第18話 ~光~


「お久しぶりですね。……思いきり地面に叩きつけられたあの日以来でしょうか」


 ランドルフはマリウスの背後へ視線を移し、目を見開いた。


「……これは!なんと美しい!本日はアーシャ嬢とお呼びしなければいけませんね。私の贈ったドレスを着て頂けなかったのは残念ですが」

「あら、それはもしかしてこれのことですか?」


 ミュゼットが深紅のドレスをこれ見よがしに広げながら現れる。

「ミュゼット皇女!」

「アーシャ宛に届いたんですけど、彼女のドレスは既に決まっておりましたので。送り返そうにも差出人が書いてなかったので、私が頂きました」

 ランドルフは一瞬ミュゼットを睨むも、すぐに笑顔を作り言った。

「皇女様に着て頂けたのであれば、大変光栄です。それにしても……アーシャ嬢の様な美しい女性に、こんな地味なドレスしか用意出来ないとは。男の沽券に関わりますね」

「あら、お分かりでないのね。この位落ち着いたドレスの方が、アーシャの華やかな魅力を引き立たせるんです。派手ならいいってもんじゃないわ」

 こめかみをピクピクさせるランドルフに溜飲が下がる。


「……今日は夫人は同伴していないのか?」

「ああ、第二夫人は見てくれが悪いから表には出さない。第一夫人は妊娠中です」

「そうか……それは知らなかった。おめでとう」

「めでたいかどうかは産まれてみるまで分からない。跡継ぎでなければ何の意味もありませんからね。そうだ、もし女だったら兄上の所で預かって下さい」

 ギロリと睨むマリウスに、ランドルフはヘラヘラと笑った。

「相変わらず冗談が通じませんね。たまには煩いガキ共のことは忘れて、酒でも飲んで寛いだらどうです?……ではまた」


 去っていくランドルフの後ろ姿に、怒りと軽蔑の眼差しを送る三人。

「本当に……女性と子供を何だと思っているのかしら!あんな男と結婚した夫人達が気の毒だわ」

 紫色の瞳を燃え上がらせるミュゼットに対し、アーシャは静かに呟いた。

「憐れな人なんだわ……きっと。恵まれ過ぎてて、恵まれていることに気付いていないの」

 マリウスはその言葉に含まれたアーシャの哀しみに気付き、両手で優しく彼女の手を包んだ。





 その後、パーティーは何事もなく穏やかに進んだ。マリウスとミュゼットが、立場の弱いアーシャを常に守る様に傍に居た為、誰かが近付いても上手くやりこなすことが出来た。


 中盤に差し掛かった頃、不意にジョシュア皇子がこちらへやって来た。

「楽しんでいるかい?」

「はい、お陰様で。お料理も美味しくてドレスがきつくなってしまいましたわ」

 にこやかに言うミュゼットに、ジョシュア皇子も笑いながら返す。

「それは良かった。ところで……アーシャ嬢、君に治療を頼みたい人が居るんだが。今から少し時間をくれないか?」




 やはり何事もなく終わる訳がなかった……

 皇子に先導されながら、豪奢な廊下を歩くアーシャとミュゼット。男子禁制だと言われ、仕方なくミュゼットだけ強引に付いてきたのだ。


 ヴィーナス像が彫刻された重厚な扉を開けると、奥の揺り椅子にガウンを羽織った女性が一人座っていた。皇子に気付き、椅子で体重を支えながらよろよろと立ち上がる。


「正妃のローズだ。ローズ、こちらはアーシャ・ミラー医師。ミュゼットの目を治した凄腕の持ち主だ」

 アーシャが礼をすると、ローズ妃はふっくら丸い顔に、優しい笑みを湛えながら言った。

「まあ、ようこそ。ミュゼット皇女にも、久しぶりにお目に掛かります。こんな格好で申し訳ありません」

「いいえ、お義姉様。どうぞお掛け下さい」

 ミュゼットの言葉に、ローズ妃は再びゆっくりと腰を下ろした。


「……ローズ妃はカトリーヌ皇女を産んでから体調が戻らず、こうして部屋に籠っている。この国には優秀な女医が少なく、何人かに診せたが原因が分からないんだ。そこで、是非君に診てもらいたい」


