わたしを呼ぶ音

@nicochan2525

第1話 あまり良い気がしない笑い

『タンッ』

上のあごから下のあごへと舌が打つ軽快な音がする。

これが和人が私を呼んでいる合図だ。


和人と私の出会いは小学校まで遡る。

私が通う小学校では高学年になると希望者を集い、近くの聾(ろう)学校と“交流会”が行われる。

その交流会へ初めて参加したのは4年生の時で、担任の先生が「参加してみたい人いますか~?」の問いに誰も手をあげず、学級委員長・副委員長・道徳係2名の計4名が参加となり、私は道徳と呼ばれる授業の時に"本日の教材"がVHSで放映される場合は教室のカーテンを閉じ、資料の場合はプリントを配ったりする、その道徳係だった。


交流会はまずはこちらから聾学校へ行き、そこでろうあ者である生徒の皆さんから指文字と手話を習ったあと、後日、今度は逆にお迎えする流れだ。

私は初めて指文字を体験したのだが、なぜか身体に入ってき易く、すぐに習得した。

そんな事もあってか、翌年の5年生の時も、更に6年生になった時も、この交流会に参加することとなった。

そしてその6年生、交流会最後の年の事だ。

3年目となると、臆する事もなく進んで自分から指文字で話しかけて、交流を楽しんでいる中、一人の男子生徒が私の顔を見て笑っていた。

その男子生徒が和人という名前であること、あまり話したがらない性格であることは後々先生から聞かされた。

正直、あまり気分の良い笑いではなかった気もしたが、聾学校の先生から「真喜ちゃんが来てくれるとみんな楽しそう!」と言ってもらえたことの方が嬉しくて、交流会が終わる頃にはそんなことは忘れていた。


最初の出会いはそんな感じではじまり、和人ときちんと話せるのは3年後の中学校3年の冬となる。


小学校から続けているバスケの練習中にアキレス腱を損傷し、家から車で15分程度の大きな病院に通院していた私はその日も会計を済ませ、母親が車で迎えに来てくれるのを総合受付前の待合イスで待っていた。

その時どこからか視線を感じて見渡すと、向い側からこちらを見て、笑っている男性が壁にもたれていた。

その笑いは、どこか小馬鹿にしてるような…見下しているような…そんな風に見えた。

男性は私のところへ近付くと、私のギブスをしている足を指差した。

ギブスを笑っているのかと不機嫌に顔をあげた私に、男性は人差し指を1と示すように顔の位置まで上げて指先を左右に振った。

その行為が手話の『何?どうしたの?』であると理解すると同時に、3年前の“あまり良い気がしない笑い”を見せた男子生徒を思い出した。

―—和人だ!

それから私はぎこちない指文字で会話を試みようとしたのだが、和人は私が持っていた薬の袋の余白に持っていたペンで

<手はいらない>

<口を読むから平気>

と書いてくれたので、それから私は少しゆっくり口を動かし、少々の手振りも添えて、和人にケガの原因がバスケットの練習であること、久々に会えて嬉しいこと、それから口の動きと薬の袋の余白で、他愛もない質問と応答を繰り返した。

和人は<一生けん命>と書いて私を指差したあと、<かわいー>と書いて、あの“あまり良い気がしない笑い”を見せた。


それから和人は病院の裏手にある社宅にお母さんと2人で住んでいて、今日はお母さんが夜勤明けなのでここで待っていることや、部活はやっていなくて最近はスケボーばかりしていること、など話してくれた。

多分、その他にも話してくれた気もするが、薬の袋に乱雑に書かれた<かわいー>の文字が私の頭の中を埋め尽くしていた。


5分もしない内に私の母親が到着したので、私たちは来週もここで会う約束をしてその日は別れた。

翌週、約束通りに和人はそこで待っていてくれた。

それからのリハビリを含むしばらくの通院期間は、毎回のように受付前のイスで和人との時間を過ごし、私の通院生活での病院滞在時間は、受付の事務員さんと同じくらいであっただろうと後々、和人のお母さんは笑っていた。


長かった通院生活が終わってからも、必然的に私たちは会う約束をし、一緒の時間を過ごすようになっていった。






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