息子と暮らす

@mia

第1話

 私は夜十時になると寝るようにしている。寝ると言っても横になるだけだが。

 寝室に入り、ドアを少し強めに閉める。ベッドに横になるが、寝落ちないように意識を集中させる。

 しばらくすると、息子が部屋から出て階段を降りる音がする。階段を降りると、私の寝ている部屋の前の廊下を歩いて行く。廊下が軋む音がかすかに聞こえる。

 その後台所に入る。電子レンジで温めをした終了音が聞こえてくる。

 息子の分の夕食は、電子レンジで使える器に盛り冷蔵庫に入れておく。温めが一回で済むように一枚のお皿を使う。

 今日はアジフライだった。息子は二枚、私は一枚で三枚揚げた。自画自賛だが、おいしかった。それにご飯。後は汁気を飛ばした煮物を一枚の皿に盛っている。別の皿には千切りキャベツ、小鉢にはほうれん草のおひたしが入れてある。

 以前は味噌汁も作っていたが、鍋に入れておいて温め直しをするかと思ったらしない。お湯を入れればできる味噌汁とポットにお湯を用意したが、作らない。電子レンジで温められるように器に入れても食べないで、そのまま残っていた。どうやっても味噌汁は食べなかったので、今はもう作っていない。

 食べ終わったのだろう。十分もすると廊下が軋む音がする。

 その後は、トイレの流す音が聞こえる。その音で二階へ上がる足音は聞こえない。   

 トイレの水音が止まり家の中が静かになると、私は眠りにつく。


 息子が部屋に引きこもるきっかけになったのは、三十五年前の高校入学だった。     

 希望していた高校に進学できたのに、五月に入ると朝起きるのが遅くなってきた。   

 自分でアラームをセットして朝ちゃんと起きてこられる子だったのに、私が声かけをしないと起きてこなくなった。

 具合が悪いのかと思い病院に連れて行ったが、悪いところはなかった。

 最初は遅刻せずにぎりぎり間に合うような時間に登校していたが、遅刻するようになった。

 息子は一回遅刻すると、遅刻しても気にしないようになっていた。

 週に一回遅刻していたのが週に一回時間通りに登校するようになって、夏休み前には週の半分は欠席するようになっていた。そして夏休みの後に学校へ行った日はなかった。

 もちろん担任の先生にも相談したが、いじめなどはないという話だった。どちらかと言うと息子が周りを拒絶しているという話だった。

 息子と話をしようとしても部屋から出て来ず、話にならなかった。

 最初のうちは夫も息子を部屋から力づくで出そうとしたが、夫がいるときは登校するが夫がいないときは行かないということになり、夫も会社を毎日遅れて行くわけにはいかずそのうち見放した。朝早く家を出て、夜日付が変わるころ帰ってくるようになった。

 見放して一年後には夫は自分の実家へ戻った。通勤時間が一時間三十分以上延びる実家に。

 名目は両親の生活介助、介護だったが、息子と関わりたくないというのは明白だった。一年も関わったことに感謝するべきか。

 体面を気にしているのか、離婚の話はなかった。

 息子が引きこもって三十五年、息子の気配をうかがう生活をしている。


 翌朝、自分の食べる朝食の準備をする。息子は夜しか食べない。体を動かさないから必要ないのだろうか。

 まず味噌汁を作る。その後、冷蔵庫の中にあるご飯、アジフライ、煮物の乗ったお皿を電子レンジで温めるが、その前にアジフライ二枚は多いので、一枚を別の皿に取り分ける。ご飯も煮物も、食べられる分残して取り分ける。千切りキャベツにドレッシング、ほうれん草のおひたしにしょうゆをかける。

 これが今日の私の朝食。

 この家で親子三人で暮らしていた、三十四年前に夫が出て行ってからは息子と私の二人暮らし、七年前に息子が心筋梗塞で亡くなってからも息子と二人暮らし。

 私がこの家にいる限りは、息子はこの家に住んでいる。

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