第12話 ~震~
ランドルフと呼ばれたその男性は、マリウスに更に近付いてくる。
「……何の用だ?」
「久しぶりに会いに来た弟に随分と冷たいんですね。近くに用がありましたので、少し寄らせて頂いただけですよ。……ところで、そちらの女性は?初めてお見かけしますが」
「新しい医師だ」
マリウスはそう言うと、アーシャを背中へ隠す様に立った。
「ほう……医師にしておくのは勿体ない程美しい方ですね。私の第三夫人にしたい位だ」
「……ランドルフ!」
「ふっ、冗談ですよ」
男は笑いながら金色の巻き毛を掻き分ける。
……一般的に見れば、その男の顔は非常に整っているのだろう。だが、その蛇の様な冷たい紫色の瞳に、アーシャは本能的に嫌悪感を抱いた。
そして彼は、どうやらマリウスにとっても歓迎しない客らしい。アーシャはマリウスの前にすっと出ると、低い声で言った。
「申し訳ありませんが、今は先生と繊細な薬草を干しております。非常に神経を遣う作業ですので、お話でしたら後にして頂けませんか?」
男はアーシャの頭から爪先までを舐める様に見ると、いやらしい笑みを顔中に浮かべた。
「……気の強い女だな。どこかの令嬢か?」
「ただの医師です。早く日に当てないと薬草が傷みますので、作業に戻らせて頂きます。さあ、マリウス先生」
「……ああ」
男は、再びアーシャを背に隠すマリウスを睨みつけた。
その時、カサカサと草の上を軽快に歩く音がした。
「マリウス!テレサが摘んできた薬草だけど、どこに……」
ミュゼットは男に気付くとピタリと止まる。
「これは……!ミュゼット皇女様じゃありませんか。こんな所でお会い出来るとは」
ミュゼットもまた、アーシャが未だかつて聞いたことのない、暗い声で男に言った。
「……何のご用ですか?」
「はっ、兄上と全く同じご対応ですね。いくら寛大な私と言えども、あまり気分の良いものではありません」
それには答えず、ミュゼットはすっと男の横を通ると、マリウスに薬草の篭を渡す。
「本当に御目が見える様になったんですね。……噂によると、醜い魔女みたいな女が治療したとか」
薬草を広げるアーシャの手がピタリと止まる。
ミュゼットは男を睨むと毅然と言った。
「噂?宮殿内部のことは、そう簡単に外には漏れない筈ですよ……むやみに探らない限りは。度が過ぎる様でしたら、陛下に申告します」
「おお、そんなつもりは。私はただ皇室の安全と繁栄を願っているだけで」
「それに目が治ったのは事実ですが、醜い女などどこにもおりません」
「ほう、では誰に治療を受けたのですか?そんな素晴らしい医師なら、色々と利用価値がありそうなのに」
「彼女は
「……それは残念」
男はアーシャをチラリと見る。
「では……どうやらお忙しい様ですので、今日の所はこれで失礼致します。またすぐにお邪魔致します。きっと、すぐにね」
男は不気味な笑みを浮かべながら、庭を後にした。
あの日からずっと──
マリウスの弱みはあの病院と孤児院、そしてミュゼット。
だが、ミュゼットは皇女であり手出しが出来ない。
更に病院と孤児院が建っているあの土地、そして建物も、マリウスとミュゼットの共同名義となっている。
身動きが取れず苛立たしい思いをしていたが……
あの女、マリウスの新しい弱みかも知れない。
男はギリギリと爪を噛みちぎると、気が触れた様に笑い出した。
その夜、回診を終えたマリウスは、テラスで冷たい夜風に当たっていた。
カチャリと遠慮がちな音を立て、目の前に湯気の昇るカップが置かれる。振り返るとアーシャが静かに立っていた。
「すみません……後ろ姿を見かけたもので。今夜は特に冷えますので、よかったら」
マリウスは温かいカップを両手で包む。
「カモミールティーか……ありがとう。良い香りだな」
口を付け、白い息を吐き出すマリウスの背中に、アーシャは自分のショールを掛けた。ふわっと優しい温もりが、内からも外からもマリウスに広がっていく。
「……君が風邪を引いてしまうよ」
「私は、もう中に入りますから。あの……夜中の回診、今夜は私が代わりましょうか?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「何かありましたら遠慮なく言って下さい。では……失礼致します」
一歩足を出して、アーシャは止まった。マリウスの冷たい手に、自分の手を掴まれたからだ。
「今日はすまなかった。弟のせいで嫌な思いをさせたな」
「いえ……」
「俺は……此処が、この病院と孤児院が、自分の命よりも大切なんだ。子供達を救い、守ってやることが出来る。だから、絶対に失う訳にはいかないんだよ」
毛の下から覗く目が、頼りなげに揺れている。
「それに……」
マリウスはその視線を、アーシャの
「いや……何でもない。寒いのに、引き止めてすまなかった」
アーシャは室内に入り、テラスを振り返る。広く大きい筈のマリウスの背中が、何故か小さく震えている様に見えた。
青空が広がる庭で、アーシャは病院の洗濯物を干している。
昨日患者が数人まとめて退院した為、今日はこの様な雑用をこなす余裕があるのだ。
パタパタと風にはためくシーツを眺めていると、何とも爽快な気分になる。深呼吸をしていると、隣の物干し竿に、孤児院の子供達が洗濯篭を抱えてやって来た。
「アーシャ先生!」
「みんなもお洗濯?」
「はい、これが干し終わったらお勉強です」
「そうなの。先生の分はもう終わったから、手伝うわ」
「ううん、これは自分達の仕事だから」
そう言うと、小さい子が篭から洗濯物を取り出し、それを受け取った大きい子が竿に干していく。長い竿はあっという間に洗濯物で埋まり、篭は空になった。
「息ピッタリね。先生よりも早かったわ」
「いつもやってるからね」
子供達は得意気に言う。
「それに……早く干して遊びたいんだもん!」
突然わあっと笑いながら、草の上を走り出した。子供らしい無邪気な姿に、アーシャはほっとする。
「先生も一緒に遊ぼう!」
「いいわよ。お勉強の時間までね。何して遊びましょうか?」
「どんぐり拾い競争しよう!」
「楽しそうね。じゃあ沢山拾って、後で一緒に玩具を作りましょう」
「やったあ!」
飛び跳ねながら喜ぶ子供達。
「じゃあいくよ……よういドン!!」
アーシャも子供達に負けじと、夢中になってどんぐりを拾ってはエプロンに入れていく。
次第にエプロンが重くなり、立ち上がろうとした時だった。
ドン!
何かにぶつかり、どんぐりがバラバラと落ちる。
「……またお会いしましたね」
空を塞がれ、暗くなる視界。
見上げると、そこにはあの男──ランドルフが立っていた。
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