第4話

 この事をキッカケに、翌日から弥生と誠一郎は、少しづつ言葉を交わすようになっていった。

 弥生が落とした鈴の話から始まって、誠一郎の下宿している部屋に住み着いてしまった野良猫の話や、それを大家さんに見つからないように苦労している話、そして弥生が勤めている店の話など。弥生の鈴は、見つからなかったが、いつしか弥生は、このまま鈴が見つからない事を密かに願うようになっていた。

 二人が話す時間は、弥生が家から店に行くほんの僅かな間だ。その為、時々弥生は店に着くのが遅れてしまう事もあった。そんな時は、急いで遊歩道を走り去る弥生の姿を見て、誠一郎は声を立てて笑った。

 時には少年のように、またある時には大人びた表情をして見せるその青年に弥生は惹かれていった。

また誠一郎は、とても気性の穏やかな人物で、その話方から笑い方までもが品に溢れていた。それは小説家としてはあまりにも不似合いだった為、ある日、弥生は聞いてみる事にした。


「誠一郎さんは、物書きをしていらっしゃると聞きましたが、こうして話していると物書きと言うよりも、どこか立派な御曹司様のように思えてなりません」


 弥生が誠一郎を先生と呼ぶと、彼は少し困ったような表情を見せる。それが嫌で弥生は、誠一郎を先生と呼ぶ事を止めた。

 物書きと言っても、まだ商品になるような書物を手掛けた経験もない。また、そんな実力が自分にあるのかさえも解らないのだから、もし自分が先生と呼ばれるとしたら、先生と名の付く方々に失礼だ、と言うのが誠一郎の意見なのだ。

 しかし、この時の誠一郎の表情は、自分が先生と呼ばれた時と同じような、いや、それよりも複雑な表情をして見せた。


「あ……す、すみません! 失礼な事を言ってしまって。

 誠一郎さんが小説家に向いていないという意味ではなくて、品の良い方だなと思っただけで……」


 必死に弁明しようとする弥生の姿を見ながら誠一郎は、くすくすと笑みを零した。


「御曹司とまではいきませんが……実は僕の家は、とある呉服屋を営んでおりまして、僕はその家の長男なんです」


 遊歩道を抜けた所にある大通りを真っ直ぐ進んで行った角にある大きな呉服屋がそうだ、と誠一郎が大まかに説明する。それで、と弥生は納得した。

 それは、全国でもかなり有名な呉服屋で、その店を毎日のように見ていた弥生は、その大きさを知っている。弥生でなくとも、その呉服屋の名前を知らないと答える者は少ないだろう。


「それでは、小説家と言っていたのは何故です?」


 すると、誠一郎は首を横に振って苦笑した。


「いいえ、私は小説家です。家とは、勘当されているも同然なので」


 誠一郎の話すところに因ると、小説家になりたいが為に親の反対を押し切って家を飛び出して来たそうだ。元々、書物を読む事が好きだった誠一郎は、いつしか自分の手でそれを手掛けたいと願うようになったのだ。


「僕は、欲張りなんです。

 短い人生の中で人が出来る事と言えば、どうしても限られてしまう。

 でも、小説の中では多くの人生を共に歩む事が出来る」


 そう言った誠一郎の顔は、とても輝いていた。それを見て、弥生が顔を俯ける。


「羨ましいです。ご自分のやりたい事を貫けていける誠一郎さんが……」


 改めて自分の人生を振り返ってみると、弥生には誠一郎のように自分の信念を貫いたような記憶はない。いつも周りに流され、それに合わせようと努力していた記憶しかない。自分の感情を押し殺して生きてきた弥生にとって、誠一郎の生き方は眩しすぎた。


「弥生さんは、今やっていらっしゃるお仕事が好きではないのですか?」


 誠一郎が真剣な眼差しで弥生を見つめる。少し間を置いて、弥生は首を横に振った。


「……わかりません。そんな風に、考えた事なんてなかったから」


 考える前に弥生には既に歩いていく道が決められていた。父親が生きていた幼い頃には、いろいろな夢を思い描いていたものだったが、いつの間にかそれも忘れてしまった。


「でも、仕方ないんです。

 父が早くに亡くなってから、母と私の二人が働いて家族を養っていかないと……」


 弥生は、自分を偽る事も忘れて、いつになく真剣な表情をしていた。


「お父様は、お亡くなりになっていたのですか……」


 弥生が小さく頷く。そして、ふとそんな自分を不思議に思った。いつもなら自分の身の上話になると、平気な振りをして明るく笑って見せたり、話題を変えたりをするのが弥生だ。暗い雰囲気や、他人からの同情の眼差しに耐えられないからだ。

 しかし、何故か今は気にならない。逆に、妙に落ち着く。誠一郎の優しく落ち着いた雰囲気がそうさせるのだろうか。弥生が顔を上げると、後挿しの鈴が小さく鳴いた。


「実は、あの夜に私が探していた簪……父が昔、私に買ってくれた物だったんです」


 弥生は、本当に何の抵抗もなくその話をする事が出来た。それは、大好きだった父との思い出を大事にしておきたい気持ちと、自分の弱い部分を知られたくない思いから、家族以外の誰にも言えなかった話だ。

 誠一郎は、弥生に会う度にいつも鈴の事を気に掛けてくれていた。また、この簪が弥生にとって大切な物である事を誠一郎は知っている。しかし、理由はそれだけではないような気がした。


「鈴……見つかると良いですね」


 そう言った誠一郎の表情は、何故か少し寂しそうに見えた。






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