ガーベラ
碧川亜理沙
ガーベラ
ジェルベーラは、目の前にそびえ立つ、大きな山々や木々の息づかいに圧倒されていた。
振り返ると、ここまで連れてきてくれた村の者たちが、手を振りながら去っていくのが見える。
その姿が見えなくなってから、ジェルベーラは改めて、目の前の山を見上げる。同年代に比べて体が小さいジェルベーラにとって、まるで山々が襲いかかってくるのではないかというほど大きく、そして恐ろしく感じる。
「……ジェルは、できる子。かんばる子」
己を奮い立たせるように、両親から今朝言われた言葉を繰り返す。
そして、怖い気持ちはあるけれど、意を決して山の中へと入っていった。
ジェルベーラが住む村には、成人するまで2度の試練がある。
1度目は、7歳になった頃。村の近くのギィアチャーダ(凍える)山で、ひとりで3日間を過ごす。
2度目は、15歳になる頃。ギィアチャーダ山の村を挟んで向かい側、鋭い山頂が立ち並ぶ山々アラビーダ連峰の山頂付近にある小屋へ成人の証を受け取りに行かなければならない。
7歳の頃は、村人たちが信仰する山神へ、我が子が無事に7つの歳を迎えることができたという報告と感謝の意を込めて、本人がその姿を見せに山へと入る。
15歳の頃は、この試練を持って、正式に大人の仲間入りを果たす。
このようにして、村は回ってきた。
ジェルベーラはつい先日、7歳になったばかり。
試練については、親やすでに試練を終えた子どもたちから嫌というほど聞いていた。
そして空読みが言うには、この3日間は比較的穏やかな天候になるだろうとのこと。試練を行うにあたっては、またとない良い日だ。
ジェルベーラは、予め教わっていた道にそって歩いていく。
まずは、山の中にあるという小屋までたどり着かなければならない。そして、暗い夜をそこで過ごし太陽が昇ったら、山の奥にいると言われている山神様の社に挨拶をしに行く。
それが終わり、無事山の入り口まで戻れたら、試練はようやく終了となるのだ。
だが、子どもの足ではその道のりまではかなり遠く感じる。
太陽が真上に昇る頃には、ジェルベーラは全身で息をするほど疲れていた。
背負った包みと腰に下げている短剣や水筒がだんだんと重くなっていくようだ。
もう少し歩き、少し平らな道に出たところで、ジェルベーラは地面に仰向けに寝転んだ。
歩くだけなのに、こんなに疲れるとは思っていなかった。平坦な道という訳でもなく、でこぼこと歩きにくい道が、より一層ジェルベーラの体力を奪っていく。
その時、盛大に腹の虫が鳴った。それでようやく、お腹が空いていることを思い出した。
ジェルベーラは背負っていた包みをおろす。包みを開くと、丈夫な葉に包まれた肉飯が2つと、木の実が少し出てきた。どれもジェルベーラの好物である。
無我夢中でご飯を食べると、今度は満足したのか、睡魔が押し寄せてきた。ちょうど木々の間から差し込む陽の光が当たる場所にいるということもあり、このままでは寝てしまいそうだ。
誘惑に負けそうになりながらも、ジェルベーラは頭を振って立ち上がる。
この山には、暗くなると獣など危険なモノたちがさ迷っているという。夜まで小屋にたどり着かなかったら、その獣たちに怯えながら夜を過ごさなければならない。
建物の中にいるのと外にいるのでは、その心持ちは全然違う。
ジェルベーラは、水筒の残りを確認しながら、意を決して先に進み始めた。
「つ、着いた……」
太陽は、この山からは完全に姿を消し、代わりに大きな月が光り始めてきた頃。ジェルベーラは、ようやく目的地の小屋にたどり着くことができた。
ジェルベーラにとってはとても長い長い道のりを歩き、もはや足ももつれ何度も転びながらも、無事ここまでくることが出来た。
このまま倒れそうになるのを堪え、ジェルベーラは小屋のドアを開く。
誰も人が住んでいない、独特の冷たさがドアの外へと流れていく。
ジェルベーラは小屋の中ほどまで進み、暗い中なんとかランプを見つけ灯りをつける。どうやら油がまだ入っていたようで、すぐに温かなオレンジ色に灯り始めた。
そこでようやく、ジェルベーラは一息つくことができた。
遠くで獣の鳴き声が響く。
ジェルベーラは急いで小屋のドアを閉め、頑張ってドアに閂をはめた。これで外から獣は入ってくることはないはずだ。
近くに簡易ベッドが置いてあったので、その上に腰掛ける。
ホコリやゴミを払わないとと思ったけど、座ったとたん安堵と疲れからか、どんどんまぶたが重くなってきた。
まだご飯も食べていない──そうは思いながらも、気付けばジェルベーラは意識を手放していた。
* * * * *
「…………んー」
ふっと意識が浮上すると、目を瞑っているのに眩しかった。ゆっくり目を開けると、小屋の中が明るい。窓からは、日の光が射し込んでいて、ジェルベーラが寝ていたベッドを照らしていた。
ぼんやりする頭が、次第に今の状況を思い出していく。
それと同時に、けたたましい腹の虫が鳴った。
「お腹空いた」
ジェルベーラは、小屋の中を歩き回り、隅の棚に保存食用の袋を見つけた。
味気ないパンを噛み砕き、小屋近くの川で顔を洗い、水筒に水を汲む。
全ての準備が整ったところで、ジェルベーラは小屋を出た。
これから先は、山神様の社まで歩いていかねばならない。
道順は教わって来たし、小屋に用意されていた捧げ物も持った。
昨日と同じく、また歩いて行くことになる。
今日の道のりは、昨日に比べればまだ比較的歩きやすい道だった。と言ってもでこぼこ道には変わりない。
