第16話 ~想~
次の日も休んだマリウスはすっかり回復し、起き上がると、テレサが用意した新しいシャツに袖を通した。
ベッドのサイドテーブルに並ぶのは、子供達が作ったどんぐりの動物達。
鼠やうさぎ、その中で一際目立つ熊の人形を見て微笑む。丸いどんぐりに
『ははっ、よく出来てるな。これはもしかして俺か?』
『はい。私が作ったんです』
マリウスは子供達の動物を診察室の机に飾ると、アーシャの熊だけ手元に残す。それに器用に穴を開け紐を通すと、シャツの胸ポケットにピンで止めた。
互いの過去を知った今も、変わらず息の合った仕事をこなす二人。
「この間休んでから、マリウスは何だか明るくなった気がするわ。アーシャ、貴女も」
ミュゼットの言葉に二人は考える。抱えていた重荷を背負い合ったことで、心が楽になったのだろうか……
どんなに子供達を救っても、犯した罪が消える訳ではない。
だが、こうして、誰かの為だけに生きていければいい。
穏やかに、ただ穏やかに……
そんな二人の想いを嘲笑う様に、確かな悪意が忍び寄っていた。
数日後、封を開けた一通の手紙に、頭を抱えるマリウス。机にバサッと投げ捨てる様に置くと、ミュゼットを呼んだ。
「お兄様から……?」
「ああ。しかもアーシャを同伴させる様にと」
それはミュゼットの異母兄である、第2皇子ジョシュア殿下から届いた、第一子誕生の祝賀パーティーの招待状。皇族の招待は、実質“命令”と同様である。
「何故お兄様がアーシャのことを」
ミュゼットは、はっとする。
「……ランドルフ?」
ジョシュア皇子とランドルフは学生時代の友人であり、また共同事業を行っていることからも懇意にしている。
「……何を企んでいるのか」
「私も行くわ。皇女が付いていれば、そうおかしなことは出来ない筈よ」
「頼む……悪いな、ミュゼット」
「いいえ、大切な従兄と親友の為だもの」
にこりと笑う紫の瞳には、凛とした皇女の威厳が表れていた。
翌日、タイミングを見計らった様にアーシャ宛に届いたのは、差出人不明の大きな箱。慎重に開けると、中には女性物のドレスや靴、装飾品などが入っている。
添えられていたメッセージカードを一読すると、マリウスはぐしゃりと握り潰す。
『パーティーで、これを着た貴女にお会いするのを楽しみにしています。
──先日貴女を抱き締めた男より』
「お返ししたいのですが、どうしたら良いでしょう?」
淡々と言うアーシャとは反対に、不機嫌に腕を組むマリウス。
そんな二人の存在もすっかり忘れ、ミュゼットはドレスを触りながらため息を吐く。
「綺麗……これ、サレジア国の金糸で刺繍されているわ。皇室でもまだなかなか手に入らない貴重な糸よ」
深紅のシルクの生地に、その貴重な金糸とやらがふんだんに散りばめられている。その
「目を治してもらって良かった……こんなに綺麗な物を見られるなんて」
マリウスはうっとりするミュゼットの手を退けると、さっと箱を閉じる。
「……皇子殿下のパーティーには同行させて頂きます。先生にはご迷惑をお掛けしたくないので。ですが、ドレスは自分で用意致します。まだミュゼット様に頂いたお金も残っておりますし、自分で装飾も出来ますから」
「巻き込んでしまったのに、君に負担は掛けられないよ」
「そうよ、私が用意するわ。どうしても新しい物が嫌なら、私のを手直しすれば……」
そのやり取りを近くで聞いていたテレサは、何かを思い付き、笑顔で手をポンと叩いた。
「ドレス!そう、ドレスならとっておきの物がございますよ」
テレサがいそいそと持ってきたのは、少し古びた箱。中から取り出したのは、一着の赤いドレスだった。ランドルフが贈った物に比べると、茶に近い落ち着いた赤。レース飾りが美しく生地も良い物だが、先程の金糸に比べると数段見劣りがする。
「いかがですか?」
アーシャはテレサが掲げるドレスに近付き、まじまじと見てから呟いた。
「……美しいわ、とても」
テレサは丸い顔に、ぱっと笑顔を広げる。
「そうでございましょう!?アーシャ先生でしたら、きっとお気に召して頂けると思いました!」
そして、目にみるみる涙を浮かべると下を向いた。
「……テレサ、そのドレスはもしかして」
「はい、マリエ様……マリウス坊っちゃまの母君様の物です。旦那様とのご結婚の際にお召しになりました」
「結婚式なのにこの色を?」
不思議そうに問うミュゼットに、テレサは涙を拭いながら答える。
「旦那様が純白のドレスを用意されると仰ったのですが、マリエ様が断られたのです。その色は第一夫人様のものだからと」
その場がしんとなる。
テレサはこれを託された時のことを思い出していた。
『テレサ、私の代わりに、これを大事に持っていて欲しい』
『旦那様……』
『私のせいでマリエを不幸にし、挙げ句には命を奪ってしまった。この色を選んだ時の彼女の気持ちを思うと私は……』
『旦那様、マリエ様は貴方様と一緒になられたことを、後悔などされていらっしゃらないと思います。マリウス様という宝物を手に入れられましたし……それに、とても芯の強い方でしたから』
『そうか……そうだと良いな。マリウスには、生涯愛する一人だけと人生を共にして欲しい。もし、いつかそんな女性が現れたら、君の手でこれを渡してくれないか?』
一夫多妻制は残酷だ。その場に居る誰もが思う。裕福な家庭では男女間の
男児を増やす……ただそれだけの目的がもたらした悲しい結末が、この国には沢山あるのだ。
「でも……見て下さい、ほら」
テレサがドレスをひっくり返すと、純白の裏地が見えた。
「仕立てられる時に、旦那様が命じられたんですよ。これだけは譲れないと仰って。旦那様はマリエ様を本当に愛していらっしゃいましたから」
……ああ、確かに父は母を愛していた。だが、その息子である自分のことは、屋敷から追い出し、戻って来ても見向きもしなかった。
清らかな純白から目を逸らすマリウスに、アーシャは気付いた。
「……お気持ちは嬉しいですが、その様な特別なドレスに私が袖を通す訳にはまいりません」
「いいえ!私にはこのドレスが誰にも着てもらえずに、泣いている様に思えるのです。それに……ほら」
あてられた長いドレスの丈は、アーシャにピッタリだった。
「やっぱり!マリエ様も背の高い方でしたので。これはもうアーシャ先生しかお似合いになる方はいらっしゃいませんわ!もしお気に召して頂いたのでしたら……可哀想なドレスを助けると思って、ね?」
──パーティー当日、支度を終え出てきた互いの姿は、初めて会う人の様であった。
視線を交わしたまま暫く固まるアーシャとマリウス。
そこに、お待たせ!と楽しそうにやって来たミュゼットの姿に、二人は更に驚いた。
「ミュゼット……それは」
彼女が着ているのは、ランドルフが贈りつけてきた、あの深紅に金糸のドレス。
「何でそんな物を着ているんだ」
「だってドレスに罪はないし、こんなに綺麗なんだもの。サイズを直したら着られたわ」
くるくると回って見せる。
「差出人の名前がないんだから返せないし、別に着たっていいと思わない?それに……彼の反応も見てみたいしね」
くくっと悪戯をする子供の様に笑うミュゼット。
彼女の逞しさに、アーシャとマリウスも目を合わせて笑った。
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