109:VSナイアラトテップ――その2
「おいユウト! 試してみたいことがあるとか言ってたよな! 放っておくと、トートの剣で回復する。やるなら今しかねぇ!」
弱った心子さんを見て、ヴァーリが僕に声をかけてきた。それに対して、心子さんはふらふらしながらも邪悪な笑みを浮かべる。
「ふふっ……存在の上書きをしようとしても無駄ですよ。存在の上書きは夢という精神に強く依存する手法。心子であって心子ではない僕には効きません」
「ええっと……。ねぇ結人さん。もしかして二重人格だからうまく上書きできないってこと?」
そう尋ねてきたのは季桃さんだ。存在の上書きについていえば、彼女の認識であっている。
存在の上書きは現実と夢の性質を併せ持つ夢の狭間を利用して、夢で現実を上書きする手法だ。ただし自由に上書きできるわけではなく、例えばパラレルワールドの同一人物にしか上書きできないなどの制限がある。
そういった制限の1つに、人格を2つ以上持つ人物には使えないというものがあった。説明するのは難しいのだが、存在の上書きを行う場合、精神と肉体はセットで上書きされる仕組みになっている。しかし二重人格者は肉体が1つで精神が2つあるから、上書きをかけようとしても精神が1つ余る。
精神と肉体がセットというのは上書きへの抵抗についても同様だ。ここで先ほど言及した、精神が1つ余るという話が重要になってくる。精神と肉体はセットなので、精神が上書きされないなら肉体も上書きされない。肉体が上書きされないなら精神も上書きされない。
要するに、
1.二重人格の場合は2つある精神のどっちかが上書きからあぶれる
2.あぶれた精神が原因で肉体の上書きができない
3.肉体の上書きができないからもう1つの精神も上書きできない
という連鎖で存在の上書きが成立しないのだ。
一応説明したけれど、ややこしいのでこの話は忘れていいと思う。どうせこの知識を使う場面はもう無いだろう。
それにそもそも、僕が心子さんに試したいのは存在の上書きじゃない。
心子さんは二重人格になったのか、それともロキのように元の人格が汚染されたのか。それがわからなかったから対処に困っていた。だけど二重人格だと判明した今なら、僕がすべきかは明確だ。
「上書きじゃなくて、切除をしよう。夢の狭間へ邪悪な心子さんの精神を連れ込んで、武力で排除すればいい。邪悪な心子さんだけを排除して、元の心子さんだけを残すことができれば心子さんは元に戻る。……元の心子さんの精神が、今も完全な形で残っていればの話だけどね」
「元の心子さんの精神……。残ってるのかな?」
ヒカちゃんが心配そうに僕に訪ねてくる。
切除という方法について、邪悪な心子さんが考慮していないはずがない。元の人格がどれほど残っているかは、元の人格がどれだけ抵抗できているかに依るだろう。
それは元の心子さんを信じるしかないけれど、これについては前向きな話ができる。
「幸い、邪悪な心子さんは元の心子さんを完全排除するわけにはいかないんだ。完全に排除したり統合したりして人格が1つになってしまえば、存在の上書きが通用するようになるからね」
邪悪な心子さんは元の心子さんが表に出てこないように、元の心子さんの精神を弱らせているだろう。もしかすると既に精神が大きく摩耗してしまって、元の心子さんには戻らないかもしれない。
存在の上書きは夢を利用して現実を上書きする手法だ。夢を見るための精神が壊れていたら、上書きして戻すこともできない。
「元の精神が存在しても、壊れていたらどうしようもない。でも心子さんならうまくやり過ごして、耐えてくれているんじゃないかって……そこに賭けたいんだ」
「私も心子さんなら大丈夫って信じてる! きっと無事だよ!」
「弱らせた今なら、邪悪な心子さんと元の心子さんの両方を夢の狭間へ無理やり連れていける。行こう、心子さんを助けに!」
僕は心子さんの中にある2つの精神を引っ張りながら、みんなを連れて夢の狭間へと転移する。神話時代のシミュレーションを作るときに、元の心子さんに気付かなかったのが悔やまれる。僕が最速で気づけるとしたらそこだった。あのタイミングでもっと心子さんを疑っていれば……というのも難しい話だけども。
◇
夢の狭間に転移して、僕たちは辺りを見回す。草木すら一本も生えていない、生命の姿が1つも見つからない荒野に僕たちは立っていた。
「ねえユウ兄、いったいどうなってるの……?」
「夢の狭間は与えた情報で様子が変わるのは、神話時代のシミュレーションとかで経験してきたからわかるよね。今回は心子さんに強く残っている記憶や感情が元になってるんだ。要するに心子さんの心象風景だね」
「これが……? こんな荒野が心子さんの心象風景なの?」
「うん。元の心子さんと、邪悪な心子さん、両方のね」
心子さんの心象風景が荒れ果てた大地というのは、確かに意外に思うかもしれない。
これと似た風景に僕は見覚えがある。これはレーヴァテインで世界が滅んだ後の景色だ。
