第24話 居心地が良い

「…………疲れた」


 放課後。

 

 ヨボヨボと図書準備室に向かう奏太の足取りは重かった。

 特別、授業がハードだったという訳ではない。


 バスケの一件で悠生と微妙な感じになった事があって、いつも以上に気を張っていたのだろう。


(はやく、本の世界に入って落ち着きたい……)


 そんな気持ちだった。


「よっ」


 図書準備室に入るなり、いつもの席で本を広げる文月に挨拶をする奏太。

 普段なら「どうも」と返ってきたり、最低でも軽い会釈をしてくれる文月だったが。


「…………」


 文月は奏太に一瞥も寄越さず無言だった。

 無視された、というニュアンスの方が近いかもしれない。


 読書に集中しているのかと思ったが、そうではない気がした。

 定席に荷物を置いてから、奏太は言葉を投げかける。


「やー、今日も寒いねー」

「……」

「今日夕方から雨降るって知らなくてさー、傘忘れちゃったんだよね。ミスったミスった」

「…………」

「そういえばそろそろテストだよね、勉強してる?」

「………………」


 流石にここまで露骨だと、距離を取られている事に気づく。


「なんか、怒ってる?」

「…………別に、怒ってませんよ」


 言葉とは裏腹に、語気には棘があった。


「嘘だ、絶対に怒っている」

「しつこいです。怒ってないですから、気にしないでください」


 そう言われてそっかー怒ってなかったかー、よかったよかったと安心出来るわけがない。


 女の子の感情と言葉は真逆であると、奏太の少ない女性経験が警鐘を鳴らしていた。

 文月が何に対してお怒りなのかは察しがついている。


 もとより謝るつもりだったから、奏太は恭しく頭を下げた。


「昨日は、ごめん。不快な思いをさせちゃって」


 奏太が言うと、文月がそっと息をつく。


「別に、気にしなくていいですよ。この前も言いましたが、社会的動物である人間である以上、自分の居場所を守る事は当然ですから。それと、あのまま綾瀬さんに妙な誤解を持たれてしまっても、私の方が困ってましたし。その状況を回避してくれた清水くんを、私が責める道理はありません」

「そ、そっか。なら、良いんだけど……」


 理屈では確かに筋は通っていて、表面上では文月はもう気にしていないように見えた。


 でも、何故だろうか。


 なんとなく、文月はまだ何かわだかまりを抱えているような気がした。


「実は、怒ってる理由……他にあったり、しない?」


 ほとんど直感で尋ねてみると、文月は驚いたように目を見開いた。

 しかしそれは一瞬のことで、すぐに表情を戻して言う。


「良いんですよ、本当に。気にしないでください」

「でも……」

「……もとより私が、勝手に幻想を押し付けて、勝手に落ち込んだだけなので」

「げんそ……どういう事?」

「こっちの話です。とにかく、もう良いですから。この話はこれで終わりです」


 キッパリと拒絶の意志を示されたので、奏太はこれ以上の追求を諦めた。

 これ以上深掘りすると文月の機嫌を余計に損ねてしまうだろう。


「全然話が変わりますが……清水くん、綾瀬さんと仲良いんですか?」


 先程までの刺々しい雰囲気も軟化していつもの調子に戻った文月が尋ねる。


「仲は良いよ。幼稚園の頃からの付き合いで、もう十年になるし」

「十年は長いですね」

「いわゆる幼馴染というやつだね。それがどうかしたの?」

「いえ……なんとなくですけど、清水くん、綾瀬さんに対しては接し方が違うように見えて、少し気になっただけです」

「あー……」


 言い淀む奏太に文月が不審げに眉を寄せる。


「もしかして、二人は裏社会で暗躍する暗殺者(アサシン)のタッグ……」

「小説の読みすぎかな?」

「冗談ですよ」

「こういう冗談も言ってくれるようになったんだね」

「たまにはそういう気分になる時もあります」


 すんとした顔で言う文月が妙におかしくて、奏太はそっと笑う。

 それから少し考えて、まあ別に隠すようなことでもないだろうと奏太は言う。


「澪は、俺の元カノなんだ」

「元カノ……昔、お付き合いをしていた関係という事ですか?」

「そうそう、中学の頃に少しだけね」

「なるほど、そういう……」


 合点のいったように文月が頷く。


「清水くんが女性の扱いに妙になれているのは、それが理由だったんですね」

「人を遊び人のように言うんじゃありませんっ。でも確かに、それはあると思う」


 実際、付き合った事によって女子について分かったことも色々あったし、経験値も色々と積み上がったと思う。

 

