第13話 真実の愛のキス

 古今東西、呪いを解くならキスと決まっている。


 もうだめかもしれない——希望を見失いそうになったそのとき、颯爽と現れたヒーローが真実の愛のキスで目を覚まさせるのだ。窮地であればあるほど、キスシーンはドラマチックになる。演出過剰なほどキスの説得力は増す。だからこそどのタイミングで桜庭の背を押すか、この作戦における肝はそこにあった。


「わざわざそんなことをしなくても、中村くんは白い毛の正体にきっと思い至りますよ」

「でも、思い至っても、言えないかもしれないじゃないですか。相手は妹みたいにずっと一緒にいた、幼なじみの子なんですから」

「幼なじみと言っても、結局は赤の他人でしょう。自分の命と天秤にかけたら、比ぶべくもないと思いますけど……」


 昨日のかなどめ堂で、京は幸子の不安に共感はしなかったが、いざとなったときの『ラブ♡キッス大作戦(幸子命名)』への協力は承諾した。桜庭と教室の外に待機していて、中村が自力で呪いを解くことができずピンチになったタイミングで彼女の背中を押す。


 正直なところ、京がそういった場の空気を読めるのか、幸子自身あまり得意ではないことは棚に上げてこっそり懸念していた。だが考えてみれば、彼は古書堂の主人。いつ訪れても客のいない店でひたすら文庫本をめくる本の虫だ。まさに『ここぞ!』という、物語の高揚を誘う瞬間を逃さなかった。


「——朋花」

「あ、ああ……っ、ごめんなさい、ごめんなさい仁也くん! まさかこんなことになるなんて思わなくて、私、とんでもないことを」

「助かった、んだよな……俺たち二人とも。朋花になにもないなら、よかった」


 真実の愛のキスで、解けない呪いなどない。王子さまが眠れる美女にキスをしてなにも起こらなかったら大惨事だ。おどろおどろしい蛇女たちは跡形もなく消え去った。


 少なくとも、中村と桜庭の世界からは。


「もう下校時刻は過ぎてますよ。あなたがたは早く帰りなさい」

「あ、えっと、まだオカ研のみなさんにお礼が……あと一緒にいてくれた先生にも」

「お気持ちはありがとうございます。ですがすみません、これから顧問とオカルト研究部の彼らだけで、重要な話し合いがあるので」


 中村と桜庭は呪いが解けたあとのエピローグ真っ只中で、まだ気持ちの整理がつかないらしく、興奮に瞳を濡らしていた。

 だがすげない京によってあっけなく教室を追い出される。


 とん、とドアの閉まる音。

 これ見よがしな大きいため息が一つ。


『ま、ぼくとしても余計な設定が消えてさっぱりなんだけどね』


 教室に残る人たちの目には、夕陽を浴びて伸びをする大蛇が映っている。


『……それで、こんなふうに無理やりぼくを呼び出して、カナドメまで連れてくるってことは、いよいよきみはぼくを退治しちゃおうって気になったわけだ。あーあ、かなしいな、カナドメにすっかり影響されちゃって。たとえ鬼が相手だろうと対話をこころみる優しさが、幸子ちゃんのいいところなのに』


 蛇女の中に閉じ込められていた鬱屈を晴らそうとするように、鱗の光るむっちりとしたからだを奔放に広げて、散らばる机や椅子たちに大雪のあとのような白をかぶせる。


 まんまるのつぶらな瞳が、幸子を見おろした。


「じゃあ、呪いを解いてって言ったら、解いてくれるの?」

『きみがぼくのものになるならね』

「そういう一方的なの、よくないと思うよ。わたし、山谷くんのそういうところ好きになれない」

「好きになれない、か。ふしぎなことを言うね。好きになるかならないかじゃなくて、ぼくのものになるかならないか、だよ』

「ほら、やっぱりだめだよ」


 分かり合えない。そう理解していても、改めて突きつけられて、幸子は悲しくなった。


『そう。じゃあ、ぼくを力づくでねじ伏せてみせるかい? そうは言っても、エクソシストくんはあのロザリオのネックレスなしじゃたいしたことはできないみたいだし……』


 アッ!と早乙女が叫ぶ。ロザリオを中村に渡したままだったことを今さら思い出したらしい。


『送り狼は烏合の王の敵じゃない。それで、肝心のカナドメは……うん、警戒してたのがばからしいくらい、ただの人間だね』


 だが、言葉とは裏腹に山谷は京から目を離さない。


『ただ、カナドメには白狐がついている』

「ああ、白狐は呼びませんよ。あれはこの教室よりも大きい。天井が壊れます」


(えっ)


 わざわざ武器を使わないことを告げた京が、なにを考えているのか幸子にはわからない。本当に白狐を呼ばないつもりなのか、そう言って油断を誘っているのか、山谷も真意を探ろうと考えこむように舌を揺らす。


『……ふうん? じゃあカナドメは、幸子ちゃんよりも校舎の無事を取るわけだ』

「なにか、勘違いされているようですね」


 ふっと、京は愉快そうに笑った。


 閉じられたドアの前で番をするように立っていた彼は、おもむろに大蛇に向かって歩きはじめた。着物を錯覚するほどにしとやかな足運びを、鎌首をもたげる山谷だけでなく、この場にいる全員が釘付けになって見守る。


 間もなく京の行く手を、大蛇の無防備に投げ出されたからだが阻む。


 胴のあたりは大樹の幹ほどあるが、彼の足もとを横断するのは尾先のあたりで、ほんの電柱ほどの太さだった。


 それまで机や椅子を器用に避けていた京は、ためらいなく足を持ち上げると、またがずに尾を踏みつける。


『いたっ!』

「へえ、尾の先まで感覚があるんですか。はりぼてにしては、よくできてますね」


 牙を剥き出した山谷が頭上に迫っても、上品に浮かべられた笑みは変わらない。


「おまえが相手では、白狐も呆れて来ませんよ」

『人間ごときが生意気な』

「ええ。人間ごときで十分だと言うことです」


 幸子のほうを向いて「そうでしょう」と声をかける。


「えっ」

「おまえも気づいているはずです。これの正体は、大蛇の鬼などではない。もちろん烏合の王でも。彼と『因縁』のあるおまえなら、わかるでしょう」


 見当をつけていたわけでも、根拠があるわけでもない。けれど不意に、確信を持って見つけだす——


 幼いころ見つけたUFOや、知らず禁足地に立ち入っていたことにふと思い至るように。


「ああ……ああ! まさか!」


 『因縁』は、ときに理屈を飛ばして落雷のように真実を突きつける。





————

前回は仁也くんを『リンヤクン』と呼ばせるたいへん大ポカ野郎になってすみませんでした…

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