白い天使と夢魔の夜
加藤ゆたか
白い天使と夢魔の夜
どこを歩いてそこに辿り着いたのか。
私は何かから逃れるようにさまよい歩いた。目的地などない。
ただ、私のことなど誰も知らない土地へ——。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
どうやら私は道の真ん中で倒れてしまっていたらしい。
ひんやりと冷たい土の感触と、吸い込んだ地面の匂い。
私は自分の体を確かめながら、ゆっくりと地面に手をついて起き上がる。どこにも痛いところはない。幸い、倒れた時に怪我はしなかったようだ。
「水、飲みますか?」
先ほどから何度も何度も心配そうに私に声をかけてくれているその人の姿を確かめた。
白い髪、白い肌で幼い顔立ち……。少女か。
私は少女から水の入った袋を受け取ると口をつけて礼を言った。
「……ありがとう。」
「よかった。」
少女は安心したようにほっと息を吐くと、天使のような微笑みをこぼした。
私が少女に水袋を返して立ち上がり、またあてのない旅を続けようと歩き出した時、少女が私を呼び止めた。
「あの、お姉さん。もしもよろしければ、私の村で休んでいきませんか?」
「村?」
「だって、とても疲れているように見えたから。放っておけなくて。」
「……。」
私が他人からどのように見えているか……、もうずっと考えたことはなかった。きっと、少女の目にはとても酷く、醜く、みすぼらしく映ったことだろう。
少女が走り寄ってきて、私の服を掴む。
「せめて食事だけでも。」
「……そうね。」
この純粋な少女の申し出を断る理由も私にはない。
少女は上目遣いで私を見る。透き通るような白い肌の美少女にこんな表情をされたらきっと、男ならまいってしまうことだろう。
◇
「若者がいないのね。」
少女に連れられて訪れた少女の村は老人ばかりだった。
少女はリータと名乗った。
この村にいる子供はリータ一人。老人たちに囲まれて無邪気に笑うリータ。リータは村の老人たちからとても可愛がられているようだった。
リータが純粋さを保っているのはこの特殊な環境ゆえか。
私はリータに招かれた家で、久々に口にした肉を噛みながらそんなことを思った。
「それで、あんたはいつまでこの村に?」
食卓の斜め向かいに座る老人が私に声をかける。その声に歓迎の色はない。
「明日にでも旅立ちます。」
「それがいい。」
余所者への不信感を隠しもしないな。
まあ、私だってこんなところに長居をするつもりは毛頭無い。
老人たちの私を見る目など気づきもしないリータが笑顔で私に言う。リータは老人たちとは対照的に私にとても懐いていた。きっと比較的、歳の近い私の存在が珍しいのだろう。確かにこんな老人ばかりの村では息が詰まる。
「お姉さん。お風呂いかがですか?」
「……頂こうかしら。」
上等な布を携えたリータからの提案。
老人たちの冷たい視線を感じるが、それが逆に私に今日だけは最大限リータの厚意に甘えてやろうという気持ちにさせていた。
老人たちはリータを止めはしない。リータに気に入られている私に露骨な嫌がらせはできないらしい。
何ヶ月ぶりの風呂か。逃避行を始めてから体を拭くだけの日々だった。熱い湯に体が溶ける。
私は自分の赤い肌を撫でて、リータの白い肌を思い出す。私にもあのような頃があったか。いや、無かったな。
「……誰?」
私は風呂の窓の外、動く人影に気づき声をかけた。
影はさっといなくなった。
覗きかよ……。
どうやら、まだ男のつもりの老人がこの村にもいるらしい。
「はあ……。」
やっぱり明日、去らせていただこう。
世捨て人のような私でも自分の身の危険は避けたい。
リータには充分に礼を言って。
◇
リータは私のために部屋を用意していた。
生活感のある部屋。客人用のものではない。ここは……。
「お姉さん、ごめんなさい。私の部屋しかなくて。」
「いいえ、助かるわ。」
リータの部屋。きっとこの部屋がこの村で一番高級な部屋だ。部屋の造りも、装飾も、置かれている物すべてがこの村に似つかわしくない。
「リータ。あなた、ずいぶん大事にされているのね。」
「……きっと私が神様のお供えものだから。」
「お供え?」
「はい。私、来年には神様のものになるんです……。」
