第3話 ~色~
何故話してしまったのかは分からない。
ただ、彼女には自分を偽りたくない、自分をさらけ出してしまいたい、そんな感情に駆られたのだ。
「アーシャ……アーシャ!なんて素敵な響きなの」
ミュゼットはうっとりと手を組む。
「エラも悪くなかったけど、貴女はやっぱりアーシャね。ずっとしっくりくるわ」
アーシャは生まれて初めて、自分の名前が尊いものに感じていた。
「教えてくれてありがとう!二人きりの時は、貴女をアーシャと呼んでもいい?」
「はい……どうぞご自由に」
他人の容姿になど興味がないアーシャ。
かつて愛した
だが、ミュゼットの海の様な瞳を、アーシャは心から美しいと感じていた。
『あんた、やめてえ!やめて下さい』
『うるせえ!もう一度逆らってみろ!殺してやる』
やめて……母さんを殴らないで。
母さんが死んじゃう……お願い、お願い。
縮こまり、ガタガタ震える私の前に、誰かが立つ。
『大丈夫?』
柔らかい風が吹く。
見上げれば愛しい水色の瞳。
良かった……生きていたのね。やはり悪い夢だったのね。
手を伸ばそうとすると、彼は言う。
『アーシャ、君は、僕の自慢の友達だけど……』
冷たい、氷の刃をあてられる。
『死んでくれ』
ベッドが揺れる程、荒い息をしながらアーシャは跳ね起きる。
“アーシャ”
本当の名を口にしてしまったせいだろうか。今夜の夢はいつもよりリアルで辛い。
汗か涙か……ぐっしょりと濡れる枕に倒れ込む。
高い天井を見上げ、暫くぼんやりした後、自分にヒーリングの魔術を施していく。
目を閉じて……何も考えず……無になって。
こうするといつも、深い闇が眠りを
まるでミュゼットの瞳の様に──
翌日、目の診察を終えたアーシャにミュゼットは言った。
「大丈夫?具合でも悪いの?」
「いえ……少し、寝付けなかっただけです」
「何かあったら遠慮なく言ってね。私には貴女が此処で快適に生活出来る様に、気を配る義務があるわ」
「はい、御気遣いありがとうございます」
「ちょっと一緒に付いて来て欲しい場所があったんだけど、今日は止めておいた方が良さそうね」
「私は構いませんが……外出ですか?昨日施術を行ったばかりですので」
「いいえ、宮殿内。じゃあ一緒に来てくれる?」
ミュゼットはアーシャの腕を掴むと、無邪気に笑った。
黒い大理石の廊下を、二人寄り添って歩く。
右手に杖、左手にアーシャの腕を持つミュゼットは、嬉しそうに言う。
「貴女の腕ってすごく安心感があるわ。細いのに骨がしっかりしていて、それに背も高いしね」
「そうですか」
「ドレスを着たらきっと映えるわね。そのフードも個性的で悪くはないけど」
「服に興味はありません。身体を保護してくれれば、それで」
「そうなの?私は服が好きよ。良い服に包まれれば、それだけで一日何だか楽しい気分になるし。今までピンクは可愛いとか、色は教わった情報で何となくイメージしていたけど、やっと本物が分かる様になったんだもの。これからうんと服選びを楽しむつもり」
歩きながらも、ミュゼットのお喋りは止まるところを知らない。耳を傾けながら進むと、前から女性が歩いて来るのに気付く。
着ているドレスと侍女らしき女性を連れ立っていることから、身分が高いことが窺えた。他の皇女だろうか。
──が、ミュゼットが近付くとすっと脇に避け、通り過ぎるまで頭を下げている。
彼女らから離れた所でミュゼットは言った。
「さっきの方ね、私の姉なの。第6皇女様。だけど生母の御身分が低いから、ああして妹の私にも礼をとるのよ。おかしいわよね?姉なのに」
どうやら一夫多妻制をとるこの国の宮殿には、複雑な人間関係がある様だ。
「この宮殿、何だか巣みたいじゃない?見える様になった今、尚更そう思うわ。愛のない冷たい巣。だからみんな、寂しさを紛らわす為に贅沢するのよ」
「……巣ならまだいいかもしれません。私の家は檻でしたから」
「檻……」
まただ。アーシャは思う。何故ミュゼットと居ると、思わぬことを口走ってしまうのだろう。
自分のことなんて、話したくもないのに。
そうしている内に、どうやら目的の場所へ着いた様だ。
ミュゼットら皇族の部屋と全く同じ、大きな黒い扉の前に立つと、鍵を差し込みゆっくりと開けた。
「此処は母の部屋だったの。出産する時、お腹の弟か妹と一緒に亡くなって以来空き室で。縁起が悪いからって、他の側室は誰も使わないのよ。だから私がもらったの。目が見えない時は今の部屋の方が位置的に便利だったんだけど、治ったらこちらへ移る予定よ」
カーテンなどの布製品はやや色褪せ年月を感じるが、定期的に清掃されているのか、埃などは積もっておらず綺麗な状態だ。
ミュゼットは奥へ進むと、陽が差し込む細いガラス戸を開け、アーシャを手招きする。
開かれた先には、箱の様な小さな中庭。
だが、思わずあっと声を上げてしまいそうになる程、そこは色で溢れている。
赤、白、黄、ピンク、紫──
色や種類ごとに分かれ、模様を描く様に美しく整えられている。
黒を基調としたこの無機質な宮殿では、この空間が逆に異様に感じた。
「父……皇帝陛下は花がお嫌いだから、侍女とこっそり此処で育てたの。いつか目が治ったら、色んな色を見たいと思って」
声を震わせるミュゼット。その目には涙が浮かんでいる。
「色が分かる様になってから、此処に来るのは初めてなの。花がこんなに綺麗だったなんて……」
ミュゼットはしゃがむと、花の一つ一つに話し掛ける。
「あら、あなたはこんなに優しい色だったの。もっと鮮やかだと思っていたわ。あなたは花びらの形と色がピッタリね、とても素敵」
蝶の様にヒラヒラと飛び回り、ある花の前で止まるとアーシャを呼んだ。
「ねえ、この子は水色でしょ?」
そこには愛らしいブルースターが咲いていた。
「私、水色のイメージがどうしても掴めなくて。清らかとか教えてもらっても全然ピンと来なかったの。見える様になって、水色の物を見てみたけど何か違う気がして……でも今この子を見て、やっと水色を理解出来たわ。本当に清らかで美しい色ね」
アーシャはその花の色に、愛した人の瞳を重ねていた。
張り裂けそうな痛みに襲われ、すっと目を背けると、ミュゼットへ言う。
「長時間、陽に当たるのはあまり良くありません。そろそろ御部屋で休みましょう」
部屋へ戻ると、扉の前に侍女が立っている。
「皇女様、マリウス様が御部屋でお待ちです」
「マリウス?珍しいわね、突然来るなんて」
ミュゼットはアーシャへ囁く。
「ほら、前話したでしょ。私の従兄で、腫瘍に気付いた医師」
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