20:戦乙女と黄金の首飾り
僕たちが日課のランニングを終えて社務所に戻ると、ちょうどヒカルが起きたところだったようだ。
季桃さんも既に起きて社務所にいる。
「ユウちゃん、優紗ちゃん、おはよー」
「おはようヒカル。眠そうだね」
「うん、すっごく眠い。エインフェリアって睡眠をあまり取らなくても平気なはずなんだけどね」
ふわぁ、とヒカルから小さなあくびが出る。
「昼夜問わずスコルの子に襲われているし、疲れが溜まっているのかもしれないよ。無理しないでね」
「ありがと! でも大丈夫!」
心配だけど、とりあえずは元気そうだし大丈夫かな。
優紗ちゃんがヒカルに声をかける。
「ふっふっふ、ヒカルちゃん。こういうときは猫を愛でると疲れも眠気も全て吹き飛ぶんだよ」
「それは優紗ちゃんだけだよ」
「そんなことないって、実践してみればわかるよ。というわけでバーストに餌をあげに行こう!」
そのまま優紗ちゃんは、やや強引にヒカルを連れて猫のバーストのところへ向かった。
出ていく直前で僕に目配せをしてきたので、今のうちに季桃さんと話しておけということだろう。
社務所から出ていく2人を見送った後、僕は季桃さんに声をかける。
「季桃さん、今いいかな? ヒカルには内緒の相談があるんだ」
「内緒って言われると怖いんだけど……。優紗ちゃんには話していいの?」
「うん、優紗ちゃんとはもう話してる。季桃さんの神話知識を頼りたいんだ」
「そういうことなら全然OKだよ」
季桃さんに話を聞けるなら心強い。
僕は優紗ちゃんと話した内容を、季桃さんに説明した。
「なるほど、ヒカルちゃんは優紗ちゃんが調査してた子の可能性があるんだ」
「もしかして生前に優紗ちゃんから聞いてる?」
「少しだけね。『呪いなんてあるはずないのに、統計的に有意な値がでちゃうんです!』とか言ってたのを覚えてるよ」
ある程度知っているなら話は早い。
ヒカルたちが戻ってくる前に話を終わらせるため、早速本題に入ることにした。
「北欧神話の伝承に、"親しい人に不幸が降りかかる呪い"の話ってある?」
「うーん……。呪いが原因、というのはパッと思いつかないや。北欧神話で起こる不幸って、9割くらいはオーディンかロキが原因なんだよね」
北欧の神々のせいでヒカルに呪いがかかっていた、という推測はさすがに外れだったか……。
僕が難しい顔をしていたことを察してか、季桃さんは話を続けてくれる。
「親しい人が失踪する話なら北欧神話にあるよ。呪いが関係するか、不幸になったかはわからないけど」
「一応、聞かせてもらってもいいかな?」
「いいよ。今からするのはフレイヤという女神のお話。北欧神話講座、特別編だね」
季桃さんは次のような話をしてくれた。
◇
あるとき、オーディンの盟友であるロキは神々のために、たくさんの宝物を神の国へ持ち帰ってきました。
女神フレイヤはその宝物をとても気に入りましたが、宝物はオーディンや他の神の持ち物になって、自分の物にはなりませんでした。
そこで美しいものが大好きなフレイヤは、自分の力で他の宝物を手に入れようとするのです。
フレイヤが目を付けたのは、女巨人が持つ黄金の首飾りでした。
フレイヤはその女巨人が住む山へ向かい、黄金の首飾りを譲ってもらおうと考えたのです。
ところで、フレイヤには愛する夫がいました。
フレイヤの夫は女巨人のところへ行ってはいけないとフレイヤに言い聞かせていました。
しかし、どうしても黄金の首飾りが欲しいフレイヤは夫に内緒で女巨人の住処へ行ってしまうのです。
フレイヤは黄金の首飾りを手に入れると、神の国に戻ってきました。
けれど、どこを探しても夫の姿はありません。
フレイヤの夫は旅が好きで、神の国の外へ出かけることがありました。
今回も出かけているだけかもしれない、フレイヤはそう考えて夫の帰りを待ちますが、いつまで経っても帰ってきません。
心配になったフレイヤは、自身も神の国を出て夫を探し始めます。
フレイヤは何年もかけて夫を探しましたが、夫を見つけることは結局できませんでした。
◇
「とまあ、こんな感じ。呪いというキーワードは出てこないけど、夫が旅先で死んだと考えれば不幸になったと言えるかな」
「ありがとう、参考になったよ」
夫が呪いで死んだと考えるなら、黄金の首飾りが原因だろうか。
「黄金の首飾りが呪いのアイテムだった可能性はある?」
「可能性ならあると思うよ。伝承にはそういった話は残ってないけどね」
夫は旅先で死んだとする説もあるが、フレイヤに愛想を尽かして去ったという説が一般的らしい。
