第13話 ~痕~


「……マリウス先生でしたら、今外来の診察中ですのでお会い出来ません」


 パキリ

 落ちたどんぐりが、ランドルフに踏まれ、粉々に砕けた。

「いや……兄ではなく、あんたに用があって来たんだ」

 ニヤリと顔を歪ませる。


「アーシャ先生!見て、ポッケにいっぱい」

 子供はランドルフに気付くと、アーシャのスカートの後ろにさっと隠れ、しがみつく。

「へえ……アーシャ。アーシャって言うのか、あんた」

「先生、どうしたの?」

 他の子供達も続々と集まってくる。

「……アーシャ先生と大人の話があるんだ。子供はあっちに行け」

 スカートを握る小さな手がビクッと怯える。アーシャはランドルフを睨むと、子供達を安心させる様、微笑みながら言った。

「少しこの人とお話があるの。先に戻っていてくれる?後で玩具を作りましょうね」

「……はい。行こう」

 大きい子は小さい子を守る様に手を繋ぎながら、建物へ入って行った。


 子供達の姿が見えなくなるのを確認すると、アーシャは再びランドルフを睨む。

「幼い子供を怯えさせる様な発言は慎んで下さい」

「これは失礼。子供の扱いには慣れていないもので」

 態とらしく眉を下げる。


「ところで……」

 アーシャの手首を掴み自分へ引き寄せると、ランドルフは耳元に囁いた。

「あんただろう?ミュゼットの目を治した医師は」

 アーシャは手首を振り払い、数歩離れてから答える。

「何のことでしょう?」

「宮殿から医師が出て行ったのと同時期に、この病院に新しい医師が来たんだ。どちらも桁外れの魔力を持った女医。……あんたしかいないだろう」


 この男に何も探られてはいけない。直感的にそう感じたアーシャは、平静を装い蛇の様な目を見据えた。

「私はこの病院に雇われている、ただの医師です。貴方が期待されている様な面白いことは何もありません」

「へえ……それは残念。それにしてもあんた、本当にいい女だな。短い髪とみすぼらしい格好でもその美貌だ。着飾らせたら、家の女達がくずみたいに見えるだろう」


 突如ランドルフは、アーシャの細い腰をぐいと引き寄せた。鳶色の瞳に浮かんだ怯えに気付くと、卑猥な笑みを浮かべ、更にぐっと身体が密着する様に力を込める。

「あんた……そそられるな。こんな派手な顔して、男を知らないなんて。マリウスはよく手を出さずにいられるな」

 強い力と恐怖で身体が動かない。腰をつうっと撫でるランドルフの指に、ゾワリと悪寒が走る。

「抱き心地も良さそうだな……張りがあるのにくびれ」



 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 自分に絡みついていた身体は宙を飛び、地面に叩きつけられ呻いた。

