第14話 正体

(最初に会ったのは、たしか三月のはじめごろ。まだ桜がつぼみだった、学校の帰り道……)


 その日は少し冷えこんでいて、肉屋『とろとろ』のほくほくのコロッケがむしょうに恋しくなった。


 店にやってきたとき、ちょうど店内に蛇が入り込んでいて、爬虫類が大の苦手だという店主の里見がほうきとちりとりを手に悪戦苦闘しているところだった。


 白希町は山が近いため、町なかに蛇を見つけることもそう珍しくない。夏場にときどきでくわす黒くて大きいあれは苦手でも、それ以外の生き物はたいてい触れる幸子は、その蛇が毒持ちでないことを里見から確認すると代わりに店から逃がすことを申し出た。


 よほど参っていたのか、少女に蛇を任せることを申し訳なさそうにしながらも、里見はほうきを託した。


「おーい、蛇さんやい。怖くないからおいで。すぐに外に逃がしてあげるから」


 ほうきの柄をそろそろと伸ばして、そこに絡みつくよう呼びかける。


「ほらほら、だいじょうぶだよ。わたしは小鳥遊幸子、きみをいじめたりしない普通の女子高生だよ。きみの名前はなんていうのかな」


 当然、蛇から答えが返ってくるなどとは思っていなかった。ただなんとなく、ときおりテレビで見る立てこもり犯VS警察のやりとりを思い出して楽しくなっていた。お母さんが泣いてるよー、と続けようとしたところで、それまでこちらを警戒するように睨みつけていた蛇がするりとその白いからだを柄に巻きつけた。


「わあ! おも! えっ、思ったより大きいねきみ! わたしと同じくらい身長あるね」


 アオダイショウだからね、と里見はこわごわ見やりながら言った。蛇のなかでも特大だから、色が違っていてもわかりやすい、と。


「そっか。アオダイショウか。でも白いのなんてはじめて見た。すっごくきれいだね」


 つぶらな黒い瞳が、じっと幸子を見ていた。蛇の気持ちはわからない。それでも、なんとなく敵意とは真逆の意思を感じて、ほっこりと胸が温かくなったことを覚えている。





「あ、アオダイショウ……?」


 唖然として呟いたのは早乙女だった。


 視線の先で、百五十センチほどの白蛇がいまにも逃げ出そうとからだを滑らせる。だが後ろから大股で近づいた京に、あっけなく首もとを掴まれて持ち上げられた。


「アルビノ……ではありませんね。目が黒い。白化したアオダイショウですか」

『アオダイショウって呼ばないでくれるかな』


 じたばたと尾を暴れさせて不服を訴える山谷に、もはやさきほどまでの脅威はかけらもなかった。


「ま、マジでアオダイショウなんだ……」


 力が抜けたように、美世は座りこんだ。彼女はどちらかといえば里見のように蛇を怖がるほうではあったが、大蛇を前にしたあとではおもちゃを見ているような気分になった。


「白い蛇は神の使いと言われることもあります。特に年配の人ほど。町で特別に扱われるうちに、鬼の道に踏みこんでしまったのでしょう」


 その神々しい身体も、いまはすっかり失ってしまったようですけど。


 京が冷たく言う。春休みの最後の日、幸子がそうなりかけたように、長く鬼の道にいたアオダイショウは肉体を完全に失ってしまっていた。


『幸子ちゃん、幸子ちゃん……ぼく、ほんとうにきみのことが好きなんだ。幸子ちゃんがカナドメを好きになるより前から、ずっと。幸子ちゃんのそばにいたくて、幸子ちゃんに名前を呼んでほしくて』

「うるさい」


 言葉の途中で、京はどこからか取り出した白い人型の折り紙を、蛇の口に噛ませた。


 瞬きの間に山谷は姿を消してしまう。


 教室に静寂が落ちる。

 何事もなかったかのように折り紙をスラックスのポケットにしまう京は、相変わらずの無表情だった。だがこのときばかりは、幸子にもはっきりと彼の感情が読み取れた。


(も、ものすごく、『ものすごく』なんて言葉じゃ足りないほど、ものすごくキレている……!)


「さあ、教室をもと通りにして、帰りましょう。結界を張っているとは言え、鈍感な人間がうっかり立ち入ることもありえますから」

「えっ、結界? かなどめさん、結界張ってたんですか?」

「当然でしょう。あれだけの物音が外に漏れれば、先生たちが駆け飛んできますよ」


 ふと強い違和感を覚えて、幸子はとっさに眉を寄せた。


 かなどめ堂には結界は張っていない。そんなことをしなくても、町の生体ピラミッドの頂点にいるらしい鬼門の縄張りに自ら立ち入るような鬼はいないのだと。


 てっきり結界があるものだと誤解していた幸子に、鬼門はこうも言っていた。


『鬼じゃねェんだから、ンなことできねェよ』

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