、男は満足気に言った。
「じゃあな。次会う時までに、しっかりと慰謝料を稼いでおけよ」
男が去った後も、暫くその場から動かないアーシャに、兵が駆け寄る。
「アーシャ様、大丈夫ですか?」
「……言わないで。お願い、誰にも言わないで。私事だから、誰にも何にも関係ないから。迷惑は掛けないから。お願い……お願いします」
必死に懇願するアーシャに、兵は戸惑った。
閉店準備をしていた質屋にギリギリ滑り込み、持っていた服を金に替えると宿に入った。
部屋のドアを閉めると、まだ震えが止まらない身体を抱えて床に縮こまる。
ふと手首の痣に気付き、回復魔力をかけようとするも、動揺して上手く出来ない。
アーシャはそのまま気を失った。
アイツは生まれつき容姿に恵まれていた。
誰に似たのか頭も良い上に、突然回復魔力まで手にしやがって。
貧しい平民のくせに特待生で皇法学園に入り、更に親を見下す様になった。気に食わなかったが、運良く皇子の婚約者になり、皇室から多額の支度金を受け取った。
皇族の父親として、これで一生遊んで暮らせると思っていた矢先──
アイツは皇太子に黒魔術をかけた罪で国外追放となった。
何処かの養子にすると手厚く保護された息子達とは反対に、俺は鉱山に送られ、奴隷として働かせられることになった。朝から晩まで採掘する過酷な労働に嫌気が差し、命からがら脱走し隣のヘイル国へ渡った。
ヘイル国はサレジア国よりも暮らし安かった。一夫多妻制により、女の孤児が溢れていることに目をつけ、娼館を開いたら大当たり。
馬鹿な貴族達に、ゲーム感覚で処女を競り落とさせる。処女でなくても幼い少女達は高値で売れる為、暮らしに困ることはなくなった。
だが、俺のやり方を真似た競合店が増え、次第に売上が伸び悩んだ……
丁度そんな頃、アイツの居場所を知った。
なんとツイているのだろう。
やはり
死ぬまで、永久に、搾取し続けてやる。
アイツは俺の所有物なのだから。
父に再会したあの日から、また悪夢に魘される様になった。
空腹なのに食事が喉を通らなくなり、気力だけで診察を続けていた。
テレサさんの温かい料理が食べたい。
子供達とミュゼットの、甘くて優しいあのクッキーが食べたい。
帰りたい……だけど、帰るのが恐い。
あれからアーシャは診察の依頼を受け続け、病院には、マリウスの元へは一度も帰らなかった。
数日後──約束通り、再び現れた父親に金を渡す。
「……次回から送金するので、振込先を教えて頂けませんか?」
激しい音と共に視界が揺れ、地面に突っ伏す。後から伝わるくらりとした痛みに、殴られたのだと漸く気付いた。
「可愛い娘に会いに来た父親に、その言い方はねえだろ」
遠くから見守っていた兵が飛び出すと、チッと舌打ちをしながら離れる。
「会いに来てやるよ。どんなに逃げても、必ず探し出してやる」
机に置かれた郵便物の中に、求めている名が見当たらず、マリウスは今日も肩を落とす。
ジョシュア皇子の屋敷から、当分帰れないとの手紙が届いて以来、全くの音沙汰なしだ。
最後に会った時の痩せた彼女の顔を思い出す。
ちゃんと食事はとっているだろうか。無理はしていないだろうか……
郵便物をまとめ、テレサへ届けに行こうとしたその時、こちらへ近付く蹄の音に気付く。
はっと外へ飛び出すと、御者とミュゼットの兵が並ぶ馬車が停まった。
アーシャ!
思わず駆け出し、座席の窓から中を覗くも何も見えない。
「マリウス様……」
沈痛な面持ちで兵が開けた扉の先には、腫れ上がった顔で座席にぐったりと横たわるアーシャが居た。
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