第15話 「距離の詰め方がジェットコースター!!!」

『まー、運が悪かったな!』


 ケラケラと、まったく他人事に鬼門は嗤った。


『こんな低級の蛇鬼もどき、呪いをかけたところでフツーの人間にゃきかねェよ。でも運悪く、おめぇは穢れをためやすい体質だった。穢れをためやすいから運が悪いのはトーゼンだけど。体質と呪いの相乗効果で、おめぇは春休み、身体を落とすことになったンだ。本当はそンときにでも連れてく予定だったんじゃないか?』


 鬼門は畳に置かれた白い折り紙を見やるも、『アオダイショウ』と京の達筆が刻まれたそれは微動だにしない。


『そんで、やっぱ運が悪いことに、この蛇がめちゃくちゃ狩りのうまい奴だった。百鬼まで喰らって成り上がったせいで、それまで不幸を助長する程度だったのが、マジもんの呪いになったわけだ。いや、ここまで運が悪いとか、嗤いすぎて腹がつりそう……腹なんてネーんだけどなッ!』


 鬼門ジョークでひとしきり(ひとりだけ)

嗤い転げた鬼門は、やがてフゥと息をつく。


『じゃ、ちょっくら仕事するンで、塩の間から出ても悠人が呼びに行くまではコッチ入ってくンなよ。おめぇに避けられるようになったらなかなか切ないモンがあるからな』


 恩返しする鶴のようなことを言って、言葉もない幸子をぴしゃりと追い出した。


(ど、怒涛だった……よくわからないけどめちゃくちゃ笑われたことだけはわかった……)


 結界のことを本人に聞くのはなんとなくためらわれて、代わりに鬼門に聞いてみようと考えていたのだが、部屋に入ったとたん立て板に水でまくしたてられたせいで機を逸してしまった。


 結局のところ京は人間なのか、鬼なのか。


(それかやっぱり陰陽師……は、違うって言ってたっけ。かなどめさん自身は人間だって言ってるけど……でも、結界を張ったり、折り紙に山谷くんを封じ込めてたり、それってふつうの人間にできることなのかな……)


 塩の間で身体を清めながら考えを巡らせるも、ただ悶々としてしまうだけで答えは見つけ出せそうにない。


 塩を浴びるうちに、穢れが晴れて気分が安定してきたせいか、だんだんと楽天的に考えられるようになってきた。京が何者であろうと、結局、好きなことには変わりない。そんなことよりも部活の申請書をどう書こうか、いまはそちらを考えたほうが建設的だ。


 鬼門の間からはときおり「あぎゃあ!」という山谷の悲鳴らしきものが聞こえてきた。


 見てはいけないと思いながらも、どうしても気になってしまって塩の間のふすまから廊下をのぞけば、うっすら光の漏れる鬼門の間からなにかが音を立てて外に出ていくのが見えた。


(羽の音がする……カラス?)


 飛ぶ影、駆ける影、様々だ。

 どれも玄関のほうへ行くなか、一つだけ幸子のもとに駆けてきたものがあった。


「あっ、わっ」


 ぎょっとして、とっさにふすまを閉じそうになるが、影の輪郭がぼんやり見えたことで手を止める。


「クロちゃん!」


 片耳を揺らしたかと思うと、ブゥブゥと鼻を鳴らして、一目散に走り去っていった。


「クロちゃん……クロちゃん! よかった、元気そうだった……」


 もう生きている彼ではないのだとわかっていても、そう呟いてしまう。ふだんおとなしい彼は、幸子と遊ぶときだけああして嬉しそうにブゥブゥと鼻を鳴らしていたのだ。


 外に駆けていく影は、山谷が喰らった鬼たちなのだろう。烏合の王がいちばん強かったために外見の特徴に強く現れていただけで、ほんとうはさらにたくさんの鬼が彼に取り込まれていたらしいと知る。

 すると、ちょっと哀れに思えた山谷の悲鳴も因果応報という気がした。


「あ、うろこが剥げた」


 つるりと、ひじからにのうでまでを手がすべる。汗でしめって、ほんのり温かかった。





 すっかりうろこの剥げ落ちた腕やうなじを見せてもまだ京は気をゆるめられないようで、本当にちゃんと確認したのか、鏡を渡すからもう一度塩を浴びてきてはどうか、と彼女の返事もきかず再び塩の間に押し戻した。


 そのときは律儀に鏡を使って浴びなおした幸子も、二度目のお清めをおえた身体を見せてなお眉間を影にする彼には閉口した。


「もうっ! そんなに気になるなら、脱いで背中見せましょうか!」

「…………」

「えっと……冗談です。あの、ほんとにだいじょうぶなので」


 少しはたじろぐかと思えば、真顔のまま考えこまれたので、あわてて訂正する。


「山谷くん……蛇さんは」

「鬼門の間にまだいます。これまで喰らったものをすべて吐かされて、いまは気絶して伸びています。かなり徹底的に鬼門に躾けられたので、すっかり従順になりましたよ」


(やっくん、なにをしたんだろう……)


