第14話 ~罪~
タオルを持った手をそのままに目を離せないでいると、金色の睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開いた。
現れたのは涙を湛えた美しい翠色の瞳。
綺麗……なんて綺麗なの。
それは数回瞬くと、アーシャへ視線を移した。
「……今日はよく君の顔が見えるな。あ……」
髪の毛が分けられていることに気付くと、火傷の痕に触りながら言う。
「驚いたか?醜いものを見せてしまったな」
「いえ……それよりも、瞳があまりにも綺麗だったので、見惚れてしまいました」
アーシャは手を伸ばし、濡れたマリウスの頬を優しく拭いていく。
「……キヤが教えてくれた通りでした。熊先生は、本当は王子様なのよって」
「キヤがそんなことを?」
「はい」
「子供の目は不思議だな……こんな傷があるのに、王子様に見えるなんて」
「私にもそう見えますよ」
アーシャの言葉に微笑むマリウスは、どこか哀しく映った。
そっと身体を起こすマリウス。髪の毛がはらりと落ちて瞳を覆い、いつもの彼の顔へと戻った。
アーシャはマリウスの背にクッションを当てると、水を差し出す。それを一気に飲み干すと、空のコップを両手で握りながら、重い口を開いた。
「……私の母は、父の主治医でね。父に見初められて第二夫人になったんだ」
アーシャははっとし、枕元の椅子に腰を下ろして耳を傾ける。
「父の寵愛を受け先に息子を産んだ母は、第一夫人から妬まれ目の敵にされた。父の居ない所で叱咤したり、罵ったり……酷い時には暴力も。だが、母は決してそれを父には言わずに耐えていた。
母が第二子を身籠った時、第一夫人の嫉妬は更に激しくなった。そんなある日……母は階段から足を滑らせて、そのままお腹の子と共に亡くなった。不運な事故……表向きはね」
アーシャの背に、冷たいものが走る。
「俺は聞いてしまったんだ……第一夫人と侍女の話を」
『ありがとう。思い切り突き落としてくれて』
『いえ……これ以上奥さまを害する者は排除しなくては』
『死んでくれて良かった。中途半端に助かっていたら、今度こそ余計なことを旦那様に喋ってしまったかもしれないもの』
「父は、母に似た俺を見るのが辛かったのだろう。俺を屋敷から出し、母の侍女だったテレサと共に、別荘として使っていた屋敷に移した。
その直後だった……第一夫人が懐妊しているという知らせを受けたのは」
マリウスの手に力がこもり、コップがミシミシと音を立てる。
「母とお腹の兄弟、二人の命を奪ったくせに、あの女は平然と新しい命を産み落としたんだ。……それが、あのランドルフだ。
俺を屋敷から追い出した父を恨んだこともあったが、この時ばかりは感謝したよ。赤ん坊を抱くあの女の顔を見なくて済んだからな」
哀しいマリウスの声に、アーシャの胸が締め付けられる。
彼の手からコップを受けとると、震える手を包んだ。
「俺が10歳、ランドルフが5歳になった時、近くに住む皇族の葬儀があってね。それに参列する為、あの親子三人が俺の屋敷に滞在することになったんだ。
久し振りに見た第一夫人は、何事もなかったかの様に、堂々とランドルフの手を引いて俺の前に現れたよ。その時の感情は、今でも忘れることが出来ない。
……その夜のことだった。火事が起こり、屋敷が全焼したんだ。その日は空気が乾燥していたせいか、火の回りが早く、着の身着のままで皆何とか逃げ出した。……あの女以外は」
マリウスの手の震えが激しくなる。
「誰かの叫び声が聞こえ……止めるテレサを振り払いそちらへ行ったら、あの女が家具の下敷きになっていた。何とか家具は退かしたが、両足の骨が折れていて動かせない」
『早く……早く治しなさいよ!あんた、あの女と同じで回復魔力を使えるんでしょう!?早く!』
「その時俺はふと我に返ったんだ。何でこんな女を助けようとしていたのだろうと。俺は女を見捨てて立ち去ろうとした。振り返ったら……ランドルフが居たんだよ」
『……なんで?母上を助けて!助けてよ!』
「泣きわめくランドルフが、母を亡くした自分に重なって……どうすべきか葛藤している内に更に火の手が強くなった。その後のことはよく覚えていない……気付けばベッドの上だった」
マリウスは再び髪の毛を上げる。
「この火傷は、その時に負ったらしい。ランドルフと自分は助けられたが、あの女はそのまま死んだと聞かされた」
髪の毛を下ろすと両手で顔を覆い、肩を大きく震わせ始める。
「あの時足を治していたら、きっとあの女は逃げられた。……人殺しなんだよ……俺は」
見ていられずに、背中に手を添えるアーシャ。
その温もりに、マリウスは顔を覆う手を力なく落とすと、再び口を開き始める。
「その後、俺は元の屋敷に戻されランドルフと共に育てられることになった。顔を会わせる度に、母親を見殺しにしたと罵られながらね。……毎日自分を責め、死んでしまいたいと、そればかり考えていた。
そんな時、叔母上……皇帝陛下の第4側室様から宮殿に呼ばれ、会ったのがまだ2歳のミュゼットだ。目が不自由なのに、にこにこ笑いながらこちらへ向かって歩いて来て……小さな手で頭を撫でてくれた。俺は生きて医師になり、この子を一生支えようと決意したんだ。
成人すると、ランドルフに家督を譲り俺は家を出た。
この病院と孤児院を開いたのは、善意なんかじゃない。過去の贖罪なんだよ」
「贖罪……」
「怖くて、ミュゼットには本当のことを言っていないんだ。ランドルフが俺を恨むのには正当な理由があるのに、一方的な逆恨みだと思っている。人殺しだと……知られたくないんだ。彼女には、絶対。
彼女だけじゃない。テレサにも、誰にも話したくなかったのに……何故君には話してしまったんだろう」
アーシャはマリウスの手を握ると静かに呟いた。
「……同じだからじゃないですか?」
「え?」
「私も人殺しだからです」
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