第5話 ~笑~


「これでよろしいですか?」


 アーシャの言葉にはっとするマリウス。

「あ……ああ。問題ない」

 暫く沈黙が続いた後、彼は口を開く。

「なあ、あんたはどうして……いや、プライバシーだったな」


 その表情は、毛に覆われた顔からは全く読み取れない。

 今度は逆にアーシャから問う。


「失礼を承知でお聞きしますが……魔術をかけた私の顔が不気味であるなら、貴方のそのお顔も子供達に恐怖を与えるのでは?」

 マリウスは金の毛に触れながら、少しバツが悪そうに答える。

「ああ……まあ、それは子供達に会えば分かるさ」



 やがて馬車は、一件の大きな商店の前で止まる。


「ここなら値段も安いし、大抵の物は揃う。その魔女みたいなフードは外して、清潔感のある服を何着か選べ」


 アーシャは一番安い麻のブラウスとスカートを一着ずつ、あとは布地を一反選ぶ。

「それだけでいいのか?」

「ええ、自分で作りますから」

 他にも必要最低限の物を手に取り会計へ向かうと、支払おうとするマリウスの手を止め、先程渡された分厚い封筒から一枚出し釣りを受け取った。


 試着室を借り、買ったばかりの服に着替えて出てきたアーシャを見てマリウスは思う。


 ……こんなに麻の服が似合わない女は初めてだ。

 くすんだ色の中で、美人画から抜け出た様な華やかな顔だけが、不自然に浮いている。

 隣に掛かっている絹のドレスの方が、余程彼女に似合うだろうにと。


 最後にアーシャは、ミュゼットの髪飾りを外して大切にしまうと、太いカチューシャで前髪を押さえ、商店を後にした。




 次に向かったのは銀行。

 アーシャの後を付いていく体格の良いマリウスは、まさしく用心棒に見えた。

 マリウスにヘイル国の手続き方法を教わりながら、先程の釣りだけを手元に残し、残りは全て神殿へ送金する。

 大金を手放し気持ちが軽くなったアーシャは、晴れやかな顔で馬車に乗った。


「あれだけあれば、郊外に小さな家の一件も買えたんだぞ。本当に良かったのか?」

「ええ。何処かに定住する気はないのです。他に使い道もありませんし」


 まだ若いだろうに、不思議な女だ。マリウスはつくづく思う。





 馬車で首都から三時間程かけてやって来たのは、緑溢れる郊外の森だった。

 よく似た白い二棟の建物の前で停まると、子供の甲高い声が聞こえてくる。

 マリウスはアーシャに手を差し出し馬車から降ろすと、建物を指差した。


「左が小児病院、右が孤児院。渡り廊下で繋がっていて、往き来が出来る。どちらも自分が院長だ」


 すると右の建物から、わあっと数人の子供達が飛び出して来た。

「熊先生!おかえりなさい」

「おかえりなさい!」

「熊先生!」


 熊……

 自分も感じていた彼の印象が、そのままあだ名になっていることが可笑しく、アーシャは下を向く。

 予想に反して子供達は彼を怖がることなく、むしろその見た目に愛着を持っている様でさえあった。


「おお、良い子にしていたか?」

 マリウスの足にぼふっと飛び込んだ女の子が、アーシャに気付き目を輝かせる。

「うわあ、綺麗なお姉ちゃん。熊先生のお嫁さん?」

 他の子供達も口々に叫ぶ。

「綺麗!絵本のお姫様みたい」

「先生のお嫁さんだ!」


「違うよ。このお姉さんは新しいお医者さんだ」

「そうなの?」

「後でちゃんと紹介するから、とりあえず部屋に戻りなさい」

「はーい」

 子供達は笑いながら、パタパタと建物へ戻って行った。



「スタッフの居住スペースは病院側にある。部屋に案内するから、とりあえず今日はゆっくり休むといい」

「いいえ、よかったら早速診させて下さい。脳腫瘍の子」




 病院の一室に入ると、小さな女の子がくるりとこちらへ向いた。


「熊先生!」

 一言も発していないのに、気配だけで彼に気付き笑う。


 だが次の瞬間──

「……誰か居るの?」

 不安気な顔に変わる。

 初めて会った時のミュゼットと同様、目の焦点が合っていないことから、ほとんど見えていないことが推測された。

「新しいお医者さんだ。君の目を診てくれる」

 マリウスは女の子の頭を優しく撫でながら、アーシャに近くへ来るよう目配せする。


 アーシャは彼女へそっと近付き、小さな手を取ると言った。

「はじめまして。熊先生のお友達のお医者さんです。私の名前は……二つあるの。エラとアーシャ。あなたの好きな方で呼んで」

「……ほんとにどっちでもいいの?」

「ええ」

 女の子はアーシャの顔を見て少し考えた後、楽しそうに答える。

「じゃあ……アーシャ先生にする」

「ありがとう、呼んでくれて嬉しいわ。あなたのお名前も教えてくれる?」

「ルカです。よろしくおねがいします」

 まだ3歳とは思えない、大人びた、はきはきした声で頭を下げた。


 艶やかな黒髪に、幼いながらも既に整った目鼻立ち。

 高貴な宝石の様に真っ青な瞳は、神秘的で、ミュゼットと同じ深い海を思わせた。


「ルカ、素敵なお名前ね」

「先生……ルカの目治る?もう、あんまり見えないの」

 アーシャは小さな肩に手を置くと、青いを真っ直ぐ見ながら話し出す。

「お医者さんはね、“絶対”はお約束出来ないの」

「どうして?」

「人の身体は神様がおつくりになったものだから。神様以上のことは出来ないし、分からないのよ」

「そうなの」

「ええ。でも良くなる様に、ルカの目と沢山お話することは出来るわ。先生にそのお手伝いをさせてくれる?」

 ルカはこくりと頷く。

「ありがとう。じゃあ早速、お目々にご挨拶させてね。……はじめまして、青い綺麗なお目々さん。私はアーシャ先生です。あなたのこと、色々教えて下さいね」

 緊張がほぐれ、にこにこ笑うルカに、アーシャは優しく語りかけながら手をかざしていく。


 それを見ていたマリウスの金の毛の下にも、優しい微笑みが浮かんでいた。

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