なんと馬鹿げた風習の残る村だ。少し寂しそうに語るリータに、私は声をかけられなかった。
こんな儚げな少女を殺し、老人たちは自分たちだけ生き続けるつもりなのか。怒りがこみ上げてくる。しかし、私にはどうすることもできないし、するつもりもなかった。
リータをこの村から連れ出すことは簡単だろう。だが、その後はどうする? 私がリータを養うことはできない。村から離れたリータに生きていく力は無い。娼婦に身をやつして、数年で死ぬだろう。
それならば、この村で幸せなまま死んだ方がいいのだ。私にリータの運命を変えるなど、そんな責任を負うことはできない。
「……ありがとう。休ませてもらうわ。」
私がそれだけ言ってリータの用意してくれた毛布に身をつつむと、
「ゆっくり休んでください、お姉さん。」
リータがそう言って部屋を出て行こうとしたので、私は驚いてリータを呼び止めた。
「ちょっと待って。ここはあなたの部屋でしょう? どこに行くの?」
「あ……、私は今日は馬小屋に泊まろうかと。」
「そんな、命の恩人にそんなことさせられないわ。それなら私が馬小屋で寝るから。」
「いいえ、それでは申し訳ありません。お姉さんはお客様だし。」
「……それなら一緒に寝ましょう。」
私はリータの手をとって寝床に引き入れる。
細い腕だ。
若く、スベスベしてきめの細かい肌だ。
私はリータを毛布の中に入れて一緒にくるまった。
リータと私は向かい合わせになって横になったので、リータの息づかいが私の肌をくすぐった。私は今、リータの鼓動が聞こえるくらい近づいている。
「お姉さん……。」
「なあに?」
「ごめんなさい。」
「何が?」
白いリータの頬が桃色に染まっているのを見た。
「お風呂……。」
「風呂?」
リータの瞳が私の胸元を見ていることに気付いた。そうか、風呂で私の裸を覗こうとしたのはリータだったのか。
自分と同じ若い女の体が珍しくて興味を持ったのか。それともリータは男?
私はリータの胸元と股間にそっと手を這わせて確かめた。
あー……男の子だな。寝床まで引っ張り込んでおいて男だったなんて洒落にならない。
私は気付かなかったふりをして目を瞑った。
「あ、あの……お姉さん?」
「どうしたの?」
「今、私の体を……。」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと確かめたくて触ったわ。」
リータの潤んだ瞳が可愛らしい。これで男の子だなんて詐欺だ。
「あの……体を人に触られたのは初めてで……。」
「んー……。」
リータは大事にされていたようだし、それはそうだろうな。軽率だったか。リータはいつの間にか涙を流していた。
「私も……、お姉さんの体に触ってもいいですか?」
「……えーっと。」
さすがにまずいと思うが。
「お願いします……。」
「……まあ、少しだけなら。」
私はリータを汚したことに少し罪悪感を持っていたので、リータの涙ながらのお願いを受け入れてしまった。
リータが私の胸に手を伸ばし、私の胸を揉む。
白い髪、白い肌の美少年に泣きながら胸を揉まれる女……。どういう場面だこれは。
「お姉さん……!」
リータの腰がもぞもぞと動いている。完全に私に発情してるじゃん。
まあ、この子も童貞のまま神様の元に行くのは未練が残るだろう。私がいただいておくか。
私はリータを抱きしめてキスをした。
◇
翌朝、私の横で冷たくなっているリータの頬にそっと手を触れる。
この子、こんなに男の顔だったかな? でも何故だかもう興味は沸かない。
魔法は長くは続かない。男の子が天使でいられる期間は短い。それなら天使のうちに殺してしまった方が幸せなのだ。
そう思うと、この村の老人たちと私の意見は一致する。
私の場合、別に殺したくて殺してるわけじゃないけどね。彼らが勝手に私に命を捧げてくれるだけで。
「さあて、元気も取り戻したし、また追っ手が増えるのも面倒だし、もう一仕事して行こうかな。」
私はナイフを手に取って、そっと部屋を出た。
白い天使と夢魔の夜 加藤ゆたか @yutaka_kato
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