第8話 ~生~
マリウスはテラスへ出ると、椅子を引きアーシャを先に座らせる。
テーブルにナフキンを広げ、アーシャの分のサンドイッチを綺麗に置くと、水筒からコップへお茶を注いで差し出した。
熊の様な
テレサが彼を坊っちゃまと呼んでいたこと、また、ミュゼット皇女と従兄であることからしても、彼が貴族であることは間違いないだろう。
優雅に遊んで暮らせるだろうに、何故粗末なシャツを着て、ギリギリの状態で病院と孤児院を経営しているのか。
アーシャの視線に気付くと、マリウスは言う。
「テレサのサンドイッチは最高なんだ。仕事の疲れも吹き飛ぶくらいにね。さあ、どうぞ」
「ありがとうございます。頂きます」
一口かじると、甘いソースを絡めた、ふんわりした卵が舌の上で踊る。野菜もシャキシャキで言うことない。
「美味しい……」
「だろう?」
マリウスも一口かじると、満足気に頷いた。
「デザートもあるぞ」
嬉しそうに、ドライフルーツたっぷりのマドレーヌを差し出す。見かけによらず、彼は甘党らしい。
「君にはルカの腫瘍を治療してもらう為に連れて来たのに、他の子まで診させて悪かったね」
「……いえ。あの、もし人手が足りない様でしたら、入院患者の方は私が診ましょうか?」
「いや、申し出はありがたいが、うちにはそんな余裕がないんだ」
マリウスはお茶を一口飲むと語り出した。
「知っているかもしれないが……サレジア国との先の大戦で、我が国は大きな痛手を負ってね。元々少なかった男性の人口が更に減少した為、皇室が打った政策が一夫多妻制だ。
それにより出生率は上がったが、逆に不景気で育てきれなくなった子供達が沢山捨てられたんだ。特に女の子。
うちを見ても解る様に、病院は男の子、孤児院は女の子の比率が高い。
……ルカも女の子である上に、目の病気を理由に捨てられた子でね。父親から酷い虐待も受けていた」
アーシャは震えそうになる手を、必死に抑える。
「なのに原因を作った皇室も貴族も、平民から高い税金を巻き上げては、私腹を肥やしている。不幸な子供が泣く一方で、奴らは一夫多妻制を良いことに女を囲い、酒だのパーティーだの贅沢三昧だ」
溢れる怒りに、彼の持つコップがカタカタと震えている。
「……貴方も貴族ではないのですか?」
「身分はね。だが自分の財産はほとんど此処を建てる為に使い、後は僅かな投資で得る金と、金持ちから受け取る診察料で細々と経営している。しがない貧乏医師に過ぎないよ。だから……継続的に君に給料を払うことは難しいんだ。ルカだけでなく、患者全員を診てもらうとなると、それなりの額を支払わなければ」
「……お給料のことは考えて頂かなくて結構です。昨日のお釣りも残っていますし、食事と寝床を提供して頂いているのでそれで充分です」
「それはいけない!君の医術は皇室の専属医にもなれるレベルだ。タダ働きなんてとんでもない」
「私はそんな風に言って頂ける程大した医師ではありません。確かに魔力は高いかもしれませんが、知識や経験はまだまだです。今日薬草庫に入らせて頂きましたが、効能が分からない薬草が沢山ありました」
「ああ、うちは特別種類が多いから。でも君の処方は正しかったし、問題ないよ」
「考えてみれば私は、医師免許は取ったものの、現場での経験に乏しいのです。研修させて頂くつもりで、こちらで働かせて頂けませんでしょうか?」
何故自分はこんなにも必死に、此処で働こうとしているのだろうか。
一生封印しようとしていた回復魔力。
神殿を訪れた病人、ミュゼット皇女、ルカや他の子供達──結局、数えきれない程使ってしまった。
素直に心に問うてみれば、誰かを治療することで、自分の
ずっと死にたかったのに……ただ死ねずに生きていただけなのに。
自分は何とおこがましい人間なのだろう。
葛藤しながら、苦しみながら、目の前に差し出された命を救う。これは神が与えた贖罪かもしれない。
だったら心のまま、それに従おう。
但し、決してこの場所で、何も求めてはいけない。
「いや、しかし……本当にいいのか?」
「はい。色々教えて下さい」
「……ありがとう、感謝するよ。君みたいな医師が居てくれたら、どんなに心強いか。改めて、よろしく頼む」
マリウスが差し出した手を握るアーシャ。
大きな温もりに何かが込み上げそうになり、唇を噛みながら、すっと離した。
「……君はサレジア国の人だろ?何故ヘイル国に来たんだ?ご家族は?」
ずっと聞きたかったことを矢継ぎ早に問うマリウス。だが、一瞬で曇った彼女の顔を見て、自分の軽率さを悔やんだ。
「家族は居ません。ヘイル国に来たのは……冷たい、寒い国で暮らしたかったからです」
何かを抱えた暗い鳶色の瞳。
これ以上踏み込めば、彼女は何処かへ消えてしまう気がした。
その日から、本格的に医師として働くことになったアーシャ。看護師をはじめ、スタッフ達は大いに喜んだ。
子供達も懐き、入院患者だけでなく、孤児院の子まで彼女を取り合う程だった。
ただ、年長の二人……初日にコップを倒したトーマという少年と、その後一喝して場を収めたキヤという少女は、何故かアーシャへの態度がぎこちない。
まあ思春期なのだろうと、さほど気にも留めず接していた。
共に患者を診る内に、アーシャはマリウスのことを、医師として尊敬に値する人物だと感じていた。
魔力はアーシャの方が高いが、手技は彼の方が格段に優れている。また、医学知識も豊富で、特に薬草の扱い方にはアーシャも舌を巻いた。
決して
また、マリウスの方も、アーシャを優れた医師として認めていた。
高い魔力を活かした医術はさることながら、患者の懐にすっと飛び込む能力は天性のものだと。恐らく彼女自身は意識していないが、気難しい子供も彼女に対しては必ず心を開き、大人しく治療を受けさせていた。
そんな二人は、端から見ても良きパートナーとなっていった。
一ヶ月程経ったある日──
病院の外来受付に、思わぬ来客があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます