107:番外編――裏切り者に気づかなかった場合
これは僕が散り際に思い返している後悔の記憶。
愚かにも、裏切り者に気づけなかったパラレルワールドの物語だ。
◇
僕たちの中に裏切り者はいない。僕たちはお互いの背景について知り尽くしてしまったし、その中に疑うような要素は見つからない。
やはりリーヴを転移させたのはレギンレイヴだったのだろう。
そもそも僕たちの中に裏切り者がいて、レギンレイヴに味方するなら、別世界の僕と一緒に襲ってくればよかった。
きっとロキが僕たちを混乱させ、破滅させようと口を出しただけだ。
僕はそう結論付けて窮極の門へ転移を続行した。
その直後、異変が起きる。僕の転移に被せる形で時空操作魔術を行使した者がいる。
それを理解したときにはもう手遅れだった。
僕の転移魔術は何者かに妨害され、僕たちは窮極の門に転移はできたものの、散り散りにはぐれてしまった。
窮極の門は不思議な空間だ。
どこまでも続く星空のような景色の中、ぽっかりと自分が浮いているような違和感がある。
大地のようなものはないにも関わらず、重力に似た力が働いているのか立つことができる。
「どこだ……! みんなどこにいる……!」
何かあっても合流できるように、みんなには万が一に備えて探知魔術をかけていた。しかし先ほど妨害を受けた際に、探知魔術を消されてしまっている。
今の僕にはすぐに合流できる手段がない。
僕は変わり映えしない景色の中で、不安と焦燥に蝕まれながら、はぐれた仲間を探し続けていた。
そして僕は見つけた。血に塗れている心子さんを……。
「あぁ。思ったより早かったですね、結人さん。まだ作業中なのに」
「心子さん……。キミは……何をしているの……」
「何って、解体ですけど。貴方がここに辿り着いた時、みんなの首が並んでいたら面白いかなって」
彼女の周囲にはおびただしいほどの血が広がっている。
胸を貫かれて虫の息をしている季桃さん。
身体の隅々まで切り刻まれて、痛みで動けなくなっているヴァーリ。
そして、首を半分のところまで切断されて、死んでしまったヒカちゃんがそこにいた。
「人間の力でエインフェリアの首を落とすのは大変なんですよ。何度も剣を叩きつけて、やっと半分切り込みを入れられました。でも……もう飽きましたし、中止です。それでは答え合わせの時間ですよ。僕の正体は、なんでしょうか? 今までいくつかヒントはあったはずです。答えをどうぞ!」
僕は……答えられなかった。何も声に出せなかった。目の前の光景が信じられなかった。
「わかりませんか? まあ、わかっていたらこの惨状は防げましたからね。当然です。正解は、僕がナイアラトテップだから……ですよ。僕は人間として生まれたナイアラトテップの化身なんです」
彼女は笑い転げながら、僕に種明かしを始めた。
元々はナイアラトテップという自覚がない、善良な普通の少女だったこととか。今までずっと裏切る機会を伺っていたこととか。
「キミは……レギンレイヴの味方ですらないのか……」
「そうですよ。僕は誰の味方でもありません。強いて言えば、僕の愉悦の味方です。神をも嘲笑うナイアラトテップですからね。ロキと違って純正の」
みんなの心が最も団結するとき……。つまり、窮極の門へ転移する瞬間が一番の狙い目だったと心子さんは言う。
裏切り者は本当に居た。ロキを信用することはできないが、もっと慎重に判断するべきだった。
ヒントはあったはずなのに……。
「貴方が悪いのですよ。貴方だけはきっと、僕の正体に気づけた。貴方のせいでヒカルさんは死んで、季桃さんとヴァーリさんも死にかけなのです。ヒカルさんとの約束、守れませんでしたね。あははっ!」
心子さんは邪悪な表情を浮かべながらころころと嘲笑う。
僕が別世界の僕に襲われて瀕死の重傷を負っていたときに、優しく看護してくれた彼女の姿はどこにも残っていなかった。
「ではネタ晴らしも終わりましたし死んでください。貴方を殺した後は、他のパラレルワールドを滅ぼす旅にでも出かけましょうか」
心子さんは空間転移で僕のすぐ背後に回り込むと、トートの剣で僕に斬りかかる。
僕はそれをただ受け入れることはせず、障壁を作って斬撃を防いだ。
「あぁ、防がれてしまいました。せっかくなので全員同じ殺し方で統一しようと思ったのですが。ヒカルさん、季桃さん、ヴァーリさんとは普通に合流した感じを装ったんですよ。1人ずつね。僕と2人になると、皆さん口を揃えて言ってくれるのです。自分はエインフェリアだから、半神だから、人間のキミを守れるように前を歩く……ってね。それを後ろからバッサリ、ということです。簡単でした」
後ろからバッサリ……? 人間の力では、エインフェリアを一撃で戦闘不能に追い込むなんてできない。
旧き印と同じように、トートの剣には邪神とその眷属に対しての特攻効果があるとはいえ、一撃で倒せるはずはない。
「トートの剣があっても、人間の力ではそうはならないよね」
「そうですね。でも今まで隠していましたが、実はトートの剣ってこんなことができるんですよ。元の人格の方ではできなかった高等技術で、この瞬間のために秘蔵してきた、とっておきの奥の手です」
心子さんがトートの剣に、無理やり押し込むようにして魔力を流し込む。すると、トートの剣から恐ろしいほどの力の奔流が発せられた。
「はぁ、発動するのも大変なんですよ。だから首を落とす作業は普通にやってたわけで……。ですがこれなら、エインフェリアにも致命傷を与えられます。僕の身体能力は相変わらず人間のままなので、当てられれば……ですけどね」
心子さんは空間転移を再度行い、今度は頭上から僕を襲う。
先ほどと同じく障壁で弾いてから反撃を加えるが、心子さんも銀の鍵で障壁を作って僕からの攻撃を防いだ。
「膠着状態だね。先に力尽きるのは、エインフェリアじゃない心子さんだよ」
「僕は治癒の力を持つトートの剣を持っているんですよ? 膠着状態なら常時回復できる僕が有利です。ですがそうですね。季桃さんとヴァーリさんがせっかくまだ生きているので、活用しましょうか」
そう言いながら心子さんは、倒れている季桃さんとヴァーリの傍に転移する。
「いったい何を……」
「人質ですよ。放っておいてもどうせ死にますけど、結人さんが僕に従わなければ苦痛を与えて殺します。どうせなら安らかに死なせてあげたいと思いませんか? それとも自分のために苦しんでもらいます?」
ナイアラトテップは最悪の邪神とも評される、邪悪な存在だ。
僕を嘲笑うためだけにヒカちゃんの首を切り落とそうとし、季桃さんとヴァーリに拷問まがいの苦痛を与える彼女はまさしく邪悪を体現していた。
「どうしてほしいか、2人にも聞いてみましょうか。うまく結人さんの関心を引けたらご褒美として、トートの剣で痛みだけは取り除いてあげてもいいですよ」
心子さんはまず、季桃さんに何かを言わせようとする。
季桃さんは肺に穴でも開いているのか、かすれた声で伝えたい内容を口にした。
「わた……しを………………いの……り……、う…………がき…………して。…………ぎ……の鍵…………、没収…………る」
私を祈里に上書きして。それで銀の鍵を没収する。季桃さんはそう言った。エインフェリアの聴力でなら聞き取れた。
人間の心子さんでは全てを聞き取れなかったらしい。だが、それでも言葉と言葉を繋ぎ合わせて彼女も理解する。
「殺す! 殺します! 銀の鍵を取られたら、僕は……!」
心子さんが季桃さんにトートの剣で斬りかかる。銀の鍵での障壁も、季桃さんの上書きも間に合わない。
けれど、心子さんが振るったトートの剣は季桃さんに届かなかった。ヴァーリが最後の力を振り絞って季桃さんを庇ったからだ。
心子さんは人間だから、季桃さんの言葉を即座に聞き取れなかった。その一瞬の隙が明暗をわけた。
存在の上書きは情念の強さで効力が変わる。上書きされる側に抵抗の意思があれば、完了までに時間がかかる。
ただし、今回の季桃さんは受け入れていた。だから存在の上書きはすぐに完了した。
エインフェリアの季桃さんが、祈里と名乗っているこのパラレルワールドの季桃さんに上書きされる。
祈里さんは心子さんが暴虐の限りを尽くしていることを即座に理解し、彼女から銀の鍵をはく奪した。
銀の鍵を失った心子さんに負ける要素はない。身を守る手段を失った心子さんに僕はトドメを刺した。
◇
「元々は普通に……別世界の優紗ちゃんだから普通じゃないけど、魔術も知らない、一般的な子だったんだよ」
このパラレルワールドの季桃さん、もとい――祈里さん。彼女の話はそんな説明から始まった。……彼女のことは季桃さんではなく、祈里さんと呼ぶべきだろう。
