ふくばあ

@nezumiusagi

第1話

幼稚園にバスはない。路線バスに先生が乗せてくれ、僕は運転手さんの後ろに座る。客はほとんどいない。僕しかいないことなんて、しょっちゅうだ。バスは丁度ふくばあの家の下に停まる。バス停から見上げると、ふくばあが縁側に腰掛けて手を振る。

 ふくばあは、僕のおばあちゃんではない。ただの近所の、唯一働いていない婆だ。

 この辺りの大人は皆、朝から畑だ。朝、起きたら家には誰もいない。台に置いてある蒸かし芋や、お握りを食べて幼稚園から貰った黄色の鞄を斜めに掛けて、ふくばあの家の前を通ると、ふくばあが出て来て、路線バスに乗せてくれる。たまに寝過ごしても、その時はその時で、ふくばあが時刻表を見て、それなりの時間で登園だ。出来たばかりの幼稚園ものんびりしていて、遅く行っても叱られたことなどない。先生がオルガンを弾きながら

「今日は遅かったねえ。」

と、笑うだけ。

 ふくばあはバスが着く頃には、必ずバス停から見えるように縁側に腰掛け待っててくれる。

「ただいまあ。」 

「おかえりー。お疲れさんなこって。腹減ったか。」 

そう言って、焼き芋やら、蒸しパンやら、仏壇のお供え物の菓子を出してくれた。夕方、ふくばあの家の人達も、父ちゃんや母ちゃんも帰ってくる。

「いっつも、すいません。」

母はそうふくばあに頭を下げ、僕を連れて帰る。ふくばあは

「何も何も。こっちが遊んで貰ってるんだあ。」 

と、はにかむ。

 ふくばあは畑にこそ行かないが、家の事は色々やってる。ふくばあの家は牛を三頭飼っていて、牛小屋の掃除や餌やりもしてる。鶏も何羽も飼っている。僕は牛の世話を手伝うのは好きだけど、鶏小屋には近付かない。一度だけ卵を取りに入った時、気性の激しい奴に突つかれたからだ。ふくばあは皆の洗濯もしてる。背が他の大人より低いから、棒を使って上手に物干し竿に引っ掛ける。薪も割る。小さい体でひょいと斧を担ぎ、パコンパコンと小さく四つ割りにしていく。風呂を沸かしたり、台所仕事にも使うから、すぐに減るらしい。ふくばあは山にもしょっちゅう入った。野いちごやアケビ、枇杷、栗、冬以外は美味しい物の宝庫だった。 

 月に一度、幼稚園から絵本が配られる。僕はそれをふくばあに読んで貰うのが楽しみだったが、僕以上にふくばあも楽しみだった様で、

「今日は本貰って来たか。」

と、僕が鞄から出す前からそわそわしていた。縁側に座り、二人で絵本を眺めた。絵本と言ってもひらがなで字も書いてある。ふくばあは絵本を読む時は、何故か正座して真っ直ぐ肘を伸ばして読み始める。

「あおいそらに、しろいくもです。とりもとんでいます。うみにはさかなもいます。」 

次の月に新しい絵本を貰うまで、何度も何度も読み返した。読むたびに違うことなんて、全然気にならなかった。

 春になり小学校に入ると、ふくばあの家に行くことも殆どなくなった。小学校には歩いて行く決まりで、片道一時間も掛かった。家に帰るとへとへとで、親に起こされるまで寝てしまい、出歩く体力が残ってなかった。高学年になると友達と遊び周り、ゆっくり、ふくばあの顔を見たのは、ふくばあの通夜の時だった。小さい箱の中で、昼寝しているみたいだった。お棺の横には、僕の本が積み上げられていた。

 葬式の帰りに

「あれ、僕の本やったね。」 

そう母に話し掛けると

「そうよ。あんたがふくさんに『お母さんは何でも焚き付けにしてしまう。』って言うたんやろ。ある日、ふくさんが薪持って来て、『本は焚き付けにせんとって。』って、頼まれて。それから、あんたが読まんなった本をふくさんにあげよったんよ。」 

ふくばあは小さい頃、奉公に出されていて学校に通ったことがなく、字が読めなかったらしい。絵本も絵を見て、読んでくれていたのだろう。葬式の日に、そっと頁をめくると漢字に平仮名でふりがながふられ、余白には田中ふくよとびっしり練習していた。

 

 「じいじ、読んで。」

孫の健太が胡座の中に入って来てせがむ。絵本を読んでやる時、ふくばあを思い出す。正座をし、肘を伸ばして本を読むあの姿を。

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