これはおそらく、心子さんの出身パラレルワールドが滅んだ時に彼女が見た光景。転移してきたこのパラレルワールドがこうならないように、絶対に滅びを阻止しようと心に刻んでいるから生まれた心象風景だ。
一方で邪悪な心子さんは、他者を見下し嘲笑うために世界の破滅を望んでいる。
だから邪悪な心子さんにとって、何もない荒野は悲願を達成した姿。全てめちゃくちゃにし終えた彼女の最終到達点。
それでこんな景色が夢の狭間に生まれたのだ。
季桃さんが僕に尋ねてくる。
「心子ちゃんはどこだろ? 夢の狭間に両方の人格を連れて来たんだよね? でもぱっと見どこにもいないけど……」
「たぶん向こうの方かな。ここに転移するときに、邪悪な心子さんに少し抵抗されちゃってさ。夢の狭間にいるのは間違いないから、すぐに向かおうか」
僕はみんなを連れて転移する。転移してきたその場所で、2人の心子さんが戦っていた。
……いや、戦っているという表現は適切ではないかもしれない。なぜかと言えば、力の差が圧倒的過ぎるからだ。
神や巨人すらも圧倒するような、人外の戦闘能力を発揮している方が邪悪な心子さん。人間の範疇であればトップクラスの身のこなしではあるものの、紙一重で攻撃を受け流し、逃げ続けている方が元の心子さんだった。
僕は2人の間に割り込み、元の心子さんを庇う。
「あぁ、もう来ましたか。貴方たちが来る前に、少しでも苦しめておきたかったのですがね」
と邪悪な心子さんが僕を睨みつけて、文句を口にする。
元の心子さんは感激したような様子で、僕たちへ感謝の言葉を述べる。
「結人さん! それに皆さんも! 来てくださってありがとうございます。そして……ナイアラトテップだと隠していてすみませんでした。ナイアラトテップだと知られて、拒絶されるのが怖くて、どうしても打ち明ける勇気を持てなかったんです……」
「気にしないで。結果論だけど、何の被害も出てないしさ」
「そう言っていただけると助かります……。結人さん、僕がナイアラトテップだと気づいてくれて、助けに来てくれて、本当にありがとうございました」
そういえば元の人格の方と言葉を交わすのは、季桃さんのお祖母さんの研究室ぶりになるのか。
久々のような、そうでもないような不思議な気持ちだ。
「思ったより元気そうでよかったよ。既に精神が摩耗してるかも……みたいな話もあったし」
と季桃さんが口にする。
確かに予想していたよりも心子さんは元気そうだ。
「主人格の座を奪われてから、ずっと逃げ回っていましたからね。何とか耐え抜きました。精神だけの話なので、先ほどのように物理的な戦いをしていたわけではないですけどね」
それでも大したものだと思う。世界を救うために、幼いころから鍛錬を続けてきたのは伊達じゃない。
主人格の座を奪い返すことはできなかったようだが、それでも壮絶な争いを繰り広げていたのだろう。
ヴァーリがふと気づいたようで、疑問を呈する。
「そういや邪悪な方なんだが、現実空間ではありえなかった、めちゃくちゃな身体能力をしてやがったよな。少なくとも人間の動きじゃなかった。エインフェリアや巨人を越えるんじゃねぇか?」
その原因について僕が説明しようとしたところで、邪悪な心子さんが嘲るようにタネを明かす。
「何を言っているんですか。僕は神ですよ。神を嘲笑う神、ナイアラトテップです。そっちの僕のような不完全ではなく、ロキのような後天性でもない。最初からナイアラトテップの自覚を持つ、真のナイアラトテップなんです。夢の狭間であれば肉体に縛られませんからね。ここなら本気を出せるというものですよ」
彼女の姿が人間のものから巨大な異形へと変化した。
体長はおよそ10メートルほど。自在に伸縮する無定形の肉の塊から手足が生えていて、その先端にはかぎ爪がついている。顔のない円錐形の頭部が1つあり、大きな咆吼を上げる。
元が人間だからか、どこか人間のようなフォルムを残しているが、直視するだけで正気を奪われそうな醜悪な見た目をしていた。
窮極の門で戦ったときとは比べ物にならない脅威を感じる。
変貌した邪悪な心子さんの姿を見て、ヒカちゃんが驚きの声を上げた。
「ええっ!? 夢の狭間ならあんな風に姿を変えられるの!?」
「普通は無理だよ。邪悪な心子さんの精神が特別なんだ」
夢の狭間には精神のみで入り込むことになるが、肉体と精神体はある程度になる。
エインフェリアとなった僕たちが、夢の狭間でも同じように戦えるのはそのためだ。精神体もエインフェリアの強さになっている。
だけど邪悪な心子さんは、肉体と精神が生まれつき乖離していた。おそらく精神的には人間の姿よりも異形の姿が正しいのだろう。
だから夢の狭間限定ではあるけれど、邪悪な心子さんは神のごとき力を振るうことができる。
「当初の予定からはズレましたが、貴方たちを
正しく異形へと変貌した邪悪な心子さんは、僕たちを見下ろしながら歪な声でそう
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます