第7話 ~動~


 翌日、朝食を済ませると、早速アーシャはルカの施術を始めた。

 マリウスが見守る中、小さな頭に慎重に手をかざし、複雑な神経が絡む脳腫瘍を縮めていく。


 頭を包む赤い光が消えると、アーシャは額の汗を拭った。

「ルカ、ゆっくり目を開けてみて」

 恐る恐る瞼を上げたルカは、何かに気付き、急に目をカッと大きく開いた。

「……見える!先生、何かが見える!」

 ルカの反応に、アーシャはほっとする。

「良かった。お目々さんが頑張ってくれたわ。疲れちゃったかもしれないから、少し目を閉じて休ませてあげて。また後でお話しに来るわね」


 再び手をかざしヒーリングの魔術を施すと、ルカはゆっくり瞼を閉じ、すやすやと寝息をたてる。

 マリウスは近付き、ルカの頭に手をかざすと、術後の状態を確認する。やがて彼が手を下ろしたタイミングで、アーシャは尋ねた。

「どうでしょう?神経を探りながら慎重に進めたので、まだ大きな改善は見られないと思いますが」

「いや……素晴らしいよ。よくこんなに難しい場所を」

 マリウスはため息を吐いた。


 ルカに布団をかけてやると、マリウスはアーシャの手をチラリと見て言った。

「君の魔力は赤いんだな。回復魔力は大抵緑だから……珍しいね」

「……私の魔力は遺伝ではなく、後天性のものなのです。そのせいかもしれません」

 その時、アーシャが不意に見せた哀しげな顔が、マリウスの胸をドクリと打った。


「失礼します。熊先生、外来の患者さんがお見えです」

 看護師の呼び掛けに、マリウスは壁の時計を見る。

「お、もうそんな時間か。俺はこれから昼まで外来診療に入るから、君は部屋で休んでいるといい。神経を遣って疲れただろう」

「いえ……」

「じゃあ、また後で」


 マリウスが出て行き、しんとなった病室。

 アーシャはベッドサイドの椅子に腰掛けると、ルカの額を撫でながら様子を見守っていた。



 暫くすると、一人の看護師が、申し訳なさそうに病室に入って来た。

「アーシャ先生、少しお願いしたいことがあるんですが……」

「どうされたんですか?」

「肺炎で入院してる子なんですけど、急に嘔吐してしまって。熊先生は今、外来患者さんの施術中で手が離せないんです。少し診て頂けますか?」

「分かりました。私で良ければ」

「ありがとうございます!こちらの病室です」


 案内された大部屋の病室へ入ると、男の子が胸を押さえながら苦しんでいる。

「カルテを見せて」

 アーシャは診察し、素早く処置をすると、看護師に言う。

「この子の場合、魔力で全て抑えるより、薬で痰を出した方が治りが早いわ。薬草庫へ案内して頂けますか?」


 広い倉庫には豊富な薬草があり、種類ごとに丁寧に分類されている。

 アーシャは引き出しから、ジャノヒゲなどの薬草を何種類か選び取り出すと、まずは乾燥状態を確認する。

 そして左手で秤に乗せつつ、右手でカルテに薬草の分量と煎じる為の水量を記載していく。

 やがて、幾つかの小さな包みを看護師に渡しながら指示を出した。

「一日三回、煎じて食後に飲ませて下さい。ひとまず二日分用意しました」

「ありがとうございます。早速煎じて来ます」

「私は病室を回っていますから。他に容体が気になる子は居る?」

「はい。熊先生の朝の回診では……」




 外来診療の合間をぬって、入院患者の病室へ来たマリウスは驚いた。朝、容体が気になっていた子供達を、全てアーシャが診ていたからだ。

 病室の入口で様子を窺うマリウスに気付くと、アーシャは言った。

「気になる子が何人か居たので……カルテを見て、勝手なことをしてしまいました。すみません」

「いや……助かったよ。肺炎の子も、君が処置してくれたそうだな」

「はい、勝手に薬を処方してしまいました。あまり改善が見られなければ、薬草の種類を変えてみて下さい」

「ありがとう。適切な処置だと思うよ」

 マリウスは、カルテを見ながら頷く。


「今日は外来がお忙しいんですか?」

「ああ、昨日休診にしてしまったから少し混んでるかな。だがいつも大体こんな感じだ。小児病院は、この辺には此処しかないから」

 ざっと見たところ……看護師が三人で、内二人が入院患者担当、一人が外来担当。洗濯や清掃、食事の介助などを行う女性が一人。あとはテレサが雑務を手伝うと言っていたか。

 そして……肝心の医師は、

「昨日は医師がもう一人居ませんでしたか?」

「ああ、外出時だけ医師を雇っているんだ。普段は俺一人」

 平然と言うマリウスに、アーシャは目を見張る。外来と入院と、この人数で、今までどうして回せていたのか不思議で仕方ない。

「人は増やさないんですか?」

「人件費が掛かるからね。国からの補助もほとんど出ないし。あ、でも君の給料はちゃんと払うから、心配しなくていい」

 アーシャは頭を抱える。


「おっと、そろそろ外来に戻らなきゃ。疲れただろうから、休んでいてくれ」

 慌ただしく病室を出て行くマリウスと、入れ替わる様に入って来る看護師。

「アーシャ先生、熱が上がった子が……」


 ──休める訳ないでしょう!





 外来の患者がけ、ふうと一息吐くマリウスの元に、テレサが包みと水筒を持ってやって来た。


「お疲れ様です」

「ありがとう。あれ、今日はやけに量が多くないか?」

「アーシャ先生の分もありますから。お天気も良いし、お二人で仲良くテラスで召し上がったらいかがですか?」

 ほほっと楽しそうに笑うテレサ。


 何を余計な気を回しているんだか……


 マリウスは包みを受け取ると、診察室を後にした。



 アーシャは自分の部屋ではなく、ルカの病室に居た。

 目の診察を終え、昼食の介助をしていた様だ。

「ルカ、目の具合はどうだ?」

「熊先生!」

「お、ご飯も全部食べられたみたいだな。偉いぞ」

「あのね、お皿が少し見えるの!コップも」

 眼球の動きが、治療前より明らかに良くなっている。

「そうか、良かったな。頭は痛かったりもやもやしないか?」

「うん、でもちょっと眠い」

「お目々さんがまだ疲れているんだな。また少し目を閉じていてあげなさい」

 マリウスが手をかざすと、柔らかい緑の光が放たれ、ルカはすうっと寝息をたて始めた。


「今のところ特に問題なさそうです。次はおやつの時間に診察しますね」

 食器の乗ったトレーを持って部屋を出ようとするアーシャを、マリウスが呼び止める。

「あ……昼ご飯、まだだろ?一緒にどうだ?」

 テレサから受け取った包みをチラつかせた。


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