季節外れの片想い

きょんきょん

花と娘

「この先で車を止めろ」


 右折レーンにハンドルをきりかけた及川おいかわに、紫煙の糸を吹きかけながら短く告げる。


「差し出がましいようですが、またあの花屋で?」


 恐る恐るといった様子で、バックミラー越しに俺の様子を窺うスキンヘッドが映り込む。対向車線を走行する車のヘッドライトを反射していた。


「そうだ。なにか言いたいことでもあるのか?」

「そんな滅相もありません。ですが、みかじめ料の徴収なんて若い衆に任せれば良いのでは……いえ、出過ぎたことを言って申し訳ありません」


 緩やかにスピードを落したベンツが、路肩に停車すると千鳥足のサラリーマンが近づいてきて、スモークフィルム越しに車内をちらちらと中を窺ってきた。


「追い払いましょうか」

「いや、いい」


 パワーウィンドウを下げ、「なにか用か」と訊ねると答えもせずに足早に去っていった。そんな有象無象のことなど興味はない――今、俺の視線の先に映るのは一軒の花屋だった。


 近年の歌舞伎町再開発計画で、次々と古い雑居ビルが駆逐される一方、雨後の筍の如くそびえる綺羅びやかなデザイナーズビルを尻目に、その店舗は軒を連ねている。

 まるで時が止まったかのように古びた佇まいで、頑として居場所を譲らずに、その土地に建ち続けていた。


 掲げられた看板には、剥げかかった赤い塗料で『高橋フラワーショップ』と記されている。


「ありがとうございました!」


 大きな声量に視線を下げると、花束を手に遠ざかっていく客にいつまで頭を下げて見送るガキの姿が目に映った。

 こちらに気づいている気配はない。通学している高校の制服の上から、店名が刺繍されたエプロンを首から提げて再び顔をあげると、満足した顔で店内の奥へと姿を消していった。


 腕時計に視線を落す。午後八時――歌舞伎町の夜はこれからという時間帯だ。


「しかし、先代の頑固親父といい、その跡継ぎの娘といい、扇組の縄張りシマで店開いといて、二代続けてみかじめ料の申し出を突っ張り続けるなんて太え野郎ですね」


 及川の言い分は、ヤクザの常識に照らし合わせれば間違いではない。歌舞伎に巣食う数多くの同業者も押し黙る扇会の縄張りで、みかじめ料を断る度胸がある奴など高橋フラワーショップの他に存在しなかった。


 先代店主は扇会に属していた元ヤクザで、その名を知らぬものはモグリとまで言わせしめた伝説のヤクザである。

 俺も、昔は憧れていた時期もある。


 二メートルに迫る巨漢で、喧嘩ゴロを巻かせれば負けなし――語れば尽きない功績の数々を、本人は自らの口から積極的に語ることはなかった。

 根はヤクザに向いてなかったのだろう。突然盃を組長オヤジに返して堅気に戻ると、誰に相談もなく歌舞伎町の片隅に花屋をオープンした。


 例え、同じ世界の人間だったとしても縄張りで店を開く限り、特例を認めることはできない。何度も下っ端が首を縦に振らせようと嫌がらせをしては、その都度のされて一人娘にはヤクザであったことも告げずに去年の暮れに急病で呆気なく逝去した。


「お前は先に帰ってろ」

「え? ですが、護衛兼運転手の俺が側を離れるわけには――」

「いいから黙って言う通りにしろ。それともなんだ、お前は俺の言うことにいちいち反対せずにはいられないのか?」

 

 慌てて首を横に振って否定すると、急いで車外に飛び出し後部座席の扉を開く。

 まだ春には遠い東京の夜風は、コート無しで過ごすには心許ない。背後でベンツが遠ざかっていくエンジン音を感じながら、スラックスのポケットに両手を突っ込んでアスファルトを鳴らす。



       🌷🌷🌷



 今日で三度目。高橋フラワーショップに顔を出すのは三度目だった。

 店主にして女子高生の高橋薫子たかはしかおるこは、店の奥で呑気に鼻唄を歌いながら雑務に追われていた。


 ――おい、背中見せて隙だらけじゃねえか。


 薫子の身体は小動物のように小さく、高校生にしては随分と貧相な体付きをしていた。しっかり栄養を取っているのかと、柄にもなく心配する自分に失笑も出ない。

 歌舞伎町は混沌の街、訪れる男の中にはガキに欲情する奴も多いことを知っている。今日も目の前で、甘い蜜を頂こうと舌舐めずりをしながら薫子に近寄る不届き者が立ち寄っていた。


「薫子ちゃん。今日も元気に働いてるね」

「あ、こんにちは! いつもお花を買っていただいて、ありがとうございます」


 ――馴れ馴れしく薫子の名を呼んでいる。しかも、ちゃん付けだと?


 金髪のロングヘアーを指で掻き上げながら、これから出勤と思われるホスト風の男。薫子を熱く見つめる瞳には、隠しきれない下卑た欲望が覗いている。

 本当は興味もないくせに、店内に陳列されている花を手当り次第指指して、一抱えほどの大きさの花束を購入していた。


 好感度をあげようとする魂胆が見え見えである。面倒事が起きる前に、邪魔な虫はさっさと追い払うとするか――男を諌めようと近付いたタイミングで、伸ばした指先が止まる質問を薫子にぶつけた。


「薫子ちゃんって、カレシとかいないの?」

「へ? か、彼氏ですか⁉ そんなのいませんよ。そもそも学校とお店のことで、自由な時間もないですし……」


 顔を真っ赤にして否定する薫子の様子に、勝機ありと踏んだのか男は強硬手段に打って出た。


「そうなんだ。なら、俺と付き合えよ。色々と楽しませてやるぜ」

「痛っ、離してくださいっ」


 薫子の手首を掴むと、強引に外へ連れ出そうとして無理矢理抱き寄せた。周囲の人間は触らぬ神に祟りなしと、見て見ぬふりを決め込んでいる。女を、それも年端もいかないガキを力ずくでモノにしようとする腐った性分は、見ているだけで殺意が湧く。

 堪えきれなくなった俺は肩を掴むと、力ずくで振り向かせた。


「おい、さっきから何やってんだ」

「な、なんだよオッサン。花屋に用があんなら、別の店に行ってくんねえか」


 立てば十センチほど身長が高い俺を、男は泳ぐ黒目で睨めつけてきた。よく見れば膝も震えている。

 扇組若頭、巽士郎たつみしろうに目をつけられたのが運の尽きだと、諦めてもらう他にない。


「あ、巽さん……助けてください」


 目尻に涙を浮かべ、助けを求める薫子の要請を無下に断る訳にもいかない。

 男のだらしなくはだけさせた襟首を片手で掴むと、ピッチャーよろしく店先の外まで全力で投げ飛ばした。勢いそのままに歩道をバウンドすると、ガードレールに全身を強打して呻き声をあげる。

 うずくまる男に詰め寄り、腰を下ろして顔を近づける。


「次、またあの娘に近づいてみろ。今度は粗末なイチモツをたたっ斬って、お前自身に喰わせてやるよ」


 骨の髄まで響かせるように伝えると、洟水はなみずまみれの顔で男は必死に頷く。震える足腰でなんとか立ち上がると、足をもつれさせながら歓楽街の方角へと消えていった。


「ありがとうございます。巽さんが来てくれなかったら、今頃どうなっていたことか……」

「君は少し、男を見る目がなさすぎる。ただでさえ物騒な街でお店を開いてるんだから、用心を怠っては駄目だぞ」


 苦言を呈して、俺はいつものようにチューリップの切り花を指差す。カードは使えないから現金支払い。

 

 自分でも思う――全く似つかわしくない買い物なのに、薫子は少しも怪しむ素振りを見せない。俺がヤクザであることを伝えていない事実を差し引いても、やはり、警戒心が薄いようだ。

 会計を済ませて店を後にする。背中に元気な声が届いた。


「いつでも、いらっしゃって下さいね。私、待ってますから!」


 振り向かずに、花束を手にした手を上げる。君のお父さんには随分と世話になったから、今度は俺なりのやり方で君を支えよう。


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季節外れの片想い きょんきょん @kyosuke11920212

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