第4話 ~心~


「マリウス」


 ミュゼットの呼び掛けに振り向いた……男?に、アーシャは目を疑う。


 人間……なのだろうか。

 髪だか髭だか判別が出来ぬ程、金色の毛で覆われた顔。

 長身で肩幅が広く、全体的に筋肉質で威圧感のある身体つき。

 それはまるで……


「ごめんなさいね、ちょっと散歩していたの」

「こちらこそ突然来てすまない。腫瘍の治療をしているという手紙を見て、慌てて来たんだ」

「いいえ、嬉しいわ。あ、紹介するわね。こちら私の主治医のエラ先生。で、あちらが従兄で医師のマリウス。小児病院で働いているのよ」

 金色の毛の隙間から僅かに覗く目は、じろじろと不躾ぶしつけにアーシャの全身を眺め、一言だけ言った。

「……よろしく」

「よろしくお願い致します」

 それきりふいと視線を逸らすと、隣へ移す。

「ミュゼット、早速診させてくれないか」


 ミュゼットを椅子に座らせると、マリウスは巨体を包む粗末なシャツの袖をまくり、額に手をかざしていく。

 角度を変えては何度も探り、やがて頷くと手を下ろした。

「どう?すごいでしょ?」

「ああ……驚いたな。他の神経を傷付けることなく、腫瘍だけ正確に縮めている。だがそれだけでは視力を取り戻すことは出来ない。長い間機能していなかった、視神経の回復も同時に行われているんだ」

 マリウスは鋭い目を向けながら、アーシャへ近付いていく。


「あんた、どこで医術を覚えた。学校はどこだ?医師免許はあるのか?魔力は遺伝性のものか?」

 尋問の様な勢いに、アーシャはたじろぐ。

「マリウスったら、そんなに一度に聞いたら困ってしまうわ。先生のプライバシーもあるのだから」

 ミュゼットの声に、マリウスは少し下がると首を振った。

「何故先に俺に相談しなかった。治っているから良いものの……何かあってからじゃ遅いんだぞ。大切なお前の治療を任せるのに、得体の知れない奴をいきなり宮殿に引きずり込んで」


「お言葉ですが」


 突如発せられたアーシャの声に、マリウスがピクリとする。

「皇室命令だと仰り、一方的に私を宮殿へ連れて来られたのはそちらですよ?私に医師免許があろうとなかろうと、よく調べもしなかったそちらに落ち度があるのでは?契約書にも医師免許の有無については記載されていませんでしたし。以上のことから、出自や経歴について答える義務は、私には一切ございません」


「……なんだと?」

「そうよ!先生の言う通りだわ」

 ミュゼットが声を上げる。

「私が一方的にお願いしちゃったんだから!免許があろうとなかろうと、治っているんだからいいじゃない。それに、私は先生を信頼しているんだから問題ないわ」

「信頼!?じゃあ何故この女は自分に……」

 言い掛けて口をつぐむと、マリウスはアーシャににじり寄る。

「契約書がどうだろうと、下手な治療をして万一皇族を害せば、あんたは処罰を受けるぞ」

「構いませんよ。吊るすなり、切るなりどうぞお好きに。ただし契約はひと月更新ですので。その分のお給料は、必ず神殿へ送って下さいね」

「もちろんよ、必ず送ります」


 火花を散らす二人に、ほわほわと笑うミュゼット。

 何とも不思議な空気が室内に流れた。





 マリウスが出て行った部屋に、侍女がお茶を注ぐ音が穏やかに響く。


「ごめんなさいね、マリウスはちょっと無愛想で。根は良い人なのよ?」

「いえ……気にしていません」

「そう?良かった。彼は子供達にとても慕われているお医者さんなの。さあ、どうぞ召し上がって。お詫びの気持ちです」

 生クリームと苺がたっぷりのったケーキを差し出される。


 そういえば小児病院の医師と言っていたが……

 あの見た目と性格で、子供の相手が務まるのだろうか。


 アーシャは額を押さえる。


 何故だか、さっきはつい感情的になってしまった。此処へ来てから、心を乱されることが多い。

 ──ただひっそりと、神に罪を悔い改め、死を待ちたかっただけなのに。

 生きるということは、人と関わるということは、こんなにも心がすり減っていく。

 皇女の治療が終わったら、誰も来ない山奥で一人静かに暮らそう。


 そう心に決めていた。






 それから二ヶ月後、ミュゼットの全身に手をかざし、慎重に診察するアーシャの姿があった。


「……問題ありません。これで私の治療は全て終了になります。視力は弱いですが、リハビリ次第ではまだ少し改善される可能性もあります。続けてみて下さい」

「……充分よ!ありがとう、先生……本当にありがとう」


 涙を流しながら、アーシャを抱き締めるミュゼット。

 ……が、横からすっと逞しい腕が伸び、ミュゼットを引き離すと勝手に診察を始めた。


「うん、問題ないようだな。だが今後、治療による何かしらの後遺症が出ないとも言えない。その際はあんたに責任を取ってもらう」

 毛の中から放たれる眼光に、アーシャはうんざりする。

「どうぞご自由に。月に一回、ご様子を窺うお手紙をお送り致します。私が死ぬまでは決して欠かすことなく。何かあればお知らせ下さい」


「貴女は神殿へ戻るの?」

「……分かりません、少し自由になって考えます」

「そうね、三ヶ月も此処に居てもらったんだもの。旅をして、美味しい物でも食べてね。はい、これは皇室からの謝礼です」

 アーシャの手に分厚い封筒が渡される。

「ありがとうございます」

「あと、これは私から」

 ミュゼットはアーシャのフードを取ると、長い前髪を掬い、何かでパチリと留めた。

「ああ、やっぱり似合うわ!はい、どうぞ」

 ミュゼットに渡された手鏡を覗くと、額の横に美しい髪飾りが留められている。金に大きな赤い石が輝くそれは、一目見て高価なものだと分かった。

「貴女、お金だと全て神殿に寄付してしまうでしょう?だから私からは、何か物を贈りたかったの」

「これは……受け取れません。私には分不相応ですし、もう充分頂いていますから」

「要らなきゃ売ってお金に替えてちょうだい。とにかくもう着けちゃったんだから貴女の物よ。見える様になってから、宝石にも色々な赤があることが分かってね。この赤は貴女のの色を、一番引き立ててくれると思ったの」


 アーシャが躊躇い外そうとすると、思わぬ声が上がった。

「受け取っとけよ。あんたはミュゼットの人生を変えたんだ。その医術に見合った、妥当な報酬だ」

「そうよ!足りないくらいだわ」

 二人の言葉に、アーシャは髪飾りからすっと手を下ろし、頭を下げた。

「……では、ありがたく頂戴致します」


 ミュゼットはうんうんと嬉しそうに微笑むと、アーシャの顔に触れた。

 もう見えるというのに、以前と同じ様に、手で目や鼻や唇の形を確かめる。


「やはり貴女は、とても綺麗よ、アーシャ。いつかまた……今度は私から会いに行くわ」


 ──もう二度と会うことはないだろう。

 アーシャは見納めにと、ミュゼットの海の様な瞳を目に焼き付けた。





 大金を持っているからという理由でミュゼットから用心棒を頼まれたマリウス。アーシャは渋々それを受け入れ、同じ馬車に乗り込んだ。


「で?何処に行くんだ?」

「生活用品を買える店ならどこでも。そこで降ろして下さい」

 彼もこんな醜い女とは、さっさと別れたい筈だ。


「あんたの荷物、それだけなのか?」

 マリウスはアーシャの小さなボストンバッグを見る。

「ええ。宮殿では全て用意して頂きましたし、何も不自由はありませんでした」

「そうか。……買い物を終えたら、ちょっと付き合って欲しい所があるんだが」

「……何処へ?」

 アーシャは怪訝な顔をする。

「うちの病院だ。ミュゼットと同じ、良性の脳腫瘍で失明寸前の子供が居てね、その子を診てもらいたいんだ」

「大切なお子様を、得体の知れない奴に診させてもよろしいんですか?」

「あれは……悪かった。あのミュゼットが信頼して傍に置いていた程だ。あんたは悪い人じゃないだろう」

「“あの”?」

「ああ、ミュゼットは目が見えなかった分、人の内面を汲み取る力が強くてね。傍に置くのは本当に限られた人間だけだ。だからあんたみたいな……失礼。初対面の人間をいきなり主治医にするのは、余程心を許したからなんだろう。医術が優れているだけでは、絶対に傍に置かない」


 出会った時から朗らかで、社交的に見えたミュゼット。

 だが、思い返せば、自分と侍女二人としか接しているのを見たことがない。

 マリウスの言う通り、得体の知れない自分の一体どこを気に入ったのだろうかと不思議に思う。


「で、診てくれるのか?皇室程ではないが、謝礼も支払うし衣食住も保証する」

「その子は何歳ですか?」

「3歳。女の子だ」


 本当は一刻も早く、一人になりたい。

 だが……もし自分が診なければ、幼いその子の人生が変わってしまうかもしれない。

 またしても心が乱される。


「……分かりました。但し、その子が治ったら、私を自由にして下さい」

「ああ、約束する。ありがとう」

 毛に埋もれた彼の顔は、笑っている様に見えた。


「ところで……子供に会うなら、その魔術を解いてくれないか?」

「え?」

「あんたが自分にかけているその催眠魔術だよ。気味が悪くて仕方がない。何か事情があるんだろうが……そのままだと子供が怖がってしまう」

「気付いていらっしゃったんですか?」

「これでも一応医師だからだな。だから最初はあんたのことを警戒していたんだ」


 自分を醜く見せる催眠魔術を施すことで、人と距離を置きたかった。

 でも……神官様も皇女様も、そんな私を傍に置いてくれた。


「うちには子供達と、信頼出来るスタッフしか居ない。だから、魔術を解いてくれないか?」


 そしてこの人も、自ら私に関わろうとしてくる。もはや外見など、何の意味もないのかもしれない。


「……はい」


 アーシャは自分に手をかざし、催眠魔術を解いていく。

 重く淀んだ霧が晴れていくと、マリウスの前に新しい女性が現れる。


 美しい、切れ長の鳶色とびいろの瞳に見つめられ、マリウスは言葉を失った。

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