第2話 いつもの日常

 ──図書室の魔女。


 文月は一部のクラスメイトにそう呼ばれているらしい。

 放課後毎日、図書室に籠って本を読んでいる事からその呼称がついたようだ。


 それ以外にも教室でもずっと本を読んでいる、誰とも一切喋らない、何を考えているかわからない、表情がわからなくて怖いなどなど、クラス替え当初に耳にした文月に関する評価はあまりポジティブなものでは無かった。


 かと言って何か問題を起こす訳でもなく、半ば空気のような存在だったため、そのうち文月の話題を出す者も居なくなり、今となっては空気そのものになってしまっている。


「……というのが、あーしから見た葵ちゃんへの印象かな!」


 書店で文月と偶然出会った翌日、二年B組の教室。


「なるほど……」


 姫宮 陽菜(ひめみや ひな)の説明に、奏太はふむふむと頷いた。


 陽菜はいつメン(いつもつるんでいるメンバー)の一人で、属性で言うとギャルだ。

 身長は150センチも無くちっこいが、その存在感は他の追随を許さない。


 つるりと滑りそうな白い肌に、自分の武器はわかってますよと言わんばかりに主張している胸元。

 化粧も迷いなくバシッと決めており、ゆるふわロングの桃色ヘアーはいくつもの髪留めとリボンで彩られている。

 

 制服も所々可愛らしく改造されていて、足元はフリル付きの白ソックスが輝いていた。

 自分がちゃんと可愛いという自覚があり、事実学年の中でもかなりの人気を誇る美少女、それが陽菜だった。


「え、というかどしたん急に文月ちゃんの事聞きたいって……ももももしかして……」

 

 きゅぴーん! と、陽菜の双眸が光る。


「恋が始まった!?」

「ちげーわ! ちょっと気になっただけだし!」

「ふうん……?」


 陽菜が疑い深げな瞳を向けてくる。


「いや、マジで無いからね?」

「ま! そりゃそっか! まさかよりにもよって、そーちゃんが葵ちゃんとなんてナイナイナッシングだもんね!」


 今のところ、文月に対する感情は恋心のそれでは無い……と思う。

 ちょっと興味を持っている、くらいの感覚だった。

 とはいえこれ以上文月の話題を続けるのは面倒な事になりそうな気がしたので、奏太はさっさと話題を変える事にする。


「そういえばお勧めしてくれた漫画、近くの書店に無かったけど、取り寄せしておいたから一週間か二週間くらいで読めると思う」

「え、わざわざ取り寄せたの!? 超申し訳なさすぎる! 言ってくれたら貸したのにー!」

「いやそれ早く言え!」

「めんごめんご! 明日にでも持ってこようか? 取り寄せキャンセルは出来るっしょ?」

「あー……いや、いいよ。こういうのは自分のお金で買いたい主義だし」


 というのは建前だ。取り寄せをキャンセルしてしまうと、文月と合法的に話せる機会を失ってしまう。

 それはなんだか……もったいないような気がした。


「なるほど! 作者にしっかりと還元する、読者の鑑だね! そーちゃんのそういう所ちょーすき!」

「ひなたその好きはハードルが低すぎなんだよ」


 奏太が突っ込んだタイミングで、聞き覚えのある声が鼓膜を叩いた。


「まーたエロ本読んでんのかよ!」


 振り向く。

 教室の入り口付近で鳳 悠生(おおとり ゆうせい)が、いかにも陰キャそうな男子、小林から本を取り上げ馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。


 悠生もいつメンの一人で、属性で言うとガチ陽キャイケメン。

 180センチを超える長身に、サッカー部で鍛え抜かれた体躯。

 一部を染めた金髪に、首元にはスティックタイプのネックレス、第二ボタンまで外したブレザー。


 自他共に認めるイケメンで、街を一緒に歩いていたときにモデルのスカウトを受ける場面に何度も遭遇したことがある。

 生まれ持ったオスとしての強い遺伝子と、社会の中でも強力なステータスである『頭脳明晰』『スポーツ万能』を持ち合わせた、クラス内で最も発言力のあるカーストトップの男、それが悠生だった。


「えーと、なになに? 『クラスで陰キャの俺が何故か保健室の先生に迫られている件』?タイトルなっが! つーか欲望丸出し過ぎだろ!」


 よく通る悠生の声に、教室内にいた生徒たちの視線が集まる。


「さ、最近だと普通だから! 欲望丸出し……については否定は出来ない、けど……そもそもラノベはエロ本じゃない!」

「同じようなもんだろ、少なくとも俺は教室でそんな本は読めねーな」

 

