25:ヨグ=ソトースの娘
僕たちはヨグ=ソトースの娘が潜む洞窟へ突入した。
洞窟の中は暗く、明かりがなければ何も見えないほどだ。
しかし幸いにも洞窟は途中で枝分かれすることがほとんどなく、曲がりくねっていても基本は一本道だった。
落とし子が通った痕跡が地面に残されているため、分かれ道があったとしても迷うことはないだろう。
洞窟の最深部に差し掛かった頃、ようやく僕たちは心子さんを発見した。
心子さんは壁面に描かれた、五芒星のような謎の模様を見つめていた。
おそらく魔術に関わる刻印なのだろう。
単純な五芒星ではなく、不安定に歪んでおり、その内側に炎のような目が描かれていた。
僕たちが心子さんに近づくと、彼女は僕たちに気づいて驚愕の表情を浮かべる。
「こんなに早く再会するとは思っていませんでした。一体何の目的でこんなところへ? 貴方たちの目的次第では、戦うことになりますね」
優紗ちゃんはどうにか返事をしようとしているが、認識阻害のことが気にかかるのか、口をつぐんでいる。
本来は仲の良い姉から敵対的な態度をぶつけられていることが、優紗ちゃんの行動を鈍らせているのだろう。
こちらが何も言わなければ、心子さんが警戒度を上げるだけだ。
心子さんはヨグ=ソトースの娘や、その落とし子による被害を抑えようとしているのは間違いない。
それなら、僕たちも被害を抑えたい意思は同じだと明言するべきだろう。
「ここに来たのは偶然さ。毒性を持つ怪物に出会って、その痕跡を辿ってきたんだ。落とし子と言ったかな? その怪物は倒しておいたよ」
「落とし子を倒したのですか! それが本当なら何よりです。放っておくと大変なことになりますからね」
落とし子が倒されたと聞いて、心子さんはあからさまにほっとしている。
人々に被害が出ないことがわかって安心したようだ。
しかし、心子さんは再び表情を険しくする。
「それはそれとして、以前出会ってからカラスを使って、僕のことを追いかけ回していますよね。そもそも、なぜ執拗に僕を追っているのですか?」
「カラスが心子さんを追っているのは、心子さんがスコルの子――もとい、キミがティンダロスの猟犬と呼んでいる化け物を使役しているからだね」
「ああ、ティンダロスの猟犬のことですか。あれを使役する方法を知りたいのですね」
心子さんは困ったように言葉を続ける。
「残念ながら、お教えすることはできません。というのも、奴らを捕らえるには特殊な道具が必要なのですが、道具の作り方を僕は知らないのです。久世結人さんなら……たぶん知ってますけど」
「……その久世結人はどこにいるの?」
「行方不明になっていて……僕が知りたいです。できることなら、また会いたい。でもおそらく……既に亡くなっています」
亡くなっている……? 僕もエインフェリアになのだから、一度死んでいる。
家を襲撃してきた奴に持ち去られたのか、死体は見つかってないようだから、世間一般的には行方不明になってるらしいし。
やっぱり心子さんが探しているのは僕なのか……?
「ティンダロスの猟犬について僕が知っていることは以上です。僕を追う理由はこれで無くなりましたよね」
心子さんは数歩後ろに下がると、僕たちから視線を外して洞窟の壁面に描かれた五芒星を一瞥する。
「やはりこれ以上、封印を強化することは不可能ですね……」
そう呟いてから、心子さんは厳かに呪文を唱え始める。すると彼女の後ろに輝く"門"が出現した。
ヒカルが驚いた様子で口を開く。
「もしかして、転移の魔術? ルーン魔術にはそんな魔術はないのに……。すごい」
ヒカルの言葉を信じるなら、心子さんはこの門を使って瞬間移動ができるのだろう。
「そういえば北欧神話に伝わる移動手段に、瞬間移動って無いんだよね。鳥に変身したり、翼を生やしたりする話はあるけどさ」
季桃さんもそんなことを教えてくれた。
心子さんが使っているのは、ルーン魔術とは全く異なる魔術なのは間違いない。
彼女がカラスから逃げおおせていたのは、北欧の神々が知らないこの魔術が理由だったようだ。
心子さんが門を通る直前、優紗ちゃんが意を決したように心子さんへ声をかける。
「私、頑張るよ! 突然何言ってるんだって思うだろうけど、貴方の力になれるように頑張る!」
心子さんは一瞬、虚を突かれたような顔をした。
けれど優紗ちゃんの真剣な様子を感じたのか、優しく笑顔を返した。
そのまま心子さんは恭しく一礼をすると、"門"をくぐってどこかへ転移する。
彼女が消えた後、"門"も輝きを失い消滅した。
「優紗ちゃん。今のでよかったの?」
「認識阻害魔術があるので、お姉ちゃんの力になりたい! と言っても向こうからすれば意味不明ですからね」
確かに『お姉ちゃんの力になる』だと、優紗ちゃんを自分の妹だと認識できていない心子さんには伝わらない。
心子さん視点だと、よく知らない人が唐突に姉の話を始めたことになってしまう。
「私、今までお姉ちゃんに何もしてあげられなかったんですよ。どんなことでもお姉ちゃんの方が上手くできるし、私の方が得意なことなんて無くて……。でもエインフェリアになったおかげで、初めてお姉ちゃんの力になれるかもしれません」