 こればかりは、知らぬが仏の予感がした。このところ禍々しい渦もキュートかもしれないと思いはじめていたところである。あえて気にしないようにしようと心に決めた。


「もう遅いですから、着替えたら帰りましょう。送ります」


 しれっとしているが、京も相当に憤慨していたらしいことを、教室でのふるまいから察していた。鬼門の間で山谷を躾けたのは鬼門だけではなかっただろうと感じつつ、やはりそれ以上はあえて考えないようにする。


 苛烈な京も悪くない、むしろ……と暴走しようとする自身を、いつもは働かない理性がこのときばかりは全力で引き止めた。


 着替えをおえて京と外に出ると、夕陽の名残りがうっすら残る商店街に、ほんの片手で数えられるほどの街灯がぽつりぽつりと浮かんでいた。かなどめ堂に背を向けてながめる夜すれすれの景色も、いつの間にか見慣れていた。


「……そろそろ慶子さんに怒られるな」

「あ」


 京の呟きで、幸子はうっかり思い出してしまった。


(ああ……そうだ。体育祭のあと、いろいろありすぎてすっかり忘れてたけど、わたし走り高跳びに失敗して……)


 名前を呼んでもらう『ごほうび』を失ってしまった。その悲しみが一気に襲いかかってきて、隠しようもなく全身で落胆してしまう。


 あまりにわかりやすい一連の流れに、京にも幸子がなにに思い当たって落胆したのか気づいた。彼自身も体育祭のあとはそれどころではなくなって、長らく失念していたのだ。


「……そういえば部活の申請書、まだですが」

「あ、明日! 明日には提出します!」

「もう呪いは解けたのですし、本当に部活を立ち上げる必要はないのでは?」


 幸子はまじめな顔でかぶりをふった。

 いつものように眉を落としながら「たしかに」と流されるような気がしていた京は、予想外の反応にわずかに目を丸くする。


「やりたいんです。なにか……なにをやるのかとかはまだ、正直わかってないんですけど。部活の申請をしに行ったとき、職員室で戸部先生に、意外だねって言われて……」


 そのときは、とくに気に留めず受け流した。


 けれど後になって、ふと心に戸部の言葉が残っていることに気がついたのだ。


「たしかにわたし、あんまり、こうしたい!みたいなのってそんなになくて。自分がなにしたいのか考えたこともなかったんですけど、なんか、戸部先生がうれしそうにしてくれたのを思い出したら、わたしなんだかうれしくなって、わくわくしちゃって。なにかしたい!って、こんなのはじめてで。……言葉へたでごめんなさい、あんまりわかりませんよね」

「いいえ」


 そう言いながら、京はため息をついた。


「あわ……やっぱり言ってることごちゃごちゃで」

「だから、そうじゃありません。伝わりましたよ。それで、自分がいやになったんです。おまえにそう気づかせたのが、俺ではなく戸部先生だったことに嫉妬しました。本来なら、まずよろこぶべきところなのに」


 きょとんと、幸子は睫毛を揺らす。


「と、戸部先生はベテランの先生ですし! でもかなどめさんもすぐにすごい先生になれますよ! ていうかなってます! いま!」

「べつに俺は教員としての実力に嫉妬したわけではありません」

「え、あれっ、じゃあ、えっと……?」


 疑問符を無数に浮かべて首をひねる幸子をしりめに、京は続ける。


「俺に相談をしろと言ったおまえが、まず俺ではなく友人たちに相談をしたことにも嫉妬しました」

「えっ」

「それと、蛇鬼が何度もおまえの名前を呼んだこと。如月さんと早乙女くんもそうですね」


 いよいよなにか気づきかけて、幸子は爆発するように首まで赤くなる。嫉妬とは、つまりやきもちということらしい。そんなわかりきったことを、ぐるぐると頭のなかに巡らせる。


 なんと言葉を返すべきか、とっさには出てこなかった。だというのに、ようやく幸子に意味が伝わったとわかったとたん京は口をつぐんで、じっと視線で返事を求めてくる。


(ど、どうしよう、どうしよう? わたしも好きです? ち、ちがうか。告白じゃないし。でも、あれ? やきもちやいてますって言われるのってなに? すごい見てくる、すごい見てくるけど……かなどめさんはわたしになんて言ってほしがってるの?)


 もう家が見えていた。

 思わず足を止めてしまって、よけいになにか言わなくてはいけない空気になる。


「えっと……」


 ゆっくりと、深呼吸をした。ふしぎと、告白のときよりも緊張している気がした。


「ゆ、ゆっこって呼んでまみ、」


(噛んだ……!)


 恥ずかしさが頭からあふれてぼたぼたこぼれだしそうだった。ぎゅっとくちびるを結んでうつむいたまま、顔を上げることも、なにか言うことも、逃げ去ることすらできない。


 電柱のように立ち尽くしていると、前に立つ京がふとひざを曲げた。


 少しいじわるな目に、のぞきこまれる。


「幸子」


 軒先から落ちる雨垂れのような、静かなささやき。


 待ち望んでいたはずの響きを堪能する余裕などなかった。いろいろと言いたいことが駆け巡って、そのうちの一つがぽろっと口から漏れたけれど、それがなんだったかすらわからぬうちに気づけば彼女は自分の部屋にいた。

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