106:裏切り者
「レギンレイヴとの戦いは、今までにないほど大変なものになると思う。みんな、覚悟はいい?」
僕は仲間たちにそう声をかけた。
「ええ、もちろんです。世界を滅ぼそうとするレギンレイヴを倒しに行きましょう。だって僕は世界の破滅を止めるために魔術を学び、身体を鍛え、努力してきたのですから。覚悟はとうにできています」
「元を辿れば北欧の神々がやらかしたことだしな。身内の恥ってわけじゃねぇけど、俺が止めなきゃいけねぇだろ。残っている北欧の神は俺とレギンレイヴだけだしな。人間も含めりゃリーヴもいるけどよ」
僕の声掛けに反応して、心子さんとヴァーリがそれぞれの決意を語ってくれた。
季桃さんとヒカちゃんも2人に続いて言葉を紡ぐ。
「私は元のパラレルワールドに帰りたいけど……。でも、別世界の結人さんみたいに世界を滅ぼすつもりはないの。だからタウィル・アト=ウムルのレギンレイヴを倒して、世界を滅ぼす以外の方法で元のパラレルワールドに帰らなきゃ」
「ユウ兄。今更だけどありがとね。私のもう1人のお兄ちゃんになってくれて。ユウ兄と季桃さんと優紗ちゃんをエインフェリアにして、巻き込んでしまって、私は本当にダメな子だって絶望したけど……。
でもユウ兄が約束してくれたおかげでここまでこれた。季桃さんを元の世界に帰して、優紗ちゃんを生き返らせて、ユウ兄の世界の私を見つけ出す約束を。優紗ちゃんについてはまだわからないけど……。でも、ユウ兄と一緒なら何とかなる気がするの。だから一緒に行こう、窮極の門へ」
みんなからの想いを受け取った僕は、窮極の門への転移を開始する。
……だけど一つ気にかかることがある。
リーヴを窮極の門へ転移させたのは誰なのか。
転移の犯人は本当にレギンレイヴ? それともロキが言ったように、僕たちの中に裏切り者がいる?
誰がリーヴを転移させたのか、僕にはまったくわからなかった。
僕以外に時空操作魔術を使えるのは、心子さん1人だけだけど……。彼女の時空操作魔術の腕前から考えると、心子さんが犯人なら僕は気づけたと思う。
実力を隠していたとしたら話は別だけれど……。そんなことを考え始めると、実は他の人たちも時空操作魔術を使えたのでは? みたいな話になって全員が候補になってしまう。
裏切り者がいるとしたら、誰だ?
レギンレイヴと最も関係が深いのはヒカちゃんだ。だから疑う余地がある……だろうか?
僕の世界のヒカルは、ヨグ=ソトースから力を引き出すことができていた。これおそらく、タウィル・アト=ウムルであるレギンレイヴから力や知識を得ているからだ。
ヒカちゃんも僕の世界のヒカルと同じように、レギンレイヴから力と知識を得ている。つまり、ヒカちゃんも時空操作魔術を扱えてもおかしくない……のか?
ヒカちゃんとレギンレイヴは性格や考え方が似ているらしい。実はヒカちゃんはレギンレイヴの味方だった……という可能性も否定することはできず、動機の面でも疑う余地はある。
疑おうと思えば疑えなくはないのだ。……だけど、ヒカちゃんが世界の滅亡を望むなんてことがあるのか?
僕にはそうは思えない。
僕がヒカちゃんと約束を交わした。季桃さんを出身パラレルワールドに帰して、優紗ちゃんを生き返らせて、僕の義妹を見つける約束だ。
約束を結んだあの時のヒカちゃんの表情が、声音が、嘘だったとは思えないのだ。
ヒカちゃんは裏切り者じゃない。
僕はそう結論づける。
続いて季桃さんはどうだろう。
季桃さんはパラレルワールドによってはヨグ=ソトースの義娘であり、卓越した技術を持つ魔術師だ。
しかし、僕たちと一緒に戦ってきたエインフェリアの季桃さんは違う。彼女は魔術に縁のない一般人としてこれまで過ごしてきた。
もしそれが、嘘だったとしたら?
彼女が祈里と名乗る季桃さん以上に魔術に縁が深い人間だったら? 実はヨグ=ソトースの信奉者だったとしたら?