 悠生の言葉に、教室内からひそひそ声が上がる。

 わかりやすく自分に対し蔑みの目線が向けられている事に、小林は顔を真っ赤にした。


「いいから、返してよ……!!」

「おっと、悪い悪い」


 悠生がパッと離した本を、小林は慌ててキャッチする。

 そのまま小林は守るように本を鞄に入れた後、外界から一切情報をシャットアウトするように机に突っ伏した。

 そんな小林には一瞥もくれず、悠生はさっさと自分の机に荷物を置く。


 一連のやりとりを見ていて、奏太は思わず顔を顰めてしまう。

 ぶっちゃけああいう、弱い者いじりみたいなムーヴは苦手だ。


 だがそれを咎めるような事はしない、自分も虐められる側に回ってしまうリスクがあるから。


 そんなことを考えている間に、悠生がにこやかな笑顔を向けて奏太たちの机のもとにやってきた。


「よっす、陽菜、奏太」

「ゆーせいおはよ!」

「おはよう、悠生」


 奏太と陽菜が挨拶を返す。

 すると悠生は奏太の隣の席──まだ登校していない生徒の椅子に勝手に座った。


「小林のやつヤバくね? よく人前で堂々とあんな本読めるよな」


 悠生が陽菜に話を振る。


「んー、人の趣味は人それぞれだから否定はしないけど、ちょっとあの表紙は胸が強調されすぎててちょっと……って感じだよねー。ラノベって言うの? 私はよくわかんないけど、読んでる人は結構いるっぽいよ!」

「はあー、そうなんだな。よく好き好んでラノベなんか読めるよな。本なんかもう、かったるくて全然読めねーわ。奏太もそう思うような?」

 

 急に話のボールが飛んできたが、奏太は笑顔を作って予め用意していた返答を口にする。


「あー、わかる。そもそも本自体嫌いだなー、疲れるし、活字を見ただけでウッ……ってなる。てか一冊読むのに時間かかりすぎなんよ、コスパ悪い!」

「わかる! なんでわざわざ疲れるもん読まなきゃいけねーんだって思うよな、ユーチューブ見てたほうが百倍楽だし面白い!」

「それな! ただテスト期間中に見始めたら、勉強に手がつかなくなって終わるけど」

「そうか? テスト勉強なんざ片手間でやっときゃ普通に九十超えるくね?」

「クッソ天才め! 俺みたいな凡人には出来ない芸当だわ」

「ははっ、褒めても点は上がんねーぞ?」


 爽やかな笑顔の中にどこか見下すような感情を感じたが、表情には出さない。

 いつも通り、悠生をヨイショする方向の会話を心がけていた。


「ちょっと、また私の席を占領して」


 ちょうどそのタイミングで綾瀬 澪(あやせ みお)がやって来た。

 彼女もいつメンの一人で、属性は高嶺の花子さん。


 すらりと高めの身長に、凛とした美人系統の顔立ち。

 全体的に線は細めだが胸部の膨らみは大きめで、青みがかかった艶やかで長い髪は背中のあたりまで下ろしている。


 真面目でお淑やかな才女、それが澪だった。


「お、悪い澪!」


 全然悪びれていない様子の悠生が戯けたように席を立つ。


「ありがと」


 澪は微笑んで言った後、自分の席、すなわち奏太の隣に腰を下ろした。


「澪ちゃんおっはよー!」

「おはよ、陽菜。奏太も」

「うん、おはよう澪」


 奏太が挨拶を返した時、頭上から始業を告げるチャイムが鳴り響いた。


「ギリギリだったな、澪!」


「間に合えば早く来ようが始業一秒前だろうが同じよ」

「ははっ、それは言えてる」


 悠生は澪に向けた目を細めた後、「それじゃ、また後でな」と言い残し自分の席に戻っていった。

 陽菜も「まったねーん、澪ちん、そーちゃん!」と席に戻る。

「珍しいね、澪が遅刻ギリギリなんて」


 奏太が話しかけると、澪は僅かに眉を動かして言う。


「昨日、買った本が面白くて、つい夜更けまで読み明かしてしまったの」

「ふーん、なんて本?」

「どうせ読む気ないでしょう」

「正解。流石、わかってらっしゃる」


 そして無駄な事を嫌う合理主義者の澪が、本のタイトルを教えてくれないのも奏太は知っている。


「……澪? どうしたん?」


 ジッと奏太を見つめてくる澪に尋ねるが。


「なんでもないわ」


 ふいっと、視線を黒板の方を向けてしまった。


「はいはいみんな〜席についてー。ホームルームを始めるわよー」


 奏太が首を傾げている間に、茶髪セミロングのメガネ教師がやってくる。

 我らの担任、沖坂先生である。


「えーと、今日の欠席者は……」


 全員席につき沖坂先生が口を開いたその時、文月が教室に入ってきた。

 昨日見た表情と同じ、何を考えているのかわからない無表情。

 とくんと、心臓が少しだけ強く脈打ったような気がした。


「文月さん、遅刻ですよ」


 沖坂先生が言うと、文月はぺこりと一礼だけして席に着く。

 それからすぐに鞄を開き、本を取り出して読み始めた。


 そんな文月の振る舞いに担任は一瞬苦笑いを浮かべたが、すぐにホームルームを再開する。

 一学期の最初の頃は沖坂先生も根気強く注意していた気がするが、文月はずっとあんな調子だから、もう諦めしまったようだ。


 どこかまわず本を読んでいる事以外、素行は真面目で成績も優秀なため、逐一注意して進行を止めるよりも、そういうものだとして受け入れスルーする選択をしたのは正しい判断なのかもしれない。


 他のクラスメイト達もいつもの光景とばかりに気にも留めていない。

 そんな中、奏太だけは、文月のことをなんとなく目で追っていた。

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