第8話 放課後の読書
放課後、文月に言われた通り奏太は図書室に訪れた。
本を読まない奏太にとって図書館は入学式の翌日に行われた学校案内以来で、足を踏み入れた途端どこか懐かしい気持ちになる。
「来たは良いけど……」
ぱっと見回すも文月の姿は見つからない。
本棚がずらりと並ぶ奥の方に足を運ぶと、たくさんの重たそうな本を一生懸命棚に戻す作業をしている文月を見つけた。
「手伝うよ」
肩から荷物を下ろして本を何冊か手に取ると、隣で作業が止まる気配がする。
「いえ、これは図書委員の仕事ですので」
「いいって、いいって。男手があったほうが早く終わるでしょ」
「ですが」
「のど飴のお礼ってことで」
「むう、では……」
貸し借りの精算はきちんとする性なのか、文月はそれ以上拒否することなく奏太の手伝いを受け入れた。
あいうえの順に本を並べてほしいという文月の指示に従って忠実に任務をこなすこと十分。
「ありがとうございました、助かりました」
ぺこりと、文月は礼儀正しく頭を下げる。
「どういたしまして。早く終わって良かった良かった」
「お薦めの本、でしたよね?」
「そうそう、また何か教えてほしいな〜と。あ、でも図書委員の仕事がまだあるよな」
「大丈夫ですよ、ちょうど今終わったところですし」
そう言って文月は小説コーナーに足を運ぶ。
「昨日購入した本と、同じような系統で良いですか?」
「頼む!」
それから文月のチョイスによって、奏太は一冊の本を借りる運びとなった。
「昨日の本と作者が同じなので、面白さの方向も似ているし、読みやすいと思います」
とのこと。
「ありがとう! 帰って早速読んでみるよ」
「夜更かしはし過ぎないように。また沖坂先生に怒られますよ」
「うっ、見られていたか」
「同じクラスでしょう。では、私はこれで」
「帰るの?」
「いえ、私は下校時間まで本を読んで帰ろうかなと」
「お、じゃあ俺も読んで帰る!」
奏太が意気揚々と言うと、文月は明らかに嫌そうな顔をした。
「え、何その反応?」
「念のためなのですが、まさか一緒に読もうとか言ってきたりしませんよね?」
「ダメなの?」
奏太が首を傾げると、文月はそれはもう大きなため息をついた。
「私がクラスの人たちになんて呼ばれているか、知らないわけじゃないでしょう?」
「図書館の魔女とかいうやつ? それが?」
「……私なんかと一緒に本を読んでいるところを他の生徒に見られたら、清水くん的に色々まずいでしょう」
「あっ、あー、そういう……」
合点がいった。クラスにおける奏太の立ち位置は、トップカーストに所属する人気者のひとり。
そんな奏太がクラスのカースト最底辺に属する、地味で本ばっか読んでる女子生徒と仲良く読書をしているところを見られると……どんな噂が立てられるかわかったもんじゃない。
少なくとも、悠生や陽菜からの追求は免れないだろう。
「俺は……気にしないけどね」
半分、嘘をついた。
人にどう見られているかを強く意識する奏太にとって、妙な噂が立つのは避けたい事態だ。
下手したら今自分が築き上げてきた居場所すら危うくなる可能性も孕んでいる。
でも一方で、もっと文月との距離を縮めたい、一緒にいたいという気持ちもあった。
その二つの気持ちがせめぎ合って、奏太はどっちつかずな返答をしてしまっていた。
「……私が、気にするんですよ」
文月は小さく言った後、何も言わずに歩き出す。慌ててその後を追う奏太。
ついてくるなとは、言われなかった。
「ここは……」
やって来たのは、図書室の奥にある扉の先。
文化部の部室くらいの広さの部屋で、壁際にはびっしりと本棚が並んでいる。
「図書準備室です。図書委員にだけ鍵を渡されていて、委員は私一人だけなので、人が入ってくることはありません」
「おお、すごい! 秘密の読書場じゃん」
「普段はここで本を読んでいます」
そう言って文月は鞄の中から一冊の文庫本を取り出す。
それから長机の端っこの席に腰掛け、無造作に前髪をかき分けヘアピンで止めた。
