第2話 温度を感じない顔

——和人は無口な人間だ。


それは和人がろうあ者だから…ではない。

指文字と手話で話せるし、もちろん筆談だって出来る。

それなのに和人は必要以上には話したがらない。

でも、私の話は一つ一つ、どんなにくだらなくても丁寧に、そして慎重に聞いてくれた。

いま思い返してみても不思議だが、不注意で口元が見え辛い方に顔を傾けてしまったり、早口になってしまったりしたのだが、和人からもう一度と聞き返された記憶もなく、通じてないと感じたことは無かった。

むしろ私の伝えたい想いを超えて、私の考えること全てを理解しているようだった。


街の木々が冬の訪れを伝える頃、私たちは私の高校受験の勉強という言い分で、週末は図書館で過ごすことが多かった。

私の成績は志望校の合格ラインには入っているとは言え、余裕と言うには少々不安があり、受験まで頑張らなければならないのだが、私が真剣になるほど和人に茶化され、和人のペースにハマると<真面目にやれ!>とノートの片隅に殴り書きされ“やれやれ”といった顔をした。

私が拗ねて怒った顔をすると、和人はフラッと立ち上がりどこかへ行ってしまい、しばらく席に戻らなくなる。

それは、私が寂しがるには充分なことだった。

悔しい私は寂しがる様子を必死に隠して、机に向かったが心が乱れていることは自分でも明白で、我慢しきれずキョロキョロと和人を探すと、すっかり離れた場所から意地悪な笑みを浮かべてこちらを見ていた。

真っすぐに私を見てくれていた。


和人は地頭が良いのだろうと思う。

私たちは通う学校が違うのでお互いの成績こそ知らないが、私が勉強している横で不意にめくった教科書を読む目線、読む速度、その雰囲気がそう感じさせた。

―—もし、耳が聞こえていたら…もっと…

と想像しては、その先にあるであろうとても難しい何か、を感じて私は考えることを止める。

そしてそんな自分が好きではなかった。


休日の図書館は学生たちも多いせいか緊張するほどの静けさではなく、程よくそれなりの雑音や、エチケット範囲内と思われる話声がさまざまな場所から聞こえている。

そんな図書館で私は和人を怒らせたことがあった。

私が手話で『お腹が空いた』と何気なしに話しかけた時だった。

和人は私の手を抑え付け、温度を感じない顔で、ただただ私をジッと見ていた。

言葉での説明は何も無かったけれど“手話をやめろ”と言っているのだと瞬時に理解したが、なぜダメだったのかは解らなかった。

静けさを要求される空間で、

―—私たちは指文字や手話で会話することが出来るんだ!

という何か特別のことのように思っていた。

それは私にとっては少し誇らしく、嬉しくもあることだったので、和人のその顔は私をひどく悲しくさせた。


その日の帰り道は不運にも雨だった。

雨は嫌いではなかったが、帰り道で理由を聞いてきちんと謝りたかったからだ。

私たちは図書館前からバスで駅まで行き、駅からはそれぞれ方向の違うバスに乗ることになる。

予想通り、駅までのバスは沈黙のままだった。

駅についてバスを降り、私が乗るバスの停留所まで無言のまま送ってくれると、和人は私の頭をポンと叩いて見上げた私の両頬を掌でグリグリと上下に擦った。

和人の顔には体温が戻り、まるで“笑え~”と言われてるように感じた。

私は嬉しさと安心から涙と鼻水で顔がクシャクシャになっていくのがわかった。


結局、手話での会話を阻止した理由は解らずのままだったが、いつもの私たちに戻れたことの方が私には重要に思えたし、以降、あの顔を見ることが怖かった私は、何となくその理由には触れないままでいた。

―—和人は私と手話で会話することを嫌がる。

触れずにいたその理由を知るのは、私たちが高校生となった春だった。

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