レギンレイヴの味方じゃなくてヨグ=ソトースの味方だとすれば。僕たちとリーヴを分断すると何かヨグ=ソトースに益があるとすれば。
……いや、ここまでくると推理というより妄想だ。
何より彼女はお婆さんの策略で、存在の上書きをされかかったことがある。季桃さんが魔術に縁深い人間だとしたら、あそこで何らかの抵抗をしていただろう。
あの状況でまったく抵抗できていなかった以上、季桃さんは一般人だ。
エインフェリアになったときに取られた大切なものも、銀の鍵の使い手の任命権じゃなかった。だから彼女はヨグ=ソトースの義娘でもない。
季桃さんは裏切り者じゃない。
僕はそう結論づける。
続いてヴァーリについて考えよう。
ヴァーリは数少ない北欧の神の生き残りだ。コールドスリープによって、神話の時代から現代まで生き永らえている。
要するに彼は神話の時代において、レギンレイヴと直接の面識を持っていた可能性がある。
ヴァーリとレギンレイヴは旧知の仲で、実は彼女から時空操作魔術を教えてもらっていた……みたいな仮説を否定することはできない。もし仮説が正しければ、ヴァーリがレギンレイヴの味方をする動機は十分だ。
……けれど、可能性を完全に否定することはできないけど。彼の出生を考えれば、やっぱりありえないと言っていいだろう。
ヴァーリはオーディンにとっては危険分子だ。何しろ、ヴァーリはオーディンを酷く憎んでいる。
聡明なオーディンならば、自分の計画の要であるレギンレイヴにヴァーリを近づかせるはずがない。ヴァーリがオーディンに復讐するために、レギンレイヴを殺さないとも限らないのだから。
ヴァーリは裏切り者じゃない。
僕はそう結論づける。
そして最後は心子さんだ。
心子さんの正体は幼い頃にこのパラレルワールドに迷い込んだ成大優紗だ。滅亡したパラレルワールドで僕とは別の久世結人に助けられ、このパラレルワールドにやってきた。
助けてくれた久世結人は既に死亡しており、心子さんはこのパラレルワールドに1人取り残された。
このままでは出身パラレルワールドと同様に、このパラレルワールドも滅んでしまう。そう考えて心子さんはこのパラレルワールドを救うために、懸命に努力を重ねてきた。
持ち前の正義感と行動力、そして豊富な魔術知識で心子さんは何度も僕たちを助けてくれた。彼女がいなければ、脱せなかった窮地も多かった。
そんな彼女がレギンレイヴに協力し、世界の滅亡を企てているはずがない。
心子さんも裏切り者じゃない。
やっぱり僕たちの中に裏切り者はいない。
僕はそう結論付けて窮極の門へ転移を続行しようとして……ふと不思議に思った。
そういえば優紗ちゃんがエインフェリアになったときに、取られてしまった大切なものは一体何だったのだろうか。
心子さんと優紗ちゃんは別世界の同一人物。ならば、2人の大切なものは共通しているかもしれない。
エインフェリアは数千年もの間、生みだされ続けてきた。取られる質についても、それだけたくさんの前例がある。それなのに、優紗ちゃんの質は過去に全く例のないものだった。
カラスたちも優紗ちゃん本人も、何を取られたのか全然理解していなかった。
そもそもなぜ彼女はトートの剣という、恐るべき力を持つ神剣を扱えるのだろうか? トートの剣は質と関係がある? 関係がない? 関係があるとしたらどう関係がある?
幻夢境にはトートという神がおり、それはナイアラトテップの化身だと言われている。
トートの剣はナイアラトテップの化身が作った、邪神を殺すための剣だ。
扱う素質を持たない者は呪いによって死に至る、そんな剣を扱うための素質……それは……。
まさか心子さんは……成大優紗という少女は、人間として生まれたナイアラトテップの化身なのか?
トートの剣はナイアラトテップのための剣ではないだろうか。だから普通の人には使えないようになっている?
