他人の目線

飛鴻

第1話

接近する台風の影響で昼過ぎから降りだした雨は、少しづつ雨足を強め、日が暮れる頃には強風を伴ってドシャ降りになっていた。

仕事終わりの会社の駐車場。

今日も遅くまで残業になったせいで、駐車場にある従業員のマイカーは、まばらに数台が残っているだけだった。

守衛さんに挨拶をして、傘を拡げて通用口を出た私は、通用口から一番遠いところに駐車したことを後悔した。

「こんなドシャ降りじゃ、いくら傘さしてても車に到着するまでにズブ濡れになっちゃうな…」

ちょうど街灯の真下に停めた私の車は、明るい光の中でポツンと寂しげに、主人の帰りを待ちわびてるように見える。

少し急ぎ足で車に近づくと、街灯の柱の陰に誰かが立ってることに気がついた。

後ろ向きな上に、傘で隠れてそれが誰かは見当がつかない。

警戒した私は、余計に濡れてしまうことを覚悟の上で、ゆっくりと、慎重に歩みを進めた。


「あ、山田さん、お疲れさまです☆」

近付いた私に気づいたその人物は、振り返り、元気な声でそう言った。

「岡村君?誰かと思ってヒヤヒヤしちゃったよ…どうしたの?何かあった?」

柱の陰にいたのは、同じ部署の後輩、岡村君だった。

成績優秀というわけではないものの、とにかく真面目で礼儀正しく、責任感の強い誠実な好青年だ。

歳は確か私より7つか8つ下だったはずだ。

顔立ちも整っていて、イケメンと呼んでも誰も異論はないだろう。実際に若い女性社員からモテモテだという噂は、私の耳にも届いていた。

そんな岡村君が何の用だろう?

「もう帰るとこだけど、仕事の悩みや相談なら話乗るよ?」

「いえ、仕事のことじゃないんです」

「仕事じゃないならプライベート?恋の悩みとか?」

「違います。いや、違うと言うか…あの…これ、受け取って下さい」

そう言って、小さな白い紙バッグを差し出して来た。

中央にビビアン・ウェストウッドのロゴが印刷されている。

「何?これ?」

「山田さん、週明け誕生日ですよね?それに以前、ビビアン・ウェストウッドが好きって言ってたじゃないですか?そのネックレスです☆ ちょっと早いんですけど、オフィスじゃ渡せるチャンスないなと思って…」

「え?私の誕生日、覚えてくれてたの?」

「はい、もちろんです!好きな人の誕生日、忘れるわけがありません」

「好きな人って…オバサンをからかっちゃダメだよ、今度の誕生日で40なんだから」

口ではそう言ったものの、内心、ドキドキしていた。

「からかってなんかいません!本気なんです!…だから………山田さん、僕とお付き合いしてもらえませんか?よろしくお願いしますッ!」

岡村君は傘を投げ捨て、何かのテレビ番組のように深々とお辞儀をしながら右手を差し出して来た。

「ちょ!ちょっと、岡村君…」

正直嬉しかった。嬉しかったのだが…。

「………ごめんなさい」

私の答えはNOだった。

「え?」

岡村君は少なからず自信があったのか、私の答えに驚きの表情を見せた。

「山田さん、彼氏とか好きな人とかいるんですか?」

「ううん、もう何年も彼氏いないし、今特に好きな人がいるわけでもないよ」

私は正直に答えた。

「それならどうして?僕のどこかが気に入らないとかですか?」

「そんなことない、岡村君は誠実で真面目な好青年だと思うよ」

「だったら他に何が引っ掛かってるんですか?どんな残酷な答えでもいいんで、ホントのところを教えて下さい」

「……………」

私は答えるべきか迷った。

その言葉だけを聞いたところで、納得も理解も得られないことが分かっていたからだ。

その言葉の裏側にある過去の経験と、その経験が原因のトラウマと、それによって生まれたこだわりまで、全てを語れるほど時間にも心にも余裕はないのだ。

それでも執拗に食い下がる岡村君に対し、私は仕方なく、最小限の言葉で少し冷たく言い放った。

「あなたがメガネをかけていないから」

「へ?メガネ?」

岡村君はキョトンとしていた。

告白をして、断られた理由が「メガネをかけてないから」では呆気にとられるのも無理はない。

でも、それが事実で、私にとっては何より重要なファクターなのだ。


告白を断っておきながら誕生日プレゼントだけ貰うわけにもいかず、ブランドの紙バッグは丁重にお返しして、

「…じゃあ、また週明けに。風邪ひかないように早く帰って熱いお風呂入ってね。お疲れさま☆」

と言って、頭の先からズブ濡れの岡村君を残してマイカーを発進させた…。



心の中は申し訳なさでいっぱいだった。

本音を言えば、岡村君のような好青年は私の理想とする男性だったし、ルックスも私の好みにバッチリ当てはまっていた。

そんな理想の男性からの告白を断らざるを得ない自分の境遇を怨めしくも思った。

悔しくて自然と涙が溢れた。

車を走らせながら、ここに至るまでの過去の経験を振り返っていた…。




私には不思議な能力があった。

能力と呼ぶべきかどうかは置いといて、最初にそれを経験したのは中学生のときだった。


中学二年生のとき、私は初恋をした。

クラスは違ったけど、二年生で同じバスケ部の訓史君。

二年生ながらレギュラーで、そのうえ勉強も出来てテストではいつも学年トップクラス。おまけに優しくて、笑顔が素敵だった。

そんな訓史君だから恋のライバルも大勢いた。

そんな中、私はなんとか訓史君と特別な関係になれないかと、小学校からの親友である香織によく相談していた。

頭脳明晰で活発で美人な香織は、男子生徒からの人気も高く、違う学校の生徒から告白されたこともあるほどモテモテだった。

同級生だけど恋愛に関しては明らかに先輩な香織に、私は来る日も来る日も恋の悩みを打ち明けていた。

「…そうか、それほど訓史君のこと好きなら、今度私がそれとなく美佳のことアピっておくよ」

「ホント?すごい助かる」

「任せといて☆」

ある土曜日、私の部屋で一緒にテスト勉強するはずが、結局は終始私の恋愛相談で終わってしまった。

「じゃあ、また月曜日ね」

「うん、ありがとう☆」

恋愛に未熟で、自分から告白する勇気もなかった私は、香織の力に頼るしかなかった。


その日の夜、勉強机の隅っこに私の物ではない赤いペンケースのような箱があることに気が付いた。

手に取ってみると、それは香織が置き忘れて行ったメガネケースだった。中にはしっかり香織のメガネが納まっている。

私はすぐにLINEで報告すると、1分も待たずに返事が来た。

どうやら香織はメガネを何個か持っているらしく、特にこの赤いケースに入っているメガネは、他の物より少し度が強い勉強用のメガネで、オシャレではないという理由で勉強するとき以外は使わないらしい。

確かに普段の香織はコンタクトを使用していて、私の部屋で一緒に勉強するとき以外にメガネをかけているシーンを見たことがなかった。

結果的に「そのまま美佳の部屋に置いといて☆」という形でメガネの忘れ物の件は無事に解決した。

幸い私は両目とも視力1.5で、メガネやコンタクトといった物に縁がなかったこともあり、手に持った香織のメガネに興味が湧いて、何の気なしに掛けてみた…。


すると摩訶不思議なことが起こった。


「え?……何これ?」

思わず言葉を発してしまう不思議な現象だった。

香織のメガネ越しに見えたのは、明らかに私の部屋とは別の景色だった。

何度もメガネを外したり掛けたりを繰り返してみたが、その度に私の部屋と別の景色が繰り返される。

「どうなってるの?…どういうこと?」

私は注意深くメガネ越しに映る別の景色を観察した。

その景色は静止画ではなく、首から下げたゴープロで撮影されたような動画だった。

しかも、視聴者に見てもらうために撮影された動画ではなく、例えるなら、野良ネコの首に取り付けたカメラで野良ネコ目線の行動を映像化しているような動画で、まるで音声のない実況生中継を見ているような感覚だ。

どこかの室内を映し出しているその映像には、ときおり見覚えのあるような物が写り込むのだが、一瞬でパーンしてしまうため、なかなか判別出来ずにいた。

しばらくすると、撮影者がソファーかベッドに横になったのか、室内の壁と天井の交わる部分が映し出された状態で映像の動きが止まった。

その映像の中で動いているのは、壁にかけられた時計の秒針だけだ。

私はハッとしてメガネをずらし、自分の部屋の壁時計に目をやった。

同じ時を刻んでいた。

「これって…ホントに生中継ってこと?」

映像に少しだけ動きがあった。

撮影してる主の手に握られたスマートフォンが全面に映し出される。

キラキラのラインストーンで目一杯デコられた見覚えのあるスマートフォンだった。

「これ…香織のスマートフォンだ…」

ということは、香織が見ている映像を、ライブ配信のように閲覧しているということか…

真実は謎のままだった。

親友とは言え他人のプライベートを覗き見てるような罪悪感もあったが、興味津々な私はメガネ越しに映る香織のライブ配信を閲覧し続けた。

すると、香織はスマートフォンをいじり出し、誰かとLINEを始めた。

LINEの相手は訓史君だった。

「え?なんで香織が訓史君とLINEしてるの?そんなこと私には一言も言ってなかったのに…」

私の心の中は、もはや罪悪感より二人の会話の内容を知りたい好奇心が勝っていた。

しかし、LINEでの仲良さげな二人の会話が進むに連れ、その内容を見続けることが出来なくなった私は、そっとメガネを外した。

元通りの視界を取り戻した私の目は、机の上の写真立てに飾られた香織とのツーショット写真を捉えていたが、二人の顔が分からないくらい涙が溢れていた…。


訓史君とのLINEのやり取りで、香織は私の悪口をあることないこと訓史君に吹き込んでいた。

テストの時はいつも香織がカンニングを手伝わされているとか、

陰でタバコを吸っているとか、

訓史君のことも好きみたいだけど他に何人も目を付けている人がいるとか、

中学二年なのにもう処女じゃないとか…

だから、もし美佳に告白されてもOKしない方がいい…とも言っていた。

最後には、香織自身がずっと前から訓史君のことを好きで、自分で良かったら付き合ってほしいと……。


親友だと信じてた香織の裏切りに、私の心はボロボロに傷付いた。

今さら見なければ良かったと後悔した。

他人のプライベートを覗き見した自分がいけないのだと自分を責めもした。

何かの曲で、涙は涸れることを知らないって言ってたけど、それを実感するくらい、こんなに泣いたのは3年前にお父さんが亡くなったとき以来だった。



翌日、目を覚ましたのはもうお昼前だった。

何時に寝たのかは覚えていない。

泣き疲れてそのまま眠ってしまったのだろう、瞼は見たこともないほど腫れていた。

お母さんは私を起こさないまま仕事へ出掛けたようだ。

お父さんが亡くなってから、お母さんはほとんど休みナシに、いくつかの仕事を掛け持ちしながら女手一つで私を育ててくれていた。

日曜の朝は、前以て私からお願いしないかぎり、私を起こすことなく仕事に出掛けるのが日常だった。


簡単な食事を済ませ、部屋に戻ると、机の上にある香織のメガネが異様な存在感を放っていた。

「昨日の不思議な出来事は何だったのだろう…」

心の中が再び悲しみに支配される。

思春期の不安定な気持ちが作り出した妄想だったのか…単なる夢だったのか…夢であってほしいと願った。

まだ心のどこかに香織を信じたいと思う気持ちもくすぶっていた。

私は真実を確かめるべく、恐怖心を無理矢理押し殺して、再びそのメガネを掛けてみた…

しかし、淡い期待は見事に打ち砕かれた。

メガネ越しに見えた光景は、どこかのショッピングモールのようだった。

相変わらず音は一切聞こえてこないが、何となく楽しそうな雰囲気が伝わってくる。

誰かの手と繋がれた主の手の映像に、今回もまた見覚えのある腕時計が嵌められていた。

「香織…やっぱり香織なのね…」

その映像は、やはり今まさに香織が見ている世界だったのだ。

そして、香織と仲良く手を繋いでる相手は訓史君だった。

香織の見ている世界を、香織のメガネを通して同時に私も見ていた。

香織の視界のほとんどは、本来なら私がそうなりたいと願っていた訓史君の素敵な笑顔を捉えていた…。

二人はアクセサリーショップに入ると、訓史君がかわいいネックレスを香織の首元にあてがう。

「これ、かわいくてすごく似合うよ☆」

もちろん声は聞こえない。だが、訓史君の唇の動きは、確かにそう言ってるように見えた…。

私はそっとメガネを外した。

それ以上は見れなかった。見たくなかった。

今日もまた後悔した…。


月曜日。

私は香織にメガネを返した。

「美佳の部屋に置いといてくれて良かったのに」

「香織がお家で勉強するときに必要かなと思って…」

私は本当のことを言い出せなかった。

言い出したところで信じてもらえないだろうし、逆に、プライベートを覗き見られたことで怒られるかも知れないと思ったからだ。

「美佳、元気ないみたいだけど何かあった?大丈夫?」

「大丈夫だよ、何でもないから…」

香織の首には、昨日見たネックレスが光っていた…。


それから何となく香織とは疎遠になり、お互い別々の高校に進んだこともあって、それきりの付き合いになってしまった。

今となってはもう連絡の取りようもないが、それが最初の不思議な経験だった。




それから3年後。

私は再び不思議な経験をすることになる。

その当時、母は昼間だけでなく、ときおり夜も仕事だと言って出掛ける機会が多くなっていた。

ただ、昼間の仕事に出掛ける時と違う点は、少し派手な化粧と、年齢とは不相応な服装で出掛けることだった。

時には高校生の私でも躊躇うような格好で出掛けることもあった…。

「将来のために大学は行っておきなさい、お母さん美佳のために頑張るから」

最近、母はよくその言葉を口にしていた。

私の進学のために昼も夜も働く母に、私は感謝すると同時に、いつも申し訳ないと思っていた。


そんなある日…

その日も母は夜に出掛けて行った。

その日はマイクロミニのデニムスカートに網タイツにガーターベルトという、私でも絶対出来ない恥ずかしい服装で出掛けて行った。

「お母さん、ひょっとして夜のお仕事って…風俗とか?」

そう考えてしまった私は、急に不安に襲われた。いくら私のためとは言え、風俗で働くのは…

不安なまま食事を済ませ、洗い物をして、リビングのソファーに座ってテレビを観ていても気持ちは落ち着かない。

そのとき、ある物が目にとまった。

テレビのリモコンの横に無造作に置かれた母の老眼鏡だ。

私は3年前の不思議な出来事を思い出した。

「もしかしたら、また…」

私は恐る恐る母の老眼鏡を掛けてみた…


再び不思議な現象が起こった。

しかも、以前と違って、今度は音まで聞こえてくる。

科学では解明出来ない不思議な能力が私に備わっていて、年齢とともにそれが進化したんだと自分自身に言い聞かせるしか納得のしようがない。

何はともあれ、映像だけでなく音声まで確認できるのは、私にとっては好都合だった。

予想通り、今見えている世界は、母が今見ている世界だったが、予想と違ったのは、母は働いていなかったことだ。

母の老眼鏡の向こうには、見知らぬ男性がいた。

母はその男性と腕を組んで夜の繁華街を歩いているようだ。

内心、納得出来ない部分もあったが、父が亡くなってから数年が経ち、母もまだ40代前半なことを考えると、母の将来と幸せを思えば新しい恋人ができるのも致し方ない…と思わざるを得なかった。