黄金の首飾りについて詳しく語る伝承は無いそうだ。
せいぜいが、フレイヤのトレードマークとしての登場らしい。
黄金の首飾りをヒカルの呪いと結びつけるのはさすがに無理があるだろうか……。
でもなんとなく、重要な気がする。ヒカルの秘密に迫れるような予感がするのだ。
「首飾りの持ち主であるフレイヤについて教えてもらえる?」
「フレイヤは強大な力を持つ女神で、権力も部分的には最高神オーディンと並ぶほどだったと言われているよ。例えば、エインフェリアの所有権を持っていたりね」
神々が所有する兵士であるエインフェリアは、その所有権が厳格に決められていたという。
エインフェリアの半分はオーディン、もう半分はフレイヤが持っていたとされているのだ。
先ほど季桃さんから聞いた話では、フレイヤは黄金の首飾りに目が眩んだ愚かな女神のような印象だったが、実際はかなり高位な神のようだ。
北欧神話に登場する女神の中では、最上位の権力を持っていたらしい。
「フレイヤはどうしてエインフェリアの所有権を持っていたの? いくら偉い女神だとしても、最高神であるオーディンと権利を分け合うなんて普通じゃないよね」
「それはフレイヤが戦乙女のリーダーだからだね。ワルキューレとかヴァルキリーって呼び方のほうが有名かな? ヴァルキュリアって呼び方もあるね」
ゲームとかで聞いたことがある言葉だけれど、具体的な意味はわからない。
戦場に立つ女性というイメージがあるくらいだ。
「戦乙女は、エインフェリアにする死者を選ぶ女神たちのことだよ。戦場に現れては、資格を持つ死者を神々の国へ連れて行ったと言われているの」
選ぶといっても、誰をエインフェリアにするかの最終決定権はオーディンが持っていたらしい。
とはいえ、エインフェリアと密接に関わっている戦乙女のリーダーだから、エインフェリアの所有権を持っていたのだ。
「まあ、フレイヤもオーディンも戦争で死んでしまったから、今、エインフェリアの所有権を持っているのはバルドルだろうけどね」
「前の勉強会で出た名前だな。確かバルドルって、オーディンとその正妻の息子だっけ?」
「そうそう。ちなみにその正妻がフレイヤって説があるよ」
フレイヤがオーディンの正妻……もしそうなら、旅に出て帰ってこなかった夫はオーディンということになる。
そうなると、黄金の首飾りの呪いで夫が死んだという説が否定されてしまう。
「フレイヤがオーディンの正妻だとしたら、行方不明になったフレイヤの夫は帰ってきたことになるよね。オーディンは旅の途中で行方不明になったんじゃなくて、戦争で死んだのだからさ」
「フレイヤに夫が複数いた説もあるからそんな単純でもないかな。仮に行方不明になったのがオーディンだとしても、旅先で呪いの対処法を見つけて帰ってきた可能性もありえるし」
フレイヤがオーディンの正妻だとしても、黄金の首飾りが呪いのアイテムだという推測は一応破綻していないようだ。
とりあえず、その仮定を正しいとして話を進める。
「黄金の首飾りを現代ではヒカルが持っていた、なんてことはありえるかな?」
「可能性はゼロではないんじゃない? その可能性が高いかは別としてさ」
伝承から考えると、黄金の首飾りが人間の手に渡る可能性も、ありえなくはないらしい。
フレイヤには人間の愛人がいたという伝承が残っているそうだ。そこから首飾りが人間の手に渡った可能性がある。
もしくは、フレイヤは戦争で戦死しているのだから、死体から黄金の首飾りを誰かが持ち去った可能性もある。
「そこから様々な人の手を渡って、現代ではヒカルが持っていた。そう考えれば辻褄が合わなくもないか? ……いや、そういえば”私が死ねば呪いは消える”と言ってたんだよな」
「黄金の首飾りが原因なら手放せばいいだけだもんね」
やっぱり黄金の首飾りは呪いとは関係ないのか……?
推論に推論を重ねているから、ほとんど妄想みたいになっているのは事実だ。
「これ以上は無理そうだ。ありがとう、いろいろ教えてくれて」
「役に立てなくてごめんね。もっといい情報があればよかったんだけど」
「ううん、北欧神話の勉強になってよかったよ」
そもそも呪われていた優紗ちゃんの友達と、ヒカルが同一人物であるかもはっきりしていない。
確証もないまま、あれこれ想像してもうまく行かないだろう。
でもなぜか、黄金の首飾りはヒカルと関係あるような気がしてならなかった。
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