僕は季桃さんのお祖母さんの研究室で、ヒカちゃんたちと交わした会話を思い出していた。
◆◆◆
「ナイアラトテップの召喚と従属に関する研究……?」
僕がそう呟いた途端、心子さんの気配が張り詰めたのがわかった。お祖母さんはナイアラトテップの化身を従えている可能性がある、そう理解したための反応なのかもしれない。
ヒカちゃんが心配そうに尋ねてくる。
「ナイアラトテップってクルーシュチャみたいなやばいやつなんだよね? そんなやつを召喚って大丈夫なの?」
「化身によっては大丈夫……かな。最下級の化身は人間でも普通に倒せるような相手だからさ。もし召喚と従属に成功していたとしたら、どのくらいの強さの化身なのかが問題かな」
ナイアラトテップの本質は混沌であり、あらゆる事象を内包する神性だ。それ故に、ナイアラトテップの化身はあらゆる可能性の中から生まれる。
「実在が確認されている中で最弱なのは、人間として生まれた化身かな。見た目も中身も人間と同じで、人間社会で普通に生活をしていたんだけど、隣人に刺されて死んだらしいよ」
「人間として生まれた化身なんているんだ!? じゃあ私たちの中にナイアラトテップがいる可能性もあるの?」
僕の話を聞いてヒカちゃんが面白い考察をしているが、心子さんにやんわりと否定される。
「無いとは言えませんが、さすがにその可能性は低いでしょうね。そもそも化身は滅多にいるものではありませんので」
心子さんのいう通りだ。僕たちの中にナイアラトテップがいる可能性を否定することはできないが、可能性が低すぎて考慮するに値しない。
この地球上には約80億の人間が存在するが、その中に1人か2人いるかどうかといったところだ。今は0人である可能性すらかなり高い。
僕と心子さんはヒカちゃんたちに、そういったことを説明した。
「自分がナイアラトテップだと気づいていない化身もいるらしいよ。最後まで気づかない場合もあるし、途中で気づく場合もあるとか。だから自分がナイアラトテップじゃないって証明することはなかなか難しいね」
◆◆◆
あの時読んだ研究ノートに記載されていた、お祖母さんが従属に失敗した力のないナイアラトテップ。
このナイアラトテップとは、心子さんのことだろう。
おそらく優紗ちゃんは人間として生まれた上に、自分がナイアラトテップだと気づいていない化身なのだ。だから優紗ちゃんは自身がナイアラトテップだと知らず、僕たちを庇ってそのまま死んでしまった。
一方で心子さんはお祖母さんにナイアラトテップの召喚魔術で召喚されてしまったため、自身がナイアラトテップだと気づいた。
僕が研究ノートを見つけたときに心子さんの気配が張り詰めたのは、自分がナイアラトテップだと知られるのが怖かったからではないか。
ナイアラトテップは信用できない。信用されない。それで僕たちに打ち明けられず、1人で黙っていた。
そして僕たちが初めてロキに出会ったとき、心子さんの様子がおかしかったことを思い出す。
◆◆◆
クルーシュチャが心子さんを視界に収めた瞬間、心子さんが断末魔のような叫び声をあげて膝から崩れ落ちる。
「ああぁあぁ……! そ……んな………! す……ませ………! うぅ……。 はな……べき……た……」
心子さんは僕たちの中で最も魔術や邪神について精通している。そのためクルーシュチャに潜むナイアラトテップの神性を、他の面々とは比較にならないほど色濃く感じ取ってしまったのだろう。
心子さんは全身を震わせながらうずくまり、何かを脳内から追い出そうとするかのように頭をかきむしる。それでも僕たちに何かを伝えようとしているように見えるが、まともな言葉になっていなかった。
◆◆◆
今ならわかる。心子さんは『すみません……! 話すべきでした……!』と言っていたんだ。
ロキと遭遇したとき、心子さんの中で何かが変わった。頭をかきむしって何かを追い出そうとする仕草は、変容に抗おうとする反射的な反応だ。
思い返せばそれ以降の心子さんは、ときおり不自然な瞬間を僕に見せている。一番最初にそれを見たのは、お祖母さんのお墓参りをしているときだ。
◆◆◆
「とりあえず、そろそろ戻りましょうか。やるべきことはたくさんあります」
「そうだね。心子さんの魔術工房まで帰ろう。といっても転移するだけだけどね」
僕は空間転移を発動したとき、偶然風が吹く。その風に釣られて、心子さんから一度視線を外した。
そして……視線を心子さんに戻したとき、彼女が途方もなく邪悪な笑みを浮かべたような気がした。
「あの? どうかしましたか?」
「いや……ごめん。何でもないよ」
優しい心子さんがそんな邪悪な笑みを浮かべるはずがない。きっと気のせいだったのだろう。
◆◆◆
他にも違和感が強かった出来事がある。例えば、神話の時代をシミュレーションしようとしていたときのことだ。
◆◆◆
「ヴァーリさん。神話の時代で最も強く印象に残っていること、心に深く刻まれていることを意識してください。そうしてくだされば安定性が飛躍的に増しますので、よろしくお願いしますね」
「一番強く心に残っていることか……」
ヴァーリの心に最も強烈に刻まれていることと言えば、生まれた直後にやらされたヘズ殺しだろう。オーディンの策略により、ヴァーリは自分の意思とは無関係に、腹違いの兄を殺害させられている。
そんなことを意識するのは辛いだろう。無理をさせないように、僕はヴァーリに声をかける。
「そこまで強く意識しなくても大丈夫だよ。多少安定性が乱れた程度なら僕がフォローできるから」
しかし、心子さんが反論してきた。
「でもやはり安全第一に考えるなら、ヴァーリさんには頑張っていただかないと」
心子さんは安定性を理由に、辛い出来事について強く意識するように何度もヴァーリへ指示していた。
僕の負担を減らそうしているのか? みんなを危険に晒さないように、念には念を入れようとしているのか?
理由はいくらでも思いつく。けれどもなんだか、心子さんらしくない。そんな違和感を僕は感じていた。
◆◆◆
心子さんは僕たちと行動を共にしている途中でナイアラトテップとして意識が芽生え、人格が変化した。あるいは乗っ取られたんだ。
あらゆるものを見下して嘲笑う、混沌の邪神ナイアラトテップとしての人格に。
優紗ちゃんが取られていた質は、自覚がないナイアラトテップとして最も重要なもの。
自分がナイアラトテップだと知るための、ナイアラトテップの人格へ変容するための覚醒能力だ。
覚醒条件はおそらく、自身以外とのナイアラトテップとの遭遇なのだと思う。だから後天的なナイアラトテップであるロキと遭遇したときに、心子さんにナイアラトテップとしての人格が芽生えた。
心子さんは成大優紗だから、優紗同士では自分以外という条件を満たせず、これまでずっと善良な人格のままだったのだろう。
裏切り者は成大心子だ。
このタイミングで、彼女からの妨害が入る。
僕はそう結論付けて、心子さんに邪魔されることを想定に入れた上で、窮極の門へ転移を続行した。
◇
「うわ……気分悪い……。なんか乗り物酔いしたみたいな感じ……。もしかして結人さん、転移に失敗した?」
季桃さんにそんなことを言われてしまったので、軽く詫びを入れる。
「ううん、転移は無事にできたよ。ちょっと妨害が入ることに気づいたから、回避のために荒っぽくなっただけでさ」
「レギンレイヴの仕業か? まあ敵の妨害をするのは当然だよな」
ヴァーリがそう尋ねてくる。裏切り者に気づいていなければ無理もない。
「そうじゃないんだ。それも警戒していたけど、結果から言うとレギンレイヴからの妨害はなかったよ。無駄だと思ったのか、リーヴと戦っていて余裕がないのか、それとも別の理由なのかはわからないけどさ。
……でも僕たちがレギンレイヴに気を取られているのをいいことに、転移を失敗させようと秘密裏に悪事を企てていた人がいたんだ」
いったい誰が……という様子でヒカちゃんたちが戸惑っている。
僕は心子さんに向き直って、こう告げた。
「だよね、心子さん。何か弁解はあるかな?」
心子さんは俯いていたが、ゆっくりと顔を上げる。
その表情には、狂気的な笑みが浮かんでいた。
「……あはっ。弁解なんて無いですよ。だって、その通りですから。ずっと……ずーっと機会を伺っていたんですよ。いつ裏切るのが一番笑えるか、一番めちゃくちゃにできるか、ずっとね」
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次のエピソードは裏切り者に気づけなかったパラレルワールドの番外編です。
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