ヴァーリは季桃さんを庇ったときに死んでしまったから、今はこのパラレルワールドの季桃さんと2人きり。僕と一緒に戦ってきた仲間たちは、みんないなくなってしまった。
呆然としている僕に、祈里さんが声をかけてくれている。そんな状態だ。
「心子ちゃんは自分がナイアラトテップだという事実に、すごく悩んでたの。今は何ともないけど、もしかしたらいつか、ナイアラトテップとしての人格が芽生える日が来るかもって。もし人格がナイアラトテップに乗っ取られたら躊躇なく殺してほしいって言ってたのに、私が先に死んじゃったんだよね」
「僕が気づけていれば、何か変わったんだろうか……」
「どうだろう。その場にいなかった私としては、何とも言えないや」
祈里さんはエインフェリアではなかった。存在の上書きをすると、そういった部分まで上書きされてしまうようだ。
だけど怪我の具合も上書きされていた。祈里さんが普通に喋れているのもそのおかげで、特に外傷も無い。今の彼女は肉体も精神も、ロキに殺される少し前の祈里さんになっている。
「っていうか、大変なことになってるんだね。世界の滅亡なんてさ。私は戦力にならないし、結人さん1人じゃタウィル・アト=ウムルには勝てないよね。もうこのパラレルワールドはダメだよ。ここにいても、そのうち世界が滅んで死んでしまう。私をもう一度上書きして、エインフェリアの季桃にしてから2人で挑んで死ぬ? それとも私と一緒にどこかへ逃げちゃおっか」
「……僕は行くよ、1人で。レギンレイヴと一緒に、僕の義妹がいるはずだからさ。もしかしたら無事じゃないかもしれないけど、それでもいるはずだから行くんだ」
僕がそう告げると、祈里さんは少し寂しそうな顔をした。
「そっか。じゃあ1つお願いしてもいいかな。私をどこかのパラレルワールドに飛ばしてほしいの。本当ならエインフェリアの私に、私を返すべきだと思うけど、どうせなら私は私にできる戦いをしたいんだ」
「いったい、何をするつもりなの?」
「心子ちゃんから取り上げた、このパラレルワールドの銀の鍵があるでしょ。この銀の鍵を、どこか遠いパラレルワールドの結人さんに預けるの。そうすれば、その結人さんが別のパラレルワールドではレギンレイヴを倒すかもしれない。私はそのためのバトンを繋ぎたいんだよ」
今、ずっと疑問だった謎が解けた。
どうして僕が幼い頃から銀の鍵を持っていたのか、その謎が。
このパラレルワールドと同じように、戦力が減って詰み状態になったパラレルワールドは間違いなく存在する。そんなパラレルワールドからやってきた祈里さんが、希望と共に銀の鍵を僕へ預けたのだろう。
銀の鍵は使い手に選ばれてからの期間が長い方が結びつきが強くなり、うまく扱えるようになる。仮に今から祈里さんを他のパラレルワールドに跳ばすとしたら、20年ほど前を狙って跳ばすのがいいはずだ。
でも……懸念がある。
「たぶん僕も祈里さんから銀の鍵をもらっているんだ。でも僕は失敗した。だからキミが銀の鍵を託す久世結人も同じように失敗するかもしれない。それでもやるの?」
「パラレルワールドはたくさんあるんだし、今回がたまたまダメだっただけで、次の結人さんは成功するかもよ。それに心子ちゃんみたいな子は信用しちゃダメって、刷り込みでもしとくからさ。ついでに私みたいな人を好きになるように、刷り込みもしておこっかな」
もしかして僕の女性の好みが季桃さんのような人なのは、刷り込まれたせいなのか? まあ、もし本当にそういった刷り込みがうまくいくなら、次の僕は成功するかもしれない。
この僕に銀の鍵を託した祈里さんは、心子さん事件とはまた別の要因でやってきた祈里さんだったのかもしれないし。
「キミが未来に希望を持ってることはわかったよ。じゃあ送るね。このパラレルワールドに近い世界は既に滅んでいるはずだから、ちょっと遠目の世界に送る。時代は今から20年くらい前でいいかな? あまり厳密な設定は無理だから、多少ずれると思うけど」
「うん、それでお願い。結人さんも頑張ってね」
「祈里さんもね」
僕は祈里さんを他のパラレルワールドへ送った後、レギンレイヴのところへ向かう。
たった1人で挑んだ僕が、レギンレイヴに惨敗したことは言うまでもない。
―――――――――――――――――――――――
次のエピソードから再び本編に戻ります。
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