不安

 新しく入ってきた女中は中々にすごい娘だったらしい。

 らしい、というのも、華乃は一度しかその娘と顔を合わせていないからだ。

 顔を合わせたと言っても名前を聞くか聞かないかで先輩に詰め所を追い出され、疲れ切った顔で微笑む柚稀に茶を頼まれ客間に行くと、にっこり笑って「おはようさん」飛鳥が手を振っていた。その後ろには死んだ目をした従者殿がいて、深々と頭を下げられた。

 その後は雅冬と飛鳥に挟まれて遠い目をして過ごすしか選択肢がなかった。

 従者殿にこってり絞られたらしいというのに飛鳥は飄々とした顔で城に日参している。

 美しい顔に青筋を浮かべながら微笑む従者殿に見定めるような視線を頂くが、飛鳥の無駄に近い距離感がそうさせているのだろうと、早々に気にするのをやめた。

 そんなこんなで、新しく入ってきた女中と関わる暇はなかったが、隙間時間に会う(会いに来てくれる)先輩たちによると、相当ひどいらしい。仕事をしない、覚えない、は当然で、しきりに殿に会わせろと言っているらしい。なんでも彼女は自称雅冬の正室候補なのだそうだ。中指を立てた先輩が嘲笑混じりに教えてくれた。先輩たちの口癖が「華は絶対にあの娘に会うんじゃないわよ」「もしも、会ってしまったら大声をあげるのよ。すぐ助けにいくからね」になった。今日も今日とておなじみとなったフレーズで釘を刺されて、入れ違いに休憩を終えた先輩女中の背を見送る。

 ひとりきりになった詰め所でほっと息を吐いて、小さく呟いた。


「でも殿の正室候補を名乗れるだけのお家の出ってことだよね」


 こんなことならもっと勉強しとくんだった。父上も柚稀もいい顔をしなかったし、雪雅様に至っては華乃はそんなの気にしなくていいんだよ~ってあからさまに遠ざけられたから、今の力関係を把握しきれていないんだよな。雪雅様のお屋敷でもここでも女中の仕事をしていたら聞こえてくるはずの話が入ってこないし。おかげで、仕事をしながらでいいやと思っていた情報が半分も把握できていない。

 ここにきて後回しにしていたツケが回ってきていると華乃は苦々しく顔を歪めた。

 それが雪雅の意思なのか、黎季の親心なのか、柚稀の配慮なのか、判断がつかない。醜いものに近づけず、危険から遠ざけ、何も知らさず、何事もなく過ごしてほしい。自己防衛さえ必要ないほどに、ただ平穏に。二度と、失うことの無いように。そんな願いが透けて見えた。その証拠に自分についてくる気配の多さは雅冬につけられているソレさえ凌ぐのではないだろうかと考えてしまうほどだ。数日前からそれがさらに増えた。

 正直に言うと護衛を付けられるくらいならば、使える手足が欲しい。

 今の自分に使いこなせるかは分からないけれど、いい加減どうにか動かないとトンデモナイことになりそうで怖かった。

 飛鳥が自国に帰らない理由も、このタイミングで自称・雅冬の正室候補がどんな形であれ城に上がっている事実も、全てがきな臭く思えて落ち着かない。

 ただでさえ、雅冬が華の正体に気付いている気がして不安で仕方ないのに。

 苛立ちと不安を誤魔化すように大きく息を吐いて、チラリと天井を見上げる。


「椿は美しく咲いているのかな」


 自然と零れた言葉に小さく笑って、そろそろ休憩を終えて仕事に戻ろうと思ったタイミングでお雪に声をかけられた。


「途中まで一緒に行ってもいいかしら。

 私も柚稀様に用事があるの」

「もちろんです。この時間なら殿の政務室にいらっしゃると思います」

「なら後にする方がいいかしら?」


 どうしましょうと悩むお雪に華乃は緩く首を振った。


「そろそろ休憩をなさると思いますので、お雪さんさえよかったらお茶を出すのを手伝っていただけると助かります」

「あら、せんぱいを使うなんて悪い子ね」


 お雪はくすりと笑うとテキパキと準備を始めた。

 その手際の良さに感心しながら、華乃も必要なものを準備してお雪に並ぶ。

 とりとめのない話をしながら雅冬の政務室に向かっていると、なにやら騒がしくなった。


「今すぐ仕事に戻りなさい」

「私は殿の正室になるのよ!なのにどうして殿にお会いできないの!?」


 冷静に言い聞かせるような声と幼さの残る甲高い声に思わず、うわぁと声を漏らしてしまった華乃の隣で、お雪が顔を顰めて大きく溜息を吐いた。


「華、先に行っていなさい。私は女中頭を手伝ってくるわ」

「あ、はい」


 顔をあげたお雪が般若を背負っているのを見た華乃は素直に頷いた。

 隣をしずしず歩いていたはずのお雪が心なしか勇ましい足取りで踵を返したその瞬間。


「あんな小娘に許されて、私が許されないなんてありえないわ!」

「いい加減になさい!

 私たちは華乃だから、許しているの。

 その意味が分からない人間を殿に近づける訳にはいかないのよ」


 静かな怒りと共に確かな強い意思をもって紡がれた言葉に、目を見開く。

 息をのんで、何度もその言葉の意味を咀嚼するけれど、まったく理解できなかった。

 縋るように見たお雪はかすかに顔をしかめて、華乃の視線を受け止めると真直ぐに華乃を見つめ返した。


「理解できなくていい。だけど、忘れないで。

 これは私たち、殿にお仕えする者の総意よ。

 私たちは貴女だから、殿のお側に侍るのを許している。

 貴女だから」

 

 祈るように、願うように、今にも泣き出しそうな声で紡がれた言葉に華乃はますます分からなくなる。


「おゆきさん」


 理解できない。理解したくない。

 混乱の渦に呑み込まれそうな華乃を引き上げるようにお雪がパチンと手を叩く。


「さ、仕事に戻るわよ」


 そうにっこり笑って何事もなかったかのようにまたしずしずと歩きはじめたお雪を慌てて追いかけた。

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蒼の記憶 のどか @harunodoka

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