優紗ちゃんは嬉しそうにそう語った。
僕としても、エインフェリアとしての力が役に立つなら、協力を惜しむつもりはない。
一度死んでしまったことは悲しいことだけれど、エインフェリアになって良かったこともある。
普通の人間のままでは、怪物のことなど知るはずもなかったし、戦う術も持たなかっただろう。
「この奥にヨグ=ソトースの娘が封印されているらしいけど、心子さん1人では荷が重すぎるようだし、戦闘に向いている僕たちエインフェリアが受け持ちたいな」
「いいと思うよ。カラスとも相談しないといけないけど、倒せれば大切なものを返してもらえる日が近づくしね」
「封印が破られかかってると言っていましたが、封印を強化することはできませんか? 力を削げるなら、その方が倒しやすそうです」
心子さんは五芒星模様を見て、封印の強化は難しいと言っていた。
おそらくはその文様が封印に関わっているのだろうが、よくわからない。
でも僕たちにはルーン魔術がある。
心子さんの魔術とは別の観点で封印を強化できないだろうか。
ヒカルがいろいろ調べてくれたが、結論から言うと難しいようだ。
「変な干渉を起こして逆に弱めてしまう可能性が高いかなぁ。両方の魔術に精通していれば別だけど、そんな人いないしね」
ヒカルにわかるのは、この封印が正常稼働していることだけらしい。
封印に綻びがあるわけではなく、封印されている怪物の力が増していて、抑え込めなくなってるという。
ここで調べられることはもう無い。
僕たちに今できるのは、ヨグ=ソトースの娘が潜む最深部へ行ってみるくらいだ。
破られかけているとはいえ、封印は今も有効だ。
落とし子を生み出すことはできるようだが、弱っているのは間違いないはず。
人間の魔術師には倒せなくても、エインフェリアであれば倒せる可能性があるかもしれない。
「ひとまずヨグ=ソトースの娘と一度対面してみようよ。勝てるならそのまま押し切りたいけど、無理そうなら撤退して、作戦を練り直してもいいしね」
「そっか。スコルの子と違ってずっと追いかけてくるわけじゃないから、逃げてもいいんだ」
スコルの子はどこまで逃げても追いかけてくるからな……。
でも封印されているヨグ=ソトースの娘が相手なら、逃げることも可能だろう。
僕たちだけで倒すにせよ、カラスに報告して他のエインフェリアを派遣してもらうにせよ、偵察をして損はない。
僕たちの方針は満場一致で決定となり、最深部へ向かうことにしたのだった。
◇
最深部で蠢いていたのは、巨大な肉の塊だった。
20メートルを超えるその巨体は、毒性を帯びた粘液を垂れ流しながら不気味に胎動している。
身体の内側はぶよぶよと柔らかいものの、外殻の一部は非常に硬くなっているようだ。
危険が迫ったときには外殻で弱点を覆い隠し、並の攻撃を通さない、驚異的な防御力を発揮するのだろう。
巨大な蛇にも、アルマジロのようにも見えるその異様な姿は、僕たちの戦意を挫くのに十分な威圧を放っていた。
あまりの大きさに、季桃さんとヒカルが叫んでいる。
「ででで、でかっ!? でかくない!? こんなに大きいとか聞いてないんだけど! 大きなマンションを相手にするようなスケールだよね!?」
「これもしかして、ヨルムンガンドじゃない!? 伝承よりは全然小さいけど、確かこんな感じだよ!」
ヨルムンガンドって何だろう。
ゲームとかで聞いたことあるような名前だけど、具体的な内容までは全然知らないな。
僕が思い出せなくて困っていると、2人が説明してくれる。
「ヨルムンガンドは北欧神話に伝わる怪物の名前だよ! 多くの神々を殺戮した3匹の怪物のうちの1匹! 神すら死ぬほどの、強力な毒を持つ毒蛇なの!」
「こんなの私たちに倒せるのかな……。ヨルムンガンドって戦闘力トップクラスの神と相打ちになったって伝承があるの。仮に同種の生物だとしたら、エインフェリアどころか生き残りの神々ですら倒せないかも……」
北欧神話に詳しいヒカルと季桃さんが、神々ですら勝てないかもしれないと言うのだから、恐ろしい敵であることは間違いないのだろう。
けれど、実は僕たちには勝算がある。
僕と優紗ちゃんは同じ考えに至ったようで、その勝算を口にした。
「破られかかっているとはいえ、封印はまだ有効なんだ。破られる前なら弱っているはずだよ」
「封印のおかげで、あの怪物は本来の力を出せないはずです。それなら私たちにも勝機はあります!」
それに、ヒカルは伝承よりは小さいと言っていた。
ヨグ=ソトースの娘が蛇神ヨルムンガンドと同種の生物だとしても、まだ成体ではないのかもしれない。
勝てる可能性があるなら、何とか倒したいところだ。
神々を殺戮した怪物と同種の生物を倒せたなら、戦果としては最高だろう。
現代まで生き残った神々に認められ、記憶を返してもらえる日も近くなる。
とはいえ、強敵には違いない。初見で勝てるとは思っていない。
「今回は作戦を立てるための様子見だ。無理に攻め込まず、適度なところで撤退しよう」
僕はこの戦いの目的を皆に告げ、ヨグ=ソトースの娘に立ち向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます