第4話 寄り道
「じゃ、また明日な」
「そーちゃんじゃーねー!」
「おーう、じゃあねひなたそ、悠生」
陽はすっかり暮れて夜。駅前で陽菜たちと別れたあと、奏太はひとりで帰路を歩く。
「ちょっと歌いすぎたかな……」
ヒリヒリする喉に手を当てて小声を漏らす。
カラオケはなんやかんやで楽しかったけど、盛り上げ癖が災いして喉がイガイガだ。
自分の歌う曲よりも、陽菜が歌うドルソンの合いの手の方に全力を尽くしてしまったので無理はない。
「うう、さぶっ……」
急に身震いがして自分の体を抱き締める。
さっきまで皆との会話に夢中で忘れていた肌寒さが一気にやってきた。
「早く帰ってゲーム、ゲームっと……」
最近熱を入れているFPSゲームを思い浮かべながら、小走りに家に向かう。
不意に、足が止まった。昨日文月と出くわした書店の前で。
「…………」
また文月に会えるかも、という下心がなかったと言えば嘘になる。
というか嘘としか言いようがない。奏太に紙の本を買う習慣など皆無なのだから。
吸い込まれるように奏太は店内に踏み入れた。
書店特有の、紙とインクの匂いに懐かしさを覚えながら店内をうろうろしていると、お目当ての人物はすぐに見つかった。
通常の本棚の下の大きな引き出しから本を取り出し、上の棚にせっせと並べている。
「よっ」
ぴたりと、本を持った手が止まり、代わりに小さな頭が奏太の方を向く。
「……入荷の連絡をした覚えはありませんが」
奏太を見るなり文月は分かりやすく警戒心を露わにした。
「ああいや、別にその件を聞きに来たわけじゃないよ」
「では、ご用件はなんでしょうか?」
「特に用事があるという訳でもないけど」
「そうですか、では忙しいので」
まるでオートロボットの返信みたく無機質に返した後、文月は引き出しから本を取り出す作業に戻った。
「それ、何しているの?」
「補充です。売れてスペースが出来たところに、新しい本を入れているのです」
「へええ、なるほど。下の引き出しって何が入っているんだろうって思っていたけど、そういう仕組みなんだ」
「書店員の立派な仕事の一つです……というか、なんか声枯れてませんか?」
「おおっ、よくわかったね。実はさっきまで陽菜たちとカラオケを決めてて、叫びすぎちゃって」
「ああなるほど、カラオケ。パリピの遊びをしていたようで」
「パリピて。高校生なら普通でしょ」
奏太が言うと、文月は目を左上に向けてから口を開く。
「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションである」
「え、なんて?」
「相対性理論を提唱したアインシュタインの名言です。普通、常識といったものは人によって大きく異なります。自分が普通だと思っている事のほとんどは、世間の一般的な感覚から大きくかけ離れているのです」
「な、なるほど、確かに……なんも考えずに普通って使ってたけど、言われてみるとすげーしっくりくる言葉だ……」
「ご理解いただけたようで何よりです」
「というか、よく知ってるねそんな名言」
「本で読んだだけです」
無表情ながらもどこか得意げに言ってのける文月に奏太は素直に感嘆の情を抱いた。
「さすが読書家……」
「褒めても何も出ませんよ」
「じゃあ今度一緒に行こう、カラオケ!」
「どういう文脈からそんな提案が出てくるんですか。行きませんよ、なんで貴方と」
「そっかー、残念。ところで本、好きなの?」
「書店員をするくらいには」
「だよね! 週にどれくらいここで働いてるの?」
「三日か四日くらいでしょうか……というか私、忙しいのですけど」
睨むような視線とセットで言われると、遠回しにどっか行けと言われているのがわかる。
これ以上は迷惑になるから帰らないと、という気持ちと、でももっと文月と話をしたいという気持ちがせめぎ合って。
「ねね、初心者でもスラスラ読める本、なんかない?」
文月の手が止まる。
「……急になんですか」
澄んだ双眸が訝しげに細められる。
ほとんどなんも考えずに出てきた質問だったので、理由を聞かれても返答に窮してしまう。
「え、えっと、なんとなく読書に目覚めたというか? やっぱこういうネット社会だからこそ、紙の本を読んでおくのも良いかなと思って、うんうん」
二秒で考えた出鱈目を文月はどう受け取ったのはわからない。
しかし結果的に文月はひとつ小さなため息をつき、引き出しをガラガラと元に戻してから立ち上がった。
「お客様に本をお勧めするのも、書店員の仕事のひとつです」
何も言わず歩みを始める文月の後ろを慌ててついていく。
小説コーナーに来てから、文月が尋ねてきた。
「清水君は、どんな物語が好みですか?」
「んー……とりあえず面白いやつ!」
「好きな食べ物は何、と聞かれて美味しい食べ物と答えるのですか貴方は」
「あ、ごめん、ざっくり過ぎた!」
「お気になさらず。清水君の知能レベルを推し量れなかった私の責任ですので」
「ちょい待てなんか俺今すっげーディスられた?」
「気のせいです。質問を変えます、漫画はよく読みますか?」
「漫画なら結構読む!」
「どういったものを?」
「ファンタジーとかバトルものとか……」
「動きと迫力があって分かりやすいものが好き、と。ストーリーで言うと、どんなものが好みですか?」
「やっぱり最後はハッピーエンドかなー。あと、最後の最後でどんでん返しが来てマジか! ってなる話も好き!」
「なるほどなるほど」
ふむふむと頷いた後、文月の足は児童書コーナーに向いた。
「初心者なら、ここから始めると良いと思います」
そう言って文月が渡してきたのは、ポップなタイトルと明るくデフォルメされたキャラクターが表紙に描かれた文庫本。
ジャンルは一応ミステリーのようだが、一目でそれが小学生くらいを対象とした本だとわかった。
「いや、流石に子供っぽすぎない? 小説といったらもっとこう、芥川龍之介とか、夏目漱石とか……」
「それは純文学ですね。エンタメ小説とはまた少し毛色の違うジャンルです」
「そうそう純文学! そういうの読んでみたいんだけど、なんかカッコ良さそうだし」
奏太が言うと、文月はわかっていないなと言わんばかりに眉を顰めた。
「予言しますが、清水君のような人が一冊目で読む本じゃないです。必ず挫折します」
「いや、まさか」
「本、全く読んできた事ないんですよね? だったら最初はそれを一冊読むのにも苦労すると思います」
「いやいやいや、まっさかー」
「嫌ならもうお薦めしません」
ぷいとそっぽを向く文月。
「あああごめん、せっかくお薦めしてくれたのに」
「お気になさらず。あくまでもお薦めなので、買うか買わないかはお客様次第です」
「じゃあ買うよ」
さらっと奏太が言うと、文月は意外と言わんばかりに目をぱちくり。
「え、何その反応」
「いえ……本当に買うとは思っていなかったので」
「小説、読んでみたいなとは思ってたし、それに……学校でもずっと本を読んでいる葵のお薦めだから、読んでみたくなった」
「……そう、ですか」
大人しめの声を漏らす文月。
気のせいだろうか。ほんの少しだけ、彼女の表情に『喜』の感情が浮かんだのは。
文月から本を受け取る。指先から確かな重さとつるつるとした質感が伝わってくる。
小説などもう何年も手にしていないので、なんだか不思議な気持ちだった。
「他に何か買われていきますか?」
「ううん、とりあえずこの一冊でいいや」
「ではあちらでお会計をお願いいたします」
「わかった、ありがとうね」
「いえ、では」
ぺこりと文月は頭を下げてどこかへ行く。
本棚エリア担当とレジ担当は分担されているらしく、ここで文月とはお別れだ。
お会計をした後、再びまた文月に話しかけに行く……のは流石にキモいと思ったので、そのまま奏太は退店した。
「あの」
書店を出て二歩三歩歩いたところで、後ろから声をかけられる。
振り向くと、そこには文月が立っていた。
「どうしたの、文月さん?」
尋ねると文月は視線を彷徨わせていたが、やがて意を決したように。
「これ」
そう言って文月が差し出してきたのは。
「のど飴?」
「私もたまに喉をやるので、常備しているのです。よかったら」
単なる気まぐれか、ささやかな善意か。
どちらにせよ、あの文月が自分から話しかけてきた事に奏太は一抹の驚きを覚えた。
「なんですか、いらないなら返し……」
「いや貰う貰う! 欲しいですください喉が砂漠みたいになっててやべーんですほんと」
奏太が懇願すると、文月は呆れたようにため息をついてからのど飴を手渡してきた。
「本当にありがとうね、色々と」
「お気になさらず。では、私は仕事があるので」
ぺこりと一礼して、文月は店に戻っていった。
「やっぱり優しいな……文月さん」
そう言いながらラベルを剥がして、のど飴を口に入れる。
舌先を通じて柑橘系の甘い味がしっとりと伝わってくる。
「こんなに甘かったっけ……」
コロコロと飴を転がしながら帰路につく。
カラオケで荒れた喉を飴の成分がじんわりと包んでくれる。
心なしか、徐々に痛みが和らいできた気がした。
バッグの中に入った本の存在を思い浮かべながら、奏太は呟く。
「ゲームは明日……にするか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます