第11話 ~絆~


 アーシャの視線に気付き、マリウスはサンドイッチを食べる手を止めた。

「何だ、アーシャ。俺の顔に何か付いているか?」

「いえ……別に。それに、たとえ付いていたとしても何も見えませんから」

「ああ、確かにそうだな」

 マリウスは顔の毛を撫でながら、ははっと笑う。


「ねえ、アーシャ、これで合っているかしら」

 ミュゼットが、文字のびっしり書き込まれたノートを差し出す。

「……ここの綴りが違うだけで、後は全部合っているわ。字も綺麗になってきたわね」

「やったあ!ねえ、マリウス、もう少し覚えたら、外来の受付で働い……リハビリしてもいい?」

「どうせ止めてもやるんだろ」

 ミュゼットはちょこんと舌を出し、再びノートへ向かう。


 ミュゼットが此処に来てからは、昼食は急患がある時を除き、ほとんど三人でとっている。

 仲良く寄り添う二人を見て、まるで姉妹の様だとマリウスは思う。が……

 アーシャとミュゼットは同い年だったな。

 ……8歳差か。

 別にこのくらいの年の差……いや、だから何だと言うんだ。


 今度はアーシャがマリウスの視線に気付き尋ねた。

「……私の顔に何か付いていますか?」

「いや、別に……先に戻るよ」

 ふらふらと立ち上がり、椅子の足に小指をぶつけ悶絶するマリウス。

 アーシャとミュゼットは、目を合わせて首を傾げた。





 その日の夕食のこと。

 ミュゼットが海のあるムジリカ国から仕入れた貴重な小魚と、畑で採れたほうれん草を和えたサラダが食卓に並ぶ。


 子供達は珍しい魚に最初は警戒するも、料理上手なテレサの手にかかり、パクパクと平らげていった。

 そんな中、魚達を見下ろし、フォークを持ったまま固まっている者が一人居る。


「ミュゼット、食べてないのはお前だけだぞ」

 マリウスが呆れた様に言う。

「仕入れた張本人が食べられなくてどうする」

「だって、子供の骨に良いって言うから。でも……目がこっちを見てるんだもの。食べないでって訴えてるんだもの!」

「仕方ないな。ほら、目をつむって口開けろ」

 マリウスは自分のフォークでサラダを掬うと、ミュゼットの口に押し込んだ。眉をしかめもぐもぐと噛んだ後……

「美味しい!見なければ美味しい!」

 目をつむったまま興奮するミュゼットに、マリウスは笑いながら食べさせていく。

 すると、その様子を見ていた一人の子供が突然叫ぶ。


「ねえ!マリウス先生はどっちのお姫様と結婚するの?」

「え?」

「アーシャ先生と、ミュゼットちゃん」

「何を言って……」

 マリウスの言葉を、別の子供がませた口調で遮る。

「馬鹿ねえ。一夫多妻制だから、どっちとも結婚出来るのよ」

「あ、そうかあ」


 フォークを持ったまま固まるマリウスに、口を開けたままサラダを待つミュゼット。

 そして……下を向き、静かに魚を突くアーシャ。

 それらを見たトーマは、乱暴にフォークを置くと言った。

「俺は……!妻は一人でいい。他の女なんて要らない」

 キヤもそれに続く。

「私も、大勢の一人なんて嫌。好きな人には、自分だけ見ていて欲しいもの」

 年長二人の大人びた発言に、下の子達は目を爛々とさせる。


 アーシャは皿を綺麗にすると、手を合わせて言った。

「ご馳走さまでした。薬草の整理が残っておりますので、先に失礼致します」

 皿を洗い、部屋を出るアーシャの後ろ姿を、マリウスはじっと見つめていた。





 広い薬草庫で、アーシャは黙々と作業をこなす。

 仕入れた物、自家製の物など様々な薬草を、種類ごとに引き出しへしまっていく。見た目が似た物も多く、間違えれば医療事故に繋がる為、非常に神経を遣う作業だ。


 窓辺には、種類ごとに平たい篭に分けられた、乾燥前の生の薬草がある。

 雲行きが怪しい為、一時的にこちらへ避難させているのだ。

 その中で一つ、効能の分からない薬草がある。扱いに注意する四角い篭に乗っている為、きっと何か毒性があるのだろう。

 細い糸状の葉先は、まるで凍っている様に白い。

 アーシャはそれを見ながら、必死に知識を手繰り寄せる。


氷結草ひょうけつそうだよ」


 振り向くといつの間にかマリウスが立っていた。

「氷結草……これがですか」

「ああ。完全に乾燥するとただの緑になるが、生の状態だとこんな色をしているんだ」

「そうなんですか。生の物は初めて見ました」


 氷結草とはヘイル国の冷たい気候でしか生育しない植物で、人の神経に作用する効能がある。

 主に手技の際の麻酔薬として使用される物であり、サレジア国では高価な薬草として取り扱われていた。

 また、量によっては人を死に至らしめる為、知識のある限られた医師のみが使用していたのだ。


「使ったことはあるかい?」

 アーシャは首を振る。

「量さえ気を付ければ、痛みに弱い子供の治療には欠かせないものなんだ。催眠魔術で痛みを抑えるよりも、身体の負担が少ないしね。明日抜歯に使う予定だが、一緒にやってみるかい?」

「はい」

 顔を輝かせるアーシャに、マリウスは微笑む。



「……ところで、どうしてこちらへ?」

「手伝いに来たんだよ。沢山仕入れたから大変だろう。幸い今日は患者の容体も安定しているしね」

 そう言いながら、マリウスはせっせと薬草を仕分けていく。


「ミュゼット……」

「ん?」

「ミュゼット様とは従兄同士だとお聞きしましたが」

「そうだよ。ミュゼットの母君と、自分の父親が兄妹だ」

「仲が良いですね……とても」

「うん、ミュゼットは俺の命の恩人だからね」

「え……」

「彼女が居なかったら、死んでいたかもしれない」

 マリウスはそれ以上を語らない。だが二人の間には、他人の入り込めない、何か深い絆があることが分かった。


 チクリ

 何故か痛む胸を誤魔化す様に、アーシャは作業に集中した。





 翌日、外来の処置室で抜歯に立ち合うアーシャ。

 マリウスは、氷結草を煎じた汁を、子供の口に暫く含ませ吐き出させる。万一に飲み込んでも身体に害がなく、かつしっかりと神経に作用する絶妙な量だ。

 薬の効き具合を確認すると、マリウスは目にも止まらぬ早さで歯を抜き、回復魔力で止血する。

 その流れる様な手際の良さに、アーシャは感心した。



 昼食後、雨上がりのよく晴れた空の下に、マリウスと共に氷結草を干していく。


「氷結草が甘いなんて、初めて知りました。今日の子も、どうりで嫌がらない訳ですね」

「ああ、甘いのに毒性があるから、尚更取り扱いには気を付けなければならない。口に含むのが難しそうな子には、もう少し濃度を濃くして、患部にだけ直接塗るといいんだ。それも今度一緒にやってみよう」

「はい」

「干す時の注意点は……」



 篭を手に寄り添う二人を、遠くから眺める男が居た。


 何だあの女……


 気配を消す様にゆっくり近付き、マリウスに声を掛ける。


「兄上、お久しぶりです」

「……ランドルフ」


 それはアーシャが初めて聞く、マリウスの暗い声だった。

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