108:VSナイアラトテップ――その1

「ずっと……ずーっと機会を伺っていたのですよ。いつ裏切るのが一番笑えるか、一番めちゃくちゃにできるか、ずっとね」


「みんな聞いてくれ。心子さんは……ナイアラトテップだ。彼女は人間として生まれたナイアラトテップなんだよ」


 僕はヒカちゃんたちにもわかるように、心子さんがナイアラトテップである根拠を説明した。


 急に言われても心から受け入れることは難しいだろうが、一応の納得はしてくれる。


 僕の説明を聞いて、一番上機嫌なのは心子さんだった。


「すごいすごい! さすが結人さんですね! ヒントはあげたつもりだったのですが、本当に気づくなんて! あれだけ怪しいところがあったのに気づかなかったんですかって、嘲笑いながら殺してあげたかったのに、残念です。基本的には元の人格がやりそうなこと、考えそうなことに沿って演技していたんですけどね」


「今思えば、優しい心子さんにしては不自然なところもあったね。いろいろあるけど、死ぬ直前の偽バルドルに『成り損ない』ってわざわざ追い打ちかけたりさ」


「だって絶望したまま死んでいく姿って、最高に嗤えるところじゃないですか。元の人格だったらあんな酷いこと絶対に言わないでしょうけど、ナイアラトテップとしては見逃せませんでした。まあ、レギンレイヴがオーディンのふりをして慰めちゃったようなので、興覚めでしたけどね」


 ナイアラトテップとして正しく目覚めた心子さんは、レギンレイヴの味方ですらなかった。


 彼女は自身の愉悦のためだけに行動する、神をも嘲笑うナイアラトテップの本性を見せていた。


「……ロキが裏切り者がいると言い始めたのは完全に予想外で、それでもそのまま強硬しちゃったのは悪手でしたね。でも、みんなが最も団結した直後に裏切るのが一番気持ちいいって思うと、我慢できなかったんですよ」


 心子さんは楽しそうに、邪悪な笑みを浮かべる。


 それに対して口を挟んだのはヴァーリだった。


「エインフェリアと半神を4人も敵に回して、随分と余裕そうじゃねぇか。肉体的には人間のままなんだろ? 勝てると思ってんのか?」


「銀の鍵とトートの剣がありますから。それに今まで皆さんには全力を見せていなかったんです。あぁ一応言っておくと、この人格が芽生える前の僕が手を抜いていたわけじゃないですよ。僕は元の人格よりも頭がいいので、こんなこともできちゃうんですよね!」


 心子さんがトートの剣に、無理やり押し込むようにして魔力を流し込む。すると、トートの剣から恐ろしいほどの力の奔流が発せられた。


「これならエインフェリアが相手でも殺せます。予定とは違いますが、楽しい殺戮タイムを始めましょうか!」


 心子さんは空間転移で僕の背後に回り込み、トートの剣を振るう。だけど僕は障壁を生成して、それを難なく防いで見せた。


 ヒカちゃんが僕に尋ねる。


「ユウ兄、なんとかならないかな!? 元の優しい心子さんに戻せないかな!?」


「わからない……。でもどれだけ可能性が低くても、試してみたいことが1つだけあるんだ。そのためには邪悪な心子さんを弱らせないといけないんだよね」


 エインフェリアではない心子さんは、僕たちよりも非力だ。それは間違いない。人類最高クラスの身体能力を持っているけど、あくまでそのレベル。


 けれど彼女はトートの剣と銀の鍵、そして多種多様な魔術によって、僕たちが油断できない程の戦闘力を発揮していた。


 まず第一に攻撃力の低さだが、これはトートの剣を強化したことによって補っている。


 さすがにロキの必殺技ほどではないが、並みのエインフェリアが放つ攻撃を上回っているのは間違いない。剣を振るう速度は人間の最上位クラスでしかないのに、神や巨人の一撃か、それ以上の破壊力を秘めていた。


 さらにトートの剣には邪神とその眷属に対する特効効果を持っている。それを併せて考えると、心子さんの斬撃はエインフェリアを一撃で葬る可能性すら秘めていた。


 しかも心子さんは相手の防御を貫いてダメージを与える素通り攻撃ができる。下級ルーン魔術の『打たれ強くなる』魔術などで僕たちが防御を固めても、彼女には何の意味も為さないだろう。


 続いて機動力の低さについてだが、これについては銀の鍵で補っていた。邪悪な心子さんは本来の人格の心子さん以上に時空操作魔術を使いこなしている。


 元の人格は"門"を使わない空間転移の連続発動は難しいと言っていたが、邪悪な心子さんは僕とほとんど変わらない速度と精度で次々と空間転移を発動していた。


 もはや縦横無尽と言ってもいい。回避も攻撃も、彼女の望んだタイミングで思うがままだ。


 別世界の僕と戦った経験がある僕たちは心子さんに反撃できなくもないが、相当に厳しい立ち回りを要求される。


 最後に、エインフェリアではない彼女は打たれ弱いはずだが……。今まで以上にトートの剣が彼女に馴染んでいるせいだろうか。トートの剣には所有者を守る力が備わっていたが、それが今まで以上に強く作用していた。


 今の彼女はエインフェリアどころか、神や巨人よりも頑丈かもしれない。幸い、心子さんの身体そのものが強化されているわけではないようで、傷を負うと普通の人間と同じように動きが鈍くなる。


 しかしトートの剣には守りの力だけでなく、治癒の力も備わっている。多少ダメージを与えたとしても、すぐに回復してしまう。中級ルーン魔術の『動きを縛る吹雪』などで魔術的な異常状態を与えても、トートの剣で即座に治してしまった。


「なあユウト、転移封じはできないのか? 転移さえ封じれば、かなり楽に戦えるだろ」


 ヴァーリがそういうが、試していないわけがない。


「もうやったんだ。でもすぐに突破されてしまったんだよ。残念だけど、彼女の転移は止められない」


 言い訳のようになってしまうが、窮極の門はヨグ=ソトースとの親和性が高い空間だ。


 タウィル・アト=ウムルに認められれば、窮極の門の向こう側でヨグ=ソトースと謁見できる。その伝承は伊達じゃない。窮極の門にいるだけで、時空操作魔術の出力が向上していた。


 転移封じはヨグ=ソトースとの繋がりを断つことで、力を引き出し辛くする技術の応用だ。


 だけど窮極の門ではヨグ=ソトースとの繋がりが今まで以上に強くなる。そのせいで、封じるよりも突破する方が簡単だ。


 僕と邪悪な心子さんは時空操作魔術の実力がほぼ互角。


 元の人格の心子さんが相手なら、この状態でも転移を封じられただろうが……。今の彼女の転移を止めるのは厳しい。


「ほらほら結人さん。守ってばかりでは勝てませんよ。そうですねぇ、他の皆さんのフォローはやめて、僕を倒すことだけに注力してはいかがですか? そうすれば僕を倒せるかもしれませんよ?」


 心子さんの動きを完全に見切れるのは、同じく時空操作魔術を操る僕だけだ。


 他のみんなは空間転移で不意打ちされたときに、どうしても反応が遅れてしまう。そんなときは僕が障壁を作ってみんなを守っているのだが、それで僕が後手に回っているのは事実だ。