それでも少しの慣れもあるのか、ジェルベーラは少しずつ、目的地に向かって歩いていく。
歩き続けてどのくらい経ったのか。
陽の光も木々がさえぎってしまい、辺りは薄暗く、そしてひんやりとしてきた。
そして、突然、今までとは違う空気の場所に出た。
ジェルベーラは思わず近くの木にしがみつき目を瞑った。
しばらく様子を見て異変はないと感じると、ゆっくりと木から手を離し、目を開けると、思わず感嘆の声が漏れた。
そこはとても美しい場所だった。
その場所だけ木々がぽっかりと抜けているため、真上から燦々と日が降ってくる。陽の光が周囲の水に反射して、きらきらと湖面が揺れている。
その中央に、ぽつんと小さな陸と社が佇んでいた。神々しい、とはこのようなことを言うに違いないと思わせる光景だ。
ジェルベーラは、しばしその美しさに目をとらわれていた。
言葉は何も出てこない。ただただ、その美しさに瞬きも、息をするのさえも忘れてしまいそうだ。
遠くで、カーンと鳥の鳴く声にはっと我に返る。
ジェルベーラは、木から手を離し、中央の社に向かって歩き出す。
社は大きな湖に囲まれているが、一箇所だけ、渡れる道があった。
ジェルベーラは、湖に落ちないように気をつけながら、1歩1歩、渡っていく。
無事社の前までたどり着くと、ジェルベーラは捧げものを取りだして社の前へと丁寧に置く。
そして、その前に跪き、
「やまがみさま、ジェルベーラはぶじ、ここまでたどりつくことができました。これからもどうぞ、見守っていてください」
社に着いたらこう言うんだよ、と母から教わっていた通りに口上する。社に向かって頭をさげながら、ジェルベーラはしばしの間じっと動かなかった。
ようやく頭をあげようとした瞬間、さぁっと強い風がジェルベーラを包んだ。体が浮き上がりそうなくらい強い風が吹き、ジェルベーラはとっさに地面を掴んだ。
その風は一瞬にして収まった。
あまりに唐突なできごとに、ジェルベーラはまたしてもしばらく動くことができなかった。
そして、そろそろ小屋へ帰った方が良さそうだと思い、改めて社を見た瞬間、思わず声を上げてしまった。
つい先程、ジェルベーラが捧げたはずの品がなくなっていたのだ。
先ほどの風で飛ばされてしまったのかもしれない。
ジェルベーラは周囲を探してみたが、とうとう捧げ物を見つけることはできなかった。
「どうしよう……」
探し回っている間にも、日がだんだんとかげり始めてきた。このままだと、小屋に着く前に真っ暗になってしまうだろう。
焦るジェルベーラの頭に、ふっと、村の子どもたちの言葉が蘇ってきた。
『俺が初めての試験受けた時さ、社に捧げ物を捧げた瞬間、ぶわって強い風が吹いて捧げ物が天高く飛ばされちまったんだよ。それ見てさ、山神様が受け取ってくれたんだって思ったわけ。俺のこと見ててくれたんだなって』
成人の儀を控えた村の子がそう言っていたのを思い出した。
ほかの子どもたちは、そういった経験はないと言っていたから本当か半信半疑だった。だけど今、こうして捧げ物が先ほどの風でなくなったのなら、山神様が受け取ってくれたのかもしれない。
そう思うと、ジェルベーラは少し落ち着いてきた。
一応、山神様にも事情を話し、念のために腰にさげていた短剣を社の前に置いた。万が一、本当になくなってしまっていた場合の代わりになればと思ったのだ。
改めて社に頭を下げ、ジェルベーラは小屋への帰路へと着いた。
やはり探した時間が長かったからか、小屋へ着く前に辺りが暗くなってしまった。
月明かりの光もほぼ届かず、遠くからは獣の鳴き声がしきりに響いている。
ジェルベーラは恐怖で涙ぐみながらも、なんとか小屋までの道を進んでいく。
運が良かったのか、幸い獣たちには遭遇することなく、ジェルベーラは無事小屋へとたどり着くことができた。
お腹もぺこぺこで、灯りも灯したいと思ってはいたものの、緊張の糸が切れたせいか、もう一歩も動きたくなかった。
ジェルベーラはベッドにたどり着くと、そのままばたりと倒れ、意識を手放した。
* * * * *
あまりに疲れていたのか、ジェルベーラは夜に小屋に戻ってから、どうやら丸1日眠ってしまっていたようだ。
村の大人たちは、あらかじめ決められた日でないとこの山へは立ち入ることが出来ない。今はその日ではなかったため、ジェルベーラが戻ってくる場所に来ないことに、かなり心配していた。
だが、また翌日、何気ない顔でやってきたジェルベーラを確認したとたん、ジェルベーラの親は安堵のためか泣き出してしまった。
ジェルベーラも、まさか自分がそんなに寝ていたとは思わず、無用な心配をさせてしまったことに申し訳なさを感じていた。
何はともあれ、無事試練が終わり、ジェルベーラはまたひとつ村の仲間として、そして次の大人への準備期間として、村の生活の中に組み込まれて行った。
特段、大きな変化はない。だけど、村の子どもたちにとって、ひとりで何かを成し遂げる。それ自体が、自分自身の大きな誇りとなるのだ。
ジェルベーラは、母親の仕事を手伝いながら、ふっと山の方を見る。
きっと今も、そしてこれからも、山神様は自分たちを見守ってくれるだろう。
山にむかい頭をさげる。
母親に名を呼ばれ、ジェルベーラは元気に返事をしながら、母親の元へと駆けていった。
【完】
ガーベラ 碧川亜理沙 @blackboy2607
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