第1章 No Dancing No Glad

1-1 ダンス? 何それ美味しいの?

 青天にくもかげはなく、太陽は燦々と大地を照らし、やわらかなこちかぜジンチョウの甘い薫りを町中に届けるき春の日。都立・よう高等学校の入学式は、さしたるトラブルも盛り上がりもないまま、おもしろみに欠けた厳粛さを以てその幕を閉じた。校長やら生徒会長やらの長ったらしい挨拶は、右耳から左耳への順路を実にスムーズに通過していき、もはや1パーセントたりとも脳みその中には残っていない。薄霧のように頭を侵す眠気と倦怠感を噛み殺しながら、かみそう・十五歳は、周囲の新入生たちと足並みをそろえて体育館を後にした。

 一年六組の教室は、第一学習棟二階の西の端っこに位置している。クラスメイトは四十人。颯真と同じようきた中からの進学者がなんと八人もいて、しかもその内のひとりは、部活で三年間苦楽を共にしてきた、気心の知れた友達だ。高校の入学式という人生の一大イベントも、これでは緊張感に欠ける。中学生活の延長線。ある意味で心地のよい停滞感。刺激と呼べるほどの刺激も、変革と呼べるほどの変革も、きっとこの先三年間、特段待ち受けてはいないだろう――なんの根拠もなく、そういうネガティブな考えが頭の中に浮かんでくる。せっかくのハレの日にも関わらず、颯真の精神こころはくすんでいた。

 担任の簡単な挨拶と明日以降の予定をざっと聞いて、本日は解散の運びとなった。この後は駐車場で待っている両親と合流して、入学祝いにファミレスかどこかで食事をしてから帰る予定だ。別に腹減ってねぇし直帰した方が楽でいいな、などと考えながらリュックを持って席を立つと、

「颯真」

 後ろから声をかけられた。くだんの中学時代の部活仲間、あきやまりゅうの声だった。リュックを背負いながら振り向く。龍はひらひらと軽薄そうに手を振りながら、すべるような足取りで颯真の席に向かって歩いて来た。

「龍。おつかれ」

「おつおつー」

 短くあいさつを交わす。こうして直接対面したのは中学の卒業式以来だが、春休みの間、毎日のようにボイスチャットを繋げながらネットゲームに興じていたので、久しぶりという感じは全くしない。龍は颯真の肩をポンポンと叩き、両目を糸のように細めて破顔した。

「颯真とおんなじクラスかー。よかった、よかった。これでひとまず、ぼっち飯は回避できるよ」

「そんなこと心配するかよ、コミュりょくお化けのくせに」

 そもそも颯馬たちの母校の北中からは、三十人近くの生徒がこの舞陽高校に進学してきている。どんなにクラス分けの運が悪かったとしても、ぼっちになる確率の方がよっぽど低いのだ。

 颯真と龍は連れ立って教室を出て、昇降口に向かう新入生たちの波に乗った。

「帰り、どっかで飯食ってく? まだ十時過ぎだけど」

「いや。おれ今日、親と来てるから。多分この後、どっかで外食」

「へー。いいじゃん」

「よくねぇよ、家族で外食とかめっちゃ恥ずいわ……。同級生に出くわしたら、普通に死ねる」

「はは。颯真が思春期みたいなこと言ってら」

「うっせ。龍だって分かるだろ、そういう感覚」

「おれは別に、気にしないけどなー。てかゆうちゃんめっちゃカワイイし、むしろ積極的にお食事したいよ」

「てめっ……人の妹に色目使ってんじゃねぇブン殴るぞ!」

「ガチ切れじゃん。シスコンこわー」

「……つーか、悠李は来てねーよ。最近あいつ反抗期で、か、会話すらほとんど……」

「ガチへこみじゃん。シスコンこわー」

「──龍の親は? 今日、来てないのか?」

「うん。うちの両親、あんまりおれに興味ないから。起きたときには、もうふたりとも仕事いってた。昼飯ひるめし代だけテーブルに置いてあったよ」

「急に重そうな話ぶっ込むな……レスポンスに困る」

「あはは。別に寂しくないからいいんだけどね。ほら、おれには颯真がいるし」

「重いキモい、やめろマジで」

 他愛ない会話を交わしながら、昇降口を出て颯真の両親が待つ駐車場の方に足を向ける。龍は駐車場に用はないが、同じ方向にある裏門から帰るつもりのようだ。

「部活見学は来週からかー。颯真、高校でもバスケ続けるの?」

「まあ、たぶんな。運動部入っておけば進学も就職も有利だろ。まいこーのバスケ部くそ緩いっていうし、普通にはいどくだろ」

「そういう視点かー。冷めてるなぁ」

「部活に熱血とか求めてねぇよ。プロ目指すって訳でもないのに、真剣なで部活に打ち込むとか……馬鹿馬鹿しいったらありゃしねぇ」

「ふぅん。……ま、おれも似たようなもんだけどね。面白おかしく青春して、適度にモテればそれでよし!」

「女たらしめ」

「失敬だなぁ。ピュアラブだよ、ピュアラブ」

「抜かせ。お前中学の頃はいつも、別れ話の二時間後には新しい彼女つくってたじゃねーか」

「そう。ちゃんとなんだよね。二股したことないのが密かな誇りなんだ、おれ」

「チャチな誇りだな……」

「ちなみに颯真さ」

「ん?」


「ダンスは、もう、やらないの?」


「はっはっは」

 冷たい声を出さないように。努めておふうを装って、颯真は龍の戯言を笑い飛ばした。

「ダンス? 何それ美味しいの?」

 その質問に、まともに取り合うつもりはない──そういう意思を言外に込めて吐き捨てる。誰だって、つつかれたくない心のウィークポイントのひとつやふたつ、当たり前に抱えているものだ。無論、それは颯真も例外ではない。あの全日本DSCから3年──つまり、ダンスを辞めて3年。未だにダンスという単語は、颯真にとっての地雷だった。中学時代、体育の創作ダンスを頑なに踊らず、通知表で『1』の成績をつけられたこともある。そのことは龍も承知のはずだ。だというのに、なぜかこの男は時おり颯真に、ダンスがどうこうと話題を振ってくる。その度に颯真は平静を装って軽くあしらい、龍もあっさりと引き下がるのが、お決まりの流れだ。

「そっか」

 案の定、今回もこの話が深堀されることはなかった。

「ごめんね、急に変なこと聞いて」

「オメーが変なのはいつもの事だ」

「ガビーン!」

 龍の大袈裟なリアクションで、フッと空気が弛緩する。その後はまた、部活がどうの、彼女がどうのと、他愛ない雑談に終始した。

「じゃあね、颯真。また明日」

「おう」

 裏門から出ていく龍と別れ、颯真は両親の待つ駐車場へ向かう。父の愛車であるグリーンメタリックのMAZDA CX-3は遠目からでも目立つから、すぐに見つかった。

(ダンス⋯⋯か⋯⋯)

 ふと考える。

(おれは社交ダンスなんて興味の欠片もねーし全然踊りたいとは思わねぇ。あんな金と時間ばっか掛かって返ってくるモンと言えば敗北感と徒労感だけの益体もねぇオチャラケスポーツもどきに青春を捧げるなんざ丸っきり馬鹿げてるしホント人生の無駄遣いだ。だから、もう⋯⋯)

 きれいさっぱり忘れてしまえ──3年間、己にそう言い聞かせ続けてきた。それが実現できる日は、どうやらまだまだ遠そうだった。

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Dancin' Glad 原城鯉一 @writerY

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