 ……でも僕はヒカちゃんたちを犠牲にしようとは思わない。そもそも、僕1人で戦ったところで膠着状態に陥るだけだと思う。


 心子さんは僕に一撃を入れられないし、僕は心子さんに有効打を与えられない。僕だけではトートの剣の回復速度を上回れない。


 見よう見まねで旧き印を刻んでから攻撃してみたが、特に効果はなかった。心子さんはナイアラトテップの化身ではあるが、肉体的には純度100%人間だからだろう。


 活路があるとするならば、やはり僕には仲間がいることだ。


 僕1人では成せないことも、協力すれば成し遂げられる。


「みんな、相談がある。ちょっと集まってくれ」


 僕は心子さんに聞こえないように、小声でみんなに作戦を伝えた。


 邪悪な心子さんは非常に強いけれど、身体能力が向上しているわけではない。エインフェリアにしか聞き取れない声量で話せば、彼女には聞こえないはずだ。


 僕たちの様子を見て、心子さんが不愉快そうに挑発してくる。


「仲良くお喋りとは、随分と余裕がありそうですね。それではここで、僕の奥義をお見せしましょう。これで死んでください。銀の鍵よ、僕を導いて! トートの剣よ、力を貸して!」


 心子さんは空間転移を発動しながら、これまで以上に魔力を込めてトートの剣を振るった。少なくとも、僕にはそのように見えた。


 それだけなら今までと同じはず……。


 それなのに彼女が剣を振りぬいたその瞬間。斬撃だけが空間を越えて、僕たちを斬りつけてきた!


 僕は咄嗟に障壁を張ったつもりだったが、完全には間に合わなかった。自分に張るだけなら間に合ったと思うけど、全員に張ろうとするから生成が遅れた。


 一瞬だけ意識が飛ぶが、即座に回復する。ヴァーリが中級ルーン魔術である『気絶回復』魔術を使ってくれたのだ。下級と中級にはどちらも『気絶回復』魔術があるが、こっちは下級と違って複数人を対象にできる。


 トートの剣には邪神とその眷属に対する特効効果があるが、旧き印と同様にヴァーリにはその特効は効かない。だから彼だけは食いしばって意識を保ち、僕たちを回復することができたのだった。


「なかなかしぶといですね。じゃあもう一回やりましょう! 会心の一撃! 会心の一撃! ってね」


 心子さんは何度も何度も遠方から斬撃を飛ばしてくる。


 でも初見じゃなければ対処は可能だ。直接斬りつけてきたときよりも予備動作がわかりにくいが、一方的にやられるほどじゃない。


「ヒカちゃん、季桃さん、支援を頼む! ヴァーリ、一気に行くぞ!」


 ヒカちゃんと季桃さんは上級ルーン魔術の『ソールの運行』を発動した。


 ソールとは北欧神話に伝わる太陽の女神の名前だ。太陽の光が生命を育むように、僕たちの身体能力を高めてくれる。


 リーヴが人外のような近接戦闘能力を発揮していたのも、おそらくはこのルーン魔術のおかげだ。


『ソールの運行』で強化された僕とヴァーリなら、トートの剣に備わっている守りの力と治癒の力を突破して大きなダメージを与えられる。


「銀の鍵よ、僕を導け! 悪しき邪神の牙城を崩せ!」


「全弾当てる! 神すら殺す矢を受けろ!」


 銀の鍵の扱いについて、僕と邪悪な心子さんの技量はほぼ同じだ。彼女にできるなら、僕にできない道理はない。


 元々は転移で近づいてから近接攻撃を行うつもりだったが、僕は心子さんがやっていた、離れた場所から相手を攻撃する術を模倣する。


 かなり難しいが、窮極の門という特殊な環境下なら成立させられた。


 僕の攻撃が命中した心子さんはふらついて、転移に失敗する。そしてヴァーリが一瞬のうちに放った9本の矢も全て命中して、彼女は吹き飛ばされていった。


 トートの剣に守られている心子さんは、これでもまだ意識を保っている。でも戦闘を再開できるほど無事ではなかった。


「あはっ……あはははは……。本当に最悪……。せっかく……ナイアラトテップに生まれたのに、エインフェリアや半神1人殺せない……脆弱な身体しか持てないなんて……」


 心子さんは剣を支えにして、どうにか立っているのがやっとのようだ。さすがにこれは勝負あっただろう。

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