古ぼけた照明の元に晒された、ふたつの澄んだ瞳に奏太の視線が吸い寄せられる。
「……なんですか?」
「いや、随分と印象変わったなって」
「前髪が邪魔で読みにくいので」
「なるほど」
(前髪……ない方がいいなあ)
なんて感想を抱いていると、文月が尋ねてくる。
「座らないんですか?」
「え、いや、良いの? 俺もここ使って」
「使って不都合が生じることもないですし、怒られる事はないでしょう」
「じゃなくて、文月はいいの? その、俺と本を読むの、嫌じゃない?」
「自分から提案しておいて、今更なんでそんな不安げなんですか」
「いやー、はは。半ばノリと勢いで言ってみたから」
奏太が頭を掻いて言うと、文月はため息をついて言葉を空気に乗せる。
「うるさくしなければ、別に良いですよ。それよりも、貴方を追い返す労力の方が高そうですし」
「どんだけ俺しつこいと思われてんの!?」
「うるさいです。騒ぐようなら追い出しますよ」
「ごめんなさいすみません静かに本を読ませていただきます」
いそいそと奏太は先ほど借りた本を取り出し、文月の隣に座った。
「気が散るのでそんな近くに寄らないでください」
「ぐは、了解」
移動し、文月の斜め前の席に。
それでも文月は一瞬嫌そうな顔をしたが、やがて諦めたように息をついた後、本に視線を落とした。
どうやらこのポジションは許されたらしいぞと、奏太は心の中でガッツポーズをする。
それから奏太と文月は、黙々と読書に耽った。
と言っても、奏太の方はまだまだ読書に不慣れで、ページを捲るペースは遅い。
同じ空間に文月がいるという緊張感もあって、奏太の集中力は途切れ途切れだった。
(静かだなー……)
本から視線を上げてふと、奏太は思った。
微かに聞こえてくるのは、遠くで運動部が部活に興じる掛け声、時折ぺらりとページを捲る音、そして自分以外の静かな吐息。
普段、スマホでSNSをだらだら眺めたり、目まぐるしく画面が変わりゆくオンラインゲームに興じたりよりも、ずっと落ち着いた心持ちだった。
(こういう時間も、いいね……)
そう思いつつ、ちらりと、奏太は文月の方を見た。
背筋をピンと伸ばし、赤縁の眼鏡を光らせてじっと本を読む文月。
その佇まいは落ち着きと知的さを感じさせ、ずっと眺めていたくなるような不思議な魅力を纏っていた。
奏太自身が落ち着きのない性格をしているため、自分にはない静けさと流麗さを持つ文月の風柄に惹かれているのかもしれない。
「……何か?」
奏太の視線に気づいた文月がじっと眉を寄せる。
「いや、可愛いなーと思って」
奏太としては、何気ない一言のつもりだった。
陽菜のメイクがバッチリ決まっている時に言う『今日めっちゃ可愛いじゃん』とかと同じくらいのテンションで言った言葉だった。
「か、かわっ……」
しかし、他人からプラスの評価を貰ったことがほとんどないであろう文月にとって、奏太が紡いだ言葉は絶大な威力を発揮した。
「おちょくるのはやめてくださいっ。私は今、読書に集中しているんです」
染みひとつない白い肌をほんのりいちご色に染めて抗議する文月。
そんな反応が返ってくるとは思っていなくて、奏太はたじろぐ。
「あ、ああ……ごめん、邪魔しちゃって」
「全くです、もう……」
表情に動揺を残したまま、文月は読書に戻る。
これ以上見ていたら本気で怒られそうなので、奏太も視線を本に戻した。
(お世辞じゃ、無いんだけどなあ……)
思いつつ、奏太は先ほどの文月の狼狽えっぷりを思い返す。
(そんな表情も、出来るんだ……)
異性の純粋な照れを見るのはいつぶりだろうか。頬がひとりでに熱くなる感覚。
自分がわかりやすく文月のリアクションを『可愛い』と思ったことに、奏太の胸はざわざわと音を立てた。
それから下校時間まで本と睨めっこしていたが、不思議なことに全くと言って良いほど内容が頭に入ってこなかった。
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