第17話 ~温~


「……じゃあ、行こうか」


 離れて歩くぎこちない二人。ミュゼットはさっとその間に入ると、マリウスの背中をばしっと叩いた。


「ミュゼット!」

「子供みたいに照れないの!離れて歩いていたら、アーシャを守れないでしょう?」


 ……確かにそうだな。しかし、


 隣を見下ろすマリウスの翠色の瞳に映るのは、一人の美しい令嬢。

 茶に近い一見地味とも言えるそのドレスは、大きく開いた胸元が、アーシャの真っ白で均整の取れたデコルテラインをくっきりと浮かび上がらせている。

 形の良い張りのあるバストから下へ降りれば、片手で掴めてしまいそうな程細い腰のくびれ。

 更にその下には、恐らく魅惑的であろうヒップラインにベールをおろす様に、繊細なレースの飾りが幾重にも折り重なっている。


 ミュゼットの侍女により化粧を施された顔は、元々の華やかな造形に更に色香を放つ。

 薔薇色の頬と赤い唇は一層色味を強め、ゴールドブラウンのシャドーが鳶色の瞳を妖艶に映す。

 耳の下程の不揃いな短い茶色の髪は、頭の上から綺麗に編み込まれ、襟足を隠す様に、庭で摘んだ赤いラナンキュラスの花が咲く。氷の魔力で加工されている為、しおれることなく鮮やかだ。