 確かにローズ妃の顔は青白く、身体に力が入っていない様に見える。

 そしてサレジア国と同様、此処ヘイル国でも、高貴な女性の身体は基本的に女医しか診てはいけない決まりになっているらしい。

「……承知致しました」


「申し訳ありません殿下。皇女の為に盛大な宴を開いて頂いただけでなく、私のことも色々と気に掛けて下さって」

 ローズ妃は今にも泣きそうな顔で、深々と頭を下げる。

「……何を言う。大切な妻と子を守るのは夫の役目だ。では、診察が終わるまで私は外に出ているよ」

 ジョシュア皇子は微笑みながら、部屋を後にした。



 アーシャはローズ妃に近付くと、そっと横に跪いた。

「妃殿下、御手に触れても構いませんか?」

「勿論です。よろしくお願いします」

 冷たく強張る手を取ると、まずはヒーリングの魔術を送りながらほぐしていく。

「……温かくてとても気持ちいいわ」

「このまま問診させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ええ」


 主な症状は、めまい、腹痛、倦怠感、そして長く続く悪露おろ

 腹部に手をかざし探ると、アーシャは一つの原因を突き止めた。


「子宮復古不全です。恐らく出産の際、残留物が子宮に残ってしまったことで、子宮の収縮が妨げられていると思われます。出血もそのせいです」

「……治るの?」

「個人差はありますが。まずは残留物を排出してから、子宮を収縮させてみます。今から施術を行いますので、ミュゼット様は少々席を外して頂けますか?」

「……分かったわ」

 ミュゼットはわくわくした顔で頷いた。



 下女が慌ただしく桶やタオルなどを用意してから約20分後──

 明らかに血色の良くなったローズ妃と、額の汗を拭うアーシャの姿があった。


「御気分はいかがですか?」

「素晴らしいわ……あんなにあちこち辛かったのが嘘の様」

「残留物は綺麗に出しました。子宮の収縮はまだ完全ではありませんが、後はお身体の自然な力に任せても大丈夫でしょう。貧血の治療も同時に行ったので、めまいも一時的には改善されていると思います。あとは引き続き安静に、お食事にも気を配って下さい」

「ありがとう……」

 涙ぐむローズ妃の手を、アーシャは優しく取る。


「……妃殿下、お身体の不調には、まだ原因があると思われます」

「え?」

「御心からきたす不調です。何か心配事や、お困りのことはございませんか?」

 ローズ妃は目を少し瞬かせると、曇った顔で答えた。

「……大したことではないの」

「お身体にとっては大事になる場合もございます。医師は秘密を守りますので、よろしければお聞かせ願えませんか?」

「……私と殿下は政略結婚なのです。義務的に結ばれたのに、殿下はいつも私に対し親切にして下さいます。その気持ちにお答えして、男児を産まなければならないのに……私は女児を産んでしまいました。殿下に申し訳なくて、顔向け出来ません」

 顔を覆うローズ妃。ここにもまた、不幸な結婚の犠牲者が居る、アーシャはそう思った。


「……何故、妃殿下が詫びるのですか?」

「え?」

「子供は夫婦が互いに授け合うものですよ。妃殿下のお身体が御子様の性別を選ぶ訳ではありません。それに、何故女児が蔑まれるのですか?」

「それは……当たり前です。この国では男性の方がまだ圧倒的に少ないですし、家を、国を動かすのは男性ですから」

「その男性は、女性が居なければこの世に存在しません」

 ローズ妃は、はっとする。

「妃殿下の様な思慮深い方がお育てになる皇女様であれば、きっとこの国を導く素晴らしい方にお成りでしょう。この国の女性の地位が高まるか更に低くなるかは、この国の女性……特に御身分の高い女性次第です」


 伏せられたアーシャの鳶色の瞳を、ローズ妃は凝視する。

「貴女の名前……もう一度教えて」

「アーシャ・ミラーです」

「……アーシャ、今日は本当にどうもありがとう。お礼は後日届けます」

「いえ、御気遣いは」

「仕事に見合った報酬を受け取るべきです。自立した女性の先駆けとして」

 先程までの儚さが嘘の様に、ローズ妃の目は強い光を宿していた。





 来た時と同じ様に、皇子の先導で広間へ戻って来た三人。

 アーシャの姿を見て、マリウスが飛んで来た。

「アーシャ!どうだった?」

「はい。無事に治療を終えました」

 はあと、大きな安堵の溜め息を吐く。

「マリウス医師……いや、彼女は実に素晴らしい医師だ」


「そうでしょう?だから殿下にご紹介したのです」


 いつの間にか、ランドルフが傍に立っていた。

 ジョシュア皇子はニヤリと笑うと、給仕からグラスを二つ受けとり、片方をランドルフに渡し、カチンと合わせた。

「妃に何かあっては困るからな。……今後の為にも」

「ええ。大切な宰相のご令嬢ですからね」

「貴族の娘は軟弱で困る。華もなく頭も弱いのだから、せめて子供くらいはしっかり産んでもらわないと」

「第一子とはいえ、皇女殿下にこのような盛大な宴を催されるとは尊敬致します」

「此処までしてやれば義父さいしょうの心証も良くなるだろう。ほら、あっちで機嫌良く酔っ払っているぞ」


 目の前で淡々と交わされる会話に、アーシャは耳を疑った。

 ……こんな男達の為に、女は命懸けで子供を産むのか。

 怒りで震える肩に、そっと手を置くマリウスの手も燃えるように熱い。

 一刻も早くこの場から立ち去りたかった。


 皇子はふと思い出した様に、アーシャへ話し掛ける。

「そうだ、君の医術をあの小さい病院に留めて置くのは勿体ない。今後はもっと世の役に立つ治療をするべきだ」

 その言葉に、ランドルフは心の中でほくそ笑む。



 ローズ妃の治療を行ったことで、アーシャの穏やかな生活は大きく変化しようとしていた。

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