やがて二人は繁華街を抜け、人通りの少ないネオン街へ歩いて行った。

もう子供ではない私にも、二人の行き先は見当がつく。

二人は、とあるホテルへ入っていった。

「今日の服装も可愛いよ、美代子」

「こんな格好すごく恥ずかしいけど、時春さんがこーゆー格好が好きって言うから…」

「愛してるよ、美代子…」

「私も愛してるわ、時春さん…」

その先は見たくなかった。

見なくても簡単に想像はついた。

メガネを外す最後の瞬間、タコのように唇を突き出す時春というオッサンの顔がドアップで近付いてきた…。


それから数週間後、母は時春という男性を家に連れてきた。もちろん私に紹介するためだ。

「美佳、こちら山田さん、仕事でとてもお世話になってるの」

母は少し照れくさそうに、でも嬉しそうに、そう言って私に紹介した。

「はじめまして美佳ちゃん。山田時春といいます。私の方こそお母さんにはすごくお世話になってるんだ。よろしくね☆」

「はじめまして…美佳です。母がいつもお世話になってます」

実際のところ私にとっては初めてではないのだが、一応ありきたりな挨拶で応えた。

その夜、母は、恥ずかしそうに時春という男性と真剣にお付き合いしていることを告白してきた。

私は、母の将来のこと、母の幸せのこと、そして正直な私の気持ちと考えを母に告げた。

それを聞いた母は、

「あなたのような娘で良かったわ☆ありがとう美佳☆」

と言って、泣きながら私を抱き締めてきた。

こうして母と時春という男性は結婚に至った。

新しい父親ができた私は、念のため時春の前ではミニスカートを履かないようにしようと心に誓った…。




月日が流れ、私は無事に大学に進学し、一人暮らしを始めた。

やがて、こんな私にも人生初の彼氏が出来た。

同じ大学の一つ先輩で、運動は苦手だったけど、真面目で頭も良く、今思えばどことなく訓史君に似た笑顔の素敵な彼だった。

二人とも学業とアルバイトで忙しく、なかなかデートも出来なかったけど、それでも月に何度かはお互いに休みを合わせ、そんな時は決まって私の部屋にお泊まりに来てくれていた。

そんなある日、彼氏がメガネを忘れていった。

大学の授業を終え、部屋に帰ったときにそのことに気付いた私は、悪気なく、彼氏の見ている世界を覗きたくて、彼氏のメガネを掛けてみた。

私の不思議な能力は、三度目にして確信に変わった。

そこには見知らぬ女性が映っていた。

「和美ちゃん、大好きだよ」

「私も大好き」

お互い裸で、彼氏の激しい息遣いと見知らぬ女性の喘ぎ声が聞こえてくる…。

彼氏は確か、「今日はバイト休みだけど、期限の迫ったレポートを仕上げなきゃならないから」と言っていたはずだ。

怒りに震えた私は、彼氏に電話を掛けてみたが、当然ながら出るはずもない。

しばらく経って折り返しの着信があった。

電話に出た私は、

「和美ちゃんとお幸せに、さようなら」

と言って電話を切り、着信もLINEもブロックした。


その次に出来た彼氏もメガネを掛けていた。

自分の不思議な能力に確信を持った私は、この頃になると、私の方から彼氏のメガネを掛けられるチャンスをうかがうようになっていた。

もちろん、彼氏と一緒にいる時に掛けても意味がない。その状態でメガネを掛けても、目の前にいる自分が映し出されるだけだ。

メガネを忘れる状況を作り、一日もしくは数日の間、彼氏のメガネを独占する必要があった。

そうすることで、隠された相手の素性まで判るからだ。

だから私はメガネを掛けている男性にこだわった。


案の定…

次に出来た彼氏も浮気をしていた。

その次に出来た彼氏はロリコンだった。

その次の彼は女装癖があった。

その次は盗撮趣味…トドメの一撃はスカトロマニア…

そんな歴代彼氏達の隠された素性を知るにあたり、

「世の中にマトモな男性はいないのか…」

と、私は男性不信に陥った。

もしも素性を知らずにお付き合いを続け、間違って結婚でもしようものなら、私はいつか浮気相手の相方から慰謝料を請求されたり、盗撮犯の妻というレッテルを貼られたり、目の前で排泄行為をする羽目になっていたかも知れない…。

考えただけでもゾッとする。




会社の駐車場を出てから家に着くまでの間に、私は自分自身の身に起きた出来事を振り返った。

おそらく世界中でこんな経験の持ち主は私だけだろう。だから誰かに真実を話しても、なぜメガネにこだわるかを説明しても、誰からも理解は得られないはずだ。

岡村君には悪いことをしてしまった。

風邪をひくことなく、月曜日に元気に出社してくれることを祈りながら、その日はベッドに入った…。



月曜日。

「山田さん、おはようございます☆」

岡村君は元気に出社してくれていた。

「おはよう☆岡村君…それって…」

「へへへ、似合います?子供の頃から目ぇ悪くて今までずっとコンタクトだったんですけど、この際だから思いきって☆」

岡村君はメガネを掛けていた。

もともと真面目そうな岡村君が、より真面目で誠実に見えた。

そして、あの日に伝えられた気持ち…。

「岡村君、いきなりで申し訳ないんだけど、そのメガネ、何日か貸してくれる?」

「??別に構いませんけど…やっぱり似合いませんか?変ですかね?」

「ぜんぜん似合ってるよ♪ 借りる理由はそのうち話すから…」

「わかりました☆どうぞ(^^)」

快く私にメガネを渡してくれた岡村君は、その日一日、見えずらそうに仕事をこなしていた…。



それから半年後、私は、羨ましがる女性社員のブーイングに包まれながら寿退社した。

結婚式の日、ウェディングドレス姿の私の首元には、ビビアン・ウェストウッドのネックレスが輝いていた。



=おしまい=

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