 そして……サイドには、ミュゼットが贈った美しい髪飾り。純金に貴重なレッドダイヤモンドが放つその輝きは、アーシャの魅力に呼応しているかの様だ。



 隣を見上げるアーシャの鳶色の瞳に映るのは、一人の美しい貴公子。

 いつも顔を覆う金色の髪は、後ろの髪と一緒に、スッキリと一つにまとめられている。

 同じく金色の髭も綺麗に剃られ、現れたのは細面の柔らかい輪郭。

 金色の睫毛に縁取られた翠色の瞳は、顔の毛がなくなった為か、光を集めて際限なく輝いている。きめ細かい肌、細く高い鼻、ふっくらした色気のある唇。

 その顔のどこにもゴツゴツした線がなく、筋肉質な身体とは対照的にどちらかというと中性的な美貌である。


 太い首から下へ降りれば、アーシャのドレスと同系色の、仕立ての良い礼服に包まれた逞しい身体。彼の品の良さと、優雅な身のこなしを引き立て、思わずうっとりとさせる。



 ミュゼットはアーシャの手を取ると、マリウスの腕にひょいと掛ける。


 あ…………


 二人は思う。この温もりは、確かに互いのものだ。どんなに見た目が変わっても、揺るぎない温もり。

 緊張がほどけ、柔らかくなった顔で再び見つめ合う。


 そんな様子を見て満足気に笑うと、ミュゼットはスタスタ前を歩き、「私はこっち、二人はあっちね!」と叫びながら、馬車に乗り込み扉を閉めてしまった。

 ミュゼットが指差した方には、少し大きめの馬車が扉を開け、待ち構える様に停車している。

 アーシャは彼の腕に、そっともう片方の手を添えると言った。

「……乗りましょうか」





 馬車の中、向かいに座るマリウスが不意に口を開く。

「……嫌じゃないか?」

 アーシャは首を傾げる。

「俺の顔……一緒に居て恥ずかしくないか?」


 そういえば……マリウスの顔には、額から鼻根びこん、頬にかけて、斜めに火傷の痕がある。

 美しさに心を奪われ、彼に問われるまで全然気にならなかった……というより、目にも入っていなかった。


「いえ。やはり先生は、キヤの言う通り王子様なのだと思いました。呼び方を変えねばいけませんね」

「呼び方?」

「はい。熊先生でなく、王子先生でしょうか」

「王子先生か……何だか落ち着かないな。毛がない時も熊でいいよ」

 ふふっと笑い合う二人。


 ほどけた空気の中、アーシャは思い切って、ずっと心にあった考えをぶつけてみる。

「あの……もしよろしければ、火傷を治療させて頂きましょうか?」

 年月は経っているものの、この程度ならキヤの背中の様にきっと綺麗に消せるだろう。だが、マリウスの答えは予想していた通りだった。

「……いや、いいんだ。これは自分への戒めだから。ありがとう」


 彼の回復魔力は、アーシャの様に難しい内部疾患は治療出来ないが、外傷の治療においては充分な威力を持つ。

 子供の頃自分ですぐに治療していれば、この火傷痕は残らなかっただろう。それを敢えて残したのは、やはり罪の意識からだったのだ。


 では自分はどうだろう……

 彼の様に戒めとなる傷もなく、素顔のまま、あんなに居心地の良い場所に居続けたら……段々と、大罪人である意識が薄れてしまうのではないだろうか。

 普通の人の様に、何かを求めてしまうのではないだろうか。

 アーシャはそれが怖かった。


「アーシャ」

 いつの間にか、震える自分の手をマリウスが握っていた。

「大丈夫、ずっと傍に居るから」

 それはこれから向かうパーティーのことか……もしくは今後の人生のことなのか。

 後者を願う自分に気付き、アーシャは再び恐怖に震えた。






 ジョシュア皇子の屋敷は首都の外れにあった。

 無機質な宮殿と比べ……一見こちらが宮殿と見間違えそうな程、贅を凝らした派手な外観である。


 マリウスの腕に手を掛け、こくりと頷き合うと、ミュゼットに続いて中へ入る。

 広間では、ジョシュア皇子が招待客一人一人と笑顔で歓迎の挨拶をしていた。ランドルフと友人であることを疑いそうな程、人当たりの良さそうな青年……

 アーシャは事前にミュゼットから聞いていた情報を思い出していた。



『ジョシュア殿下はどの様な方ですか?ランドルフ様のご友人であることは伺いましたが』

『お兄様は、一言でいえば大変な野心家よ。実はお兄様は長男で本来第一皇子なんだけど、母君である第3側室様の御身分が低い為に、皇太子の座には就けず第2皇子と呼ばれる様になったの。ほら……前に宮殿で擦れ違った、第6皇女様を覚えている?あの方と同じ母君様』

『……皇室への恨みをお持ちでしょうか』

『多かれ少なかれあるでしょうね。そして政治的主導権を握りたいとお考えだと思うわ。実際皇太子殿下もジョシュア殿下を頼っていらっしゃるし。……人心を掌握するのが得意な方だから、気を付けてね』



 天井に輝く豪華なシャンデリア。柱に刻まれた彫刻。壁には有名画家の絵画がズラリと飾られている。どれも皇子の自己顕示欲の表れなのだろうか。

 考えている内に、自分達の番が来た。


 皇子の前でマリウスと共に、ヘイル国の正式な礼をする。

「マリウス・ハミルトン医師!よく来てくれた。我が国の小さな宝の為に、日々高度な医術を捧げてくれていることに感謝する。今日はゆっくり楽しんで行ってくれ」

「至極光栄に存じます」

「で、そちらが……噂の女医か?」

 皇子は微笑みながら、アーシャへ視線を移す。

「アーシャ・ミラーと申します。マリウス医師の元で助手を務めております。本日はこのようなおめでたい場にお招き下さり、感謝申し上げます」

「よく来てくれたね。ランドルフから話を聞いていて、是非会いたかったんだ。いや……本当にミュゼットの目が治っていて驚いたよ。後でまた色々と話を聞かせて欲しい」

「……はい」


 思っていたより呆気なく挨拶が済み、二人は一先ずほっとする。だが……


「兄上」


 聞き覚えのある声に一気に緊張が走る。

 振り返ると、そこにはランドルフがねっとりした笑みを浮かべながら立っていた。

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