「ぐうっ」


 はあはあと息を切らしてランドルフへ近付き、胸ぐらを掴むマリウス。

「医師のくせに……暴力振りやがって、うっ」

 ゲホゲホと咳き込みながら悪態をつく。

「……二度と彼女に触れるな」

 凍てつく様に冷たいマリウスの。その奥は激しい怒りに燃えていた。

 ランドルフは、ひひっと引き付ける様に笑い出す。

「それ……その顔だよ。いや、思った通りだったな」

 マリウスの手を払うと、よろよろと立ち上がる。そして逆にマリウスの胸ぐらを掴み、立ち上がらせると言った。


「もっと兄上のいい顔が見たいなあ。絶望して、苦しむ顔が」

 そして、真顔で吐き捨てる。

「……それまでにその醜い顔の毛を全部剃っておけよ」




 ランドルフが去ると、マリウスはアーシャに駆け寄り、肩をがしっと掴んだ。

「アーシャ!大丈夫か!?怪我は?何もされていないか!?」

「……はい。大丈」

 言い終わらない内に、広い胸に抱き締められる。

「良かった……子供達が呼びに来てくれたんだ」


 あの人の時とは全然違う……

 その温もりと薬草の香りが、アーシャの心を何かに包んでいく。自然と手が伸び、彼の背中を抱き締め返していた。


 突如、ふらっとマリウスの身体が揺れ、膝を付いた。

「……先生!」

「すまない、少しめまいが」

 アーシャは手をかざし、マリウスの身体を診る。

「……精神的なストレスと、睡眠不足が原因かと思われます。外来の診察は私がやりますから、休んでいて下さい」

「だが……」

「こんな時こそ頼って下さい。さあ」

 アーシャは細い身体でマリウスを支えながら歩き出した。

「……ミュゼットの言っていた通りだ」

「え?」

「君の腕は安心感があるってね」

 優しく笑うマリウスに、アーシャは頬を微かに赤らめ下を向く。

「……そうですか。こんな腕で良ければ、いつでも使って下さい」

「ありがとう、アーシャ」







 外来の診察が終わると、真っ直ぐマリウスの元へ向かう。

 部屋に入ると、枕元に座っていたミュゼットが振り向いた。

「アーシャ」

「先生はどう?」

「うん……アーシャのヒーリング魔術のおかげで、よく眠っているわ」

 マリウスに手をかざすと、深い眠りが心身を回復させていることが分かり安堵する。

 ミュゼットは不意にアーシャの腕を握り、険しい顔で問う。

「アーシャは大丈夫だった?何もされなかった?」

「……ええ。大丈夫よ」

「良かったわ……明日からは兵をもう少し増やして、勝手に入って来られない様にするから。ごめんなさいね、手配が遅くなって」


 アーシャは首を振り、隣の椅子に座るとミュゼットに目線を合わせる。

「あの人はマリウス先生の弟なの?」

「ええ、異母兄弟。……ずっと、マリウスのことを恨んでいるの。自分の母親を殺したって」


 殺した……?


「一方的な逆恨みなのよ!……昔、別荘が火事になって、ランドルフの母親が動けずに亡くなったの。一緒に居たマリウスに対して、目の前で母親を見殺しにしたって執拗に責めて……まだ10歳だったマリウスには、どうにも出来なかったのに。二年前、伯父様……二人の御父上が亡くなってからは更に酷くなったわ」

「そうだったの……」

「私、皇女に産まれて良かったと思ったことなんて全然なかったけど、最近では感謝しているわ。この身分でマリウスを守ることが出来るもの。私に逆らうことは皇室……つまり皇帝陛下に逆らうことだから、彼も簡単に手出しが出来ないの」


 アーシャにはミュゼットが眩しかった。何の身分も財産もない自分では、マリウスの力になれないからだ。

 ミュゼットはそんな彼女の気持ちを汲み取ったのか、優しく手を包むと言った。

「アーシャ、マリウスを信じてあげて。この先、たとえどんなことがあっても、あの人の傍に居てあげてね。貴女の代わりは何処にも居ないわ」





 その夜、アーシャは再びマリウスの部屋を訪れ、診察をする。

 今晩ぐっすり休めば身体は回復するだろう。だが最低でも明日一日はゆっくり休ませたい。彼はきっと働くと言い張るだろうが、魔術をかけてでもベッドに拘束しよう。

 テレサに栄養のある食事を作ってもらって……そうだ、薬も煎じておかなければ。

 思い立ち、薬草庫へ向かおうとした時だった。


 横向きに眠るマリウスの枕が濡れていることに気付く。

 それは丁度目元の辺り。見ている内に、じわりと染みが広がっていく。

 ……泣いているの?


 タオルを取り、顔を覆う、厚い金の毛をはらりと分けた。


 え…………


 アーシャが見たのは予想だにしなかったもの。

 それは形の良い額から頬にかけて、痛々しく残る、火傷の痕だった。

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