第6話 ~朝~
「子供の扱いが上手いんだな。ルカといい、ミュゼットといい……ああ、ミュゼットは大人か」
ルカの病室を出て、別室へ移動するとマリウスは言った。
「子供の診察をするのは初めてです。学生時代に実習で診たことはありますが」
「……やはり、学校を出ているんだな」
「事情があり卒業は出来ませんでしたが、医師免許は在学中に取得しました。現在も有効かは分かりませんが」
「それを聞けて更に安心したよ。教えてくれてありがとう」
「いえ……」
「ルカは家庭に事情がある子で、非常に繊細なんだ。俺以外の大人と接するのを怖がっていたんだが、どうやら君には心を開いた様だな」
「……とても賢い子です」
「ああ。それで、病状はどうだった?」
「やはり良性の脳腫瘍が視神経を圧迫していました。ミュゼット様より腫瘍の位置がやや難しく、施術に時間を要するでしょう。ですが幼い分視神経のダメージは少なく、施術後の回復はスムーズだと思われます」
「そうか、良かった。では、問題がなければ明日から早速治療を初めてもらえるか?」
「承知致しました」
「……で、俺は君をなんと呼べばいい?エラか、それともアーシャか?」
「お好きな方でどうぞ」
「そうか、じゃあ俺もアーシャにしよう。君にはそちらが似合っている気がするよ」
「私は何とお呼びすれば?マリウス先生……それとも熊先生?」
「どちらでも。スタッフは皆、子供に合わせて熊と呼んでいるけどな」
アーシャは目を伏せ、ふっと笑う。
その顔に思わずマリウスが見惚れていると、ノック音が響き、一人の年配女性がふくよかな身体を揺らしながら入って来た。
「熊先生、お食事の用意が出来ました」
「ああ、今行く。テレサ、こちらは新しく来たアーシャ先生。ルカの治療をしてくれる」
「テレサと申します。主に孤児院で子供達の世話をしておりますが、病院の雑務も行っております。よろしくお願い致します」
「よろしくお願い致します」
少しカサついた肉厚の手が、アーシャの細い手を温かく包んだ。
「生活面で分からないことがあれば、テレサに聞くといい」
「ええ、何でも聞いて下さいね。それにしても……どちらでこんな綺麗な方とお知り合いに?先生だと聞かされなければ、坊っちゃまのお嫁さん候補かと思いましたよ」
口に手を当てほほっと笑うテレサに、やれやれと頭を振るマリウス。
「子供達と同じことを言うね。あと、坊っちゃまは止めなさい。さあ、アーシャ、食堂へ行こう」
朝食と夕食は基本的に、孤児院の食堂で子供達と一緒にとる。また、病院に入院している子供達も、動ける子は移動して一緒に食べるとマリウスから聞かされた。
その言葉通り、建物を繋ぐ渡り廊下には、看護師と歩く患者らしき子供達の姿がある。
その中に、あのルカも居た。
木の香りが漂う食堂では、大きな子達が中心となり、皆で食事の支度をしている。小さな子達もテーブルを拭いたり、フォークやスプーンを並べたりと、きちんと仕事をこなしていた。皆、チラチラとアーシャの方を見ては、わくわくした表情を浮かべている。
「さあ、みんな席に着きなさい。新しい先生を紹介するよ」
マリウスが呼び掛けると、子供達はさっとテーブルに着く。
「お医者さんのアーシャ先生だ。暫く病院で働いてもらうことになったよ」
「アーシャです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
アーシャに合わせて、子供達も行儀良く頭を下げた。
「アーシャ先生はこっちには来てくれないの?」
孤児院の子が言う。
「そうだね、病気を治すのがお仕事だから。でも食事は一緒だから、その時にお話出来るよ」
「やった!じゃあ今日は私が先生の隣に座る!」
「駄目!私が最初」
「順番にしなさい。先生は逃げたりしないよ」
すると、いつの間にか傍に来ていたルカが、アーシャのスカートをギュッと握った。
「ルカ、どうしたの?」
アーシャの問いに、ルカはうつむきながら小さな声で答える。
「……アーシャ先生の隣がいい」
「よし、じゃあ今夜はルカが先生の隣だ。明日からの順番はみんなで話し合って決めなさい」
「はーい」
熊先生の一言で喧嘩に発展することもなく、子供達は食事前の祈りの姿勢に入った。
だが……
ガチャン
何かが倒れる音へ目を向けると、一番年長と思われる少年がコップを倒し、あたふたと慌てていた。
「あらあら、大変」
テレサが布巾を持って、テーブルを流れる牛乳を受け止める。
「兄ちゃん、アーシャ先生の顔ずっと見てたから溢したんだよ」
ニヤニヤと笑う正面の子に、違う!と真っ赤な顔で怒る少年。
「兄ちゃん、アーシャ先生が好きなの?」
「駄目だよ!アーシャ先生は熊先生のお嫁さんになってもらうんだから」
一気に騒がしくなる食堂に、パンと手を叩く音が響く。
「お喋りはそこまで!早くお祈りをしないと、スープが冷めてしまうわよ」
年長の女の子の一喝でその場は静まり、再び祈りの姿勢に戻った。
食後、子供達と一緒に当たり前の様に皿を片付けるアーシャを見てマリウスは思う。
見た目が華やかなだけでなく、知的で、動作の一つ一つに品がある彼女。どこぞの貴族令嬢かと思えば、非常に慎ましく、このような身の回りの仕事にも自然に手が出る。
宮殿に来る前は神殿で働いていたそうだが……
自分に催眠魔術をかけてまで、あの美しい顔を隠していた理由は何なのだろう。
何か重い事情を抱えているのだろうか。
「先生、おやすみなさい」
子供の声に我に返ったマリウスは、おやすみと言いながら一人ずつ抱き締める。
ふとキッチンの方を見ると、先程コップを倒したトーマが皿を洗いながら、テーブルを拭くアーシャをぼんやりと見つめていた。
初恋か?
15歳の少年の純情に、マリウスもニヤリと笑った。
今日は色々とあった一日だったわ……
宮殿の半分以下の大きさのベッドに身体を横たえ、アーシャは深く息を吐いた。
初対面なのに、何故か強く惹かれたルカ。
あの綺麗な青い瞳に、光を取り戻してあげたい。
腫瘍の位置を頭に描きながら、空中で手を動かし、明日の施術に備える。
その内パタリと手が落ち、アーシャは深い眠りに落ちていく。
ゆらゆらゆらゆら
青と紫の海に漂う。
この夜アーシャは、一度も悪夢を見ずに、朝を迎えた。
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