 色々な事があったが、今となっては良い思い出だ。

 懐かしい感慨に浸っていた奏太に、文月は尋ねる。


「付き合うって、どういう感じなんですか?」

「どういう感じ、かあ」


 思い出となった記憶を掘り起こしながら


「人それぞれだと思うけど、俺たちの関係は良くも悪くも無難って感じだったかな? 付き合うきっかけも、ずっと一緒にいるしお互いそれなりに好意はあったから、一回付き合ってみるかーみたいなノリだったし」

「そんな、軽い感じだったんですか?」

「中学生の恋愛だからねー、色々よく分かってなかったんだと思う。とはいえ付き合ったらするイベントの一通りはこなしたかな。放課後一緒に帰ったり、デートしたり……結局、これって結局友達でも変わんなくない? ってなって別れちゃったけど」


 自嘲気味に笑いながら奏太は続ける。


「まあ別に喧嘩別れしたわけじゃなかったし、友人として普通に好きだよねって見解はお互いに変わらなかったから、今では親友で理解者って感じだね」


 奏太が言い終えた後、文月はしばし考え込む素振りを見せて。


「……やっぱり、私には合いそうにない関係ですね」


 どこか期待はずれというか、ガッカリしたような面持ち。

 目を左上に向けて、文月は言う。


「フランスの作家、サン=テグジュペリは言いました。愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることであると」

「……えっと、つまり?」


 少し考えても文月の言わんとしている事がわからず、解説を求める。


「世のカップルたちを見ていると、私は思うんですよ。もっとお互いに真摯に向き合って、深い関係を築くべきじゃないかって。だって、恋は素晴らしいものであって、完璧なものであって、妥協していいはずがありません。夾雑物が入り込むような恋は、恋と呼んではいけません。そんな恋を認めたら、頑張って死力を尽くして本物を見つけて、そうして結ばれた人達が嘘になってしまう。徒労になってしま……」


 奏太がぽかんと呆気に取られていることに気づき、文月がハッとした。

 それから気まずそうに目を伏せる。


「……すみません、気を悪くするような事を」

「……あ、ううん、別に気は悪くしてないよ。そういう考え方もあるんだなって、勉強になったし、それに……」


 どこか気まずそうな笑みを浮かべて、 頭を掻きながら奏太は言う。


「本気で向き合っていなかった、というのはその通りだと思うから」


 文月の言う通り、本来であれば軽い気持ちで人と付き合うべきではないのだろう。

 しっかりと相手のことを見て、相手も自分のことを見てくれて、心の深いところで絆を作るべきなのだ。


 実情は、そうでない場合も多いけども。

 きゅっ、と文月は唇を結ぶ。


「フィクションの恋はあんなにも劇的なのに、なぜ現実はつまらないんでしょうね」

「逆じゃない? 現実がつまらないから、フィクションが面白い、みたいな」

「そうともとれますね」


 小さくて乾いた笑みを漏らしたあと、文月は魂が溢れそうなほど大きなため息をつく。


 輝きが灯しい、世界に対して何ら期待していないような瞳を見ていると、何か気の利いた言葉をかけてあげたいという気持ちが湧き出てくる。


「あんま深く考えずに一回さ、誰かと付き合ってみるとかどう? 案外楽しいかもしれないよ!」

「絶対にしません、する気もないです」


 きっぱり否定された途端、奏太の胸がちくりと痛む。

 その痛みの出どころを探る前に文月が続ける。


「まず、そういう関係になる相手がいません。私のような地味で根暗で面白みのない人間なんて、そもそも興味を持たれないでしょう」

「俺は持ってるんだけど」

「一時的なものですよ、きっと。……皆、そうでしたので」


 ぽつりと呟く文月。伏せられた瞳には寂寥めいた暗さが漂っている。

 この話は掘り下げてはいけないと、直感的に思った。


「でもぶっちゃけ、文月は前髪切って眼鏡もコンタクトにしてちゃんとすれば、絶対モテると思うよ! めっちゃ可愛いし」

「だから、そういう事を、軽率に、言わないでくださいっ」


 頬を赤め抗議の目を向けてくる文月に、奏太が「ごめんごめん」と笑う。

 全く反省していない様子だが、これが奏太の通常運転だ。


 諦めたようにため息をついて、長らく机に伏せられていた本を手に取る文月。

 奏太も倣って本を開いた。


 時折ぺらりとページを捲る音、自分以外の静かな吐息、そして窓の外でしとしとと降る雨音を聴きながら、思う。


(この関係は一時的なもの、か……)


 そうであって欲しくないと、奏太は思う。


 今日は悠生と軽く一悶着あってか、いつメンよりも文月と過ごす時間の方が居心地が良いように感じた。


 変に気を遣うことも、顔色を伺うこともない。

 

 大袈裟な言い方かもしれないが、ありのままの自分でいられる。

 それが何よりも心地良いと、奏太は実感し始めていた。

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