第9話 ~和~


「はい、お口開けてね。そうそう、とても上手よ」


 病室で診察をしているアーシャの元に、外来の看護師がやって来た。

「アーシャ先生、すみません。今外来の受付に女性がいらしていて、先生にお会いしたいと」

 女性……?

 アーシャは首を傾げる。


 受付へ向かうと、腰まで伸びた美しい金髪の女性が一人立っていた。

 くるりと向いた顔を見て、アーシャは驚愕する。


「アーシャ!」


 笑顔で飛び込んで来る彼女を咄嗟に受け止める。

「会いに来たわ」

 紫の深い海の様な瞳で、アーシャを見上げた。


 薬草の篭を抱えて横を通ったテレサは、彼女に気付くと慌てて戻って来る。

「おっ……皇……!」

 叫ぼうとするテレサの口を、彼女が慌てて塞ぐ。

「しいっ!皆さんがびっくりしてしまうでしょ」

 そしてにこっと笑うと言った。


「此処で働かせて下さい」




 テラスでサンドイッチを頬張るミュゼットを、マリウスは腕を組みながら見下ろす。

「うーん、美味しい!お腹ペコペコだったの。ほら、アーシャもマリウスも食べないと!お昼時間なくなっちゃうわよ」

「今日は泊まっていっていいから。明日、朝食を食べたらすぐに宮殿に帰れ」

「何で ?皇帝陛下からお許しも頂いているのに」

「まさか!働くと言ったのか?」

「いいえ、暫く滞在するとだけ」

「そうだろう。皇女が働くなんて前代未聞だ。許される訳がない」

「それは分からないけど……面倒臭いから、詳しいことは言わなかったわ。陛下が此処に来ることなんて絶対ないんだから、適当に言っておけばいいじゃない。あ、信頼出来る兵も二人連れて来たから、力仕事にでも使ってね」

 マリウスは頭を抱え、はあとため息を吐く。


「それに私、貴方が開業した時から約束していたわよ。いつか目が見える様になったら、此処で絶対に働くって」

「それは……」

「私が居ることは、此処にとっても大きなメリットになるわよ。滞在費用として、皇室からお金を送金してもらえるもの。どうぞ、経営の足しにして。需要のない第8皇女でも、こんなことくらいは役に立てるでしょ」

 そこまで言うと、ミュゼットはしゅんと下を向く。

「……折角見える様になったのに、あんな所にずっと居られないわ」


 ひんやりと冷たい風が吹くテラス。

 マリウスはミュゼットの頭にポンと手を乗せると、静かに言った。

「……分かった。此処に滞在するのは構わないが、労働は許可出来ない。陛下を欺くことになるからな」

 ミュゼットは顔をぱあっと輝かせると、マリウスとアーシャの手を取り、ぶんぶん振るう。

「ありがとう!大人しく滞在させてもらうわ!目の療養の為に、ね」

 本当に分かっているのか……疑わしいが仕方ない。マリウスは昔からミュゼットには弱かった。


「そうそう、私が皇女だってことは他の人には絶対秘密ね。知っているのは、貴方達二人とテレサだけだから。みんなに気を遣わせてしまうのは絶対嫌なの。だからアーシャも、今から私のことは呼び捨てで。敬語もナシね」

「はい」

「ほら!敬語は駄目。さあ、早くお昼を食べて。中を案内してちょうだい」


 また、彼女の渦に飲まれていく。

 だがアーシャはそれを嫌と思うどころか、むしろ嬉しく、心地好いと感じていた。




 次の日からミュゼットは、動きやすい綿の服にエプロンを締め、アーシャや看護師らの後を付いて回った。

 そして、「これは労働じゃなくリハビリよ!」と言い張りながら、ほうきや洗濯かごをさらっていく。

 しかもそのクオリティと言ったら……孤児院の一番年少の子の方が、上手なくらいだった。


 だが彼女はめげることなく、次々と新しいことに挑戦していく。そんな彼女に適性があると皆が認めたのが、患者の介助だ。

 人の内面を汲み取る力に長けた彼女は、患者一人一人の心に寄り添い、絶妙な介助をする。食の細い子供は彼女の手にかかれば皿を空にし、寝つけずぐずる子供も、彼女の語りかけであっという間に夢の中へ。

 難しいルカとも、目の病気を抱えていた者同士、すぐに打ち解け仲良くなった。

 また、音楽が得意な彼女は、孤児院にもよく足を運び、オルガンを弾いては子供達と触れ合う。


 マリウスは皇室からの送金を頑として受け取らなかったが、ミュゼットがその金で勝手に食料やら備品やらを購入してしまう為、最近ではもう諦めていた。


 人を和ませる不思議な力を持ったミュゼット。

 彼女が此処へ来てから、子供達はもちろん、スタッフの笑顔も増えていった。






 良く晴れたある日。

 アーシャはルカを連れて庭を散歩していた。色の判別が出来るまでに回復した彼女に、自然の色を見せてやりたかったのだ。

 畑では孤児院のトーマが野菜の手入れをしている。

「あれは何?」

「畑よ。お野菜を育てているの」

「触ってもいい?」

「お兄ちゃんに聞いてみてね」


 二人に気付いたトーマは、顔を赤らめながら黙々と作業を続ける。ルカはとことこと近付いて行き、トーマに尋ねた。

「お野菜、触ってもいい?」

「いいよ。人参抜いてみるか?」

「うん!でも人参さん、どこにいるの?」

 面倒臭がらず、幼い子が分かりやすい様に、丁寧に説明していくトーマ。その優しさにアーシャが微笑んでいた時だった。


 はあはあと荒い息をしながら、一人の男が走って来た。手には酒の瓶を持っており、血走った目からは明らかに正常でないことが窺える。

 アーシャはルカを胸に抱き寄せ、男に問い掛けた。

「何かご用ですか?」

「ああ、俺はそいつの父親だよ。迎えに来たんだ」

 ルカを指差しながら言う。

「病室に行ったら居ねえって言われてよ、窓から見たらこんな所でふらふらしてるじゃねえか」

 アーシャはルカの瞼を閉じさせると、耳に囁いた。

「先生が瞼を触るまで、絶対に開けては駄目よ」

 そしてルカの手を耳に移動し、しっかり塞がせた。


「女房も息子も勝手に出て行きやがって。食べる口が減ったからそいつを迎えに来てやったんだ。目が見えなくても器量はいいからな。年頃になればそれなりの値段で売れるだろうよ」

 ひひっと下品に笑う男に虫酸が走る。


 この男といい、自分の父親といい……どうして神はこんな虫けらみたいな男達を生かしておくのだろう。


 アーシャはすっと立ち上がると、毅然と言った。

「ここは病院です。ルカは病気の治療中であり、現在の保護者はマリウス院長です。どうぞお引き取り下さい」

「ああ!?」

 男は怒りを露にするが、突然ニヤニヤと舐める様な視線をアーシャへ向ける。

「あんた、よく見たらいい女だな。あんたが一晩相手してくれるなら、今日の所はルカを諦めてもいいぜ」

「ふざけるな!!」

 トーマが鍬で男の足を殴り、アーシャの前に立ち塞がった。男は足を押さえ、その場に倒れ込む。

「早く!ルカと逃げろ!」

「この野郎……舐めやがってえ!!」


 男はふらつきながら立ち上がり、トーマめがけて勢いよく瓶を振り下ろした。


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