第9話 あと半月

——ねえ知ってる? 『白蛇の縁結び』。

——あっ、聞いた聞いた。たしか、三年の中村先輩だっけ。めっちゃイケメンの……。

——そうそう。じつはさぁ、この前廊下でチラッと見かけたんだけど、なんかすごいやつれたふうで。このままだとマジで死んじゃいそうなかんじだったんだよね。あー、どうにかしてわたしが呪い解いてあげたいわぁ。

——とか言って、近づくチャンスとか思ってるんでしょ。でも無理無理。解き方、聞いた? さすがにウチらじゃわかんないって。





「いや、やっぱわかるわけないって。白い毛がなんの動物の毛だったかなんてさ」


 頬に影をきざした中村が、目を潤ませて幸子にすがりつく。雑にふり払えば紙のようにぺらぺらと飛ばされていきそうな弱々しさだ。


 六月になっていた。廊下の窓から見える青葉は生命力をみなぎらせていて、昨晩の雨の名残をきらきらと輝かせている。移動教室での授業を終えて、昼休みのために教室に戻る三年生たちが夏服から健康的な肌を見せるなか、幸子と中村は互いに長袖のままだった。


 このところ体調を崩しがちだという中村は、どんなに気温の高い日でも常にうっすらとした寒気につきまとわれているらしい。


 幸子の身体に生える乳白色のうろこは、うなじから肩をすっかり埋め尽くして、いまはひじのあたりまで侵蝕していた。どんなに暑くても、うかつに腕まくりができない。


「ううん……でも、おまじないをしたのは中村くんのことを好きなひとってことになるんだろうし、接点があるのも中村くんだろうから、きみが見つけてくれるしかないよ。ほんとうにちっとも心当たりないの? たとえばいつも仲良くしてる子たちのなかに、白い毛並みのペットを飼っている子とかは……」

「玲美と智子はペット飼ってなかったはずだし……ん、そういえばゆっこちゃん、たまに白い小さい犬散歩させてなかったっけ」

「あ、うん、ぽぽちゃん」


 反射的にこっくりうなずいてしまったあとで、あわててその首をぶんぶんと横に振る。


「ち、ちがうよ! わたし、ほんとは誰にも内緒なんだけど、じつは好きなひとが……」

「あー、うん、京先生だよね」


 幸子の片想いはすでに公然の秘密だった。


「ゆっこちゃんがやったとは思ってない。でも、ほら、ゆっこちゃんのスカートに白い毛がついてる。たとえ本人が白い毛並みのペットを飼ってなくても、白い毛自体はほかの人から簡単に手に入れることができるから」


 彼の指摘にスカートを見おろせば、たしかにぽぽちゃんの毛が何本かくっついていた。学校から帰るたび熱烈歓迎されるために、何度コロコロをかけても全部は取り切れない。


「やっぱ無理だよ、わかるはずない」

「そんなことないって。中村くん言ってたよね、こういうのは因縁だって。どういう因縁だったか思い出せれば、きっとわかるはず」

「マジに?」

「まじまじ」


(こ、これでいいんだよね、かなどめさん)


 実際のところ、中村が見つけた髪の毛の束がおまじないによるものかはたまた呪いによるものか、明らかにはなっていない。『白蛇の縁結び』をでっちあげたのは美世で、その解き方をでっちあげたのは京だった。


 早乙女が悪魔祓いをしようとしている件を聞いて(悪魔祓い?と首を傾げてはいたものの)それ自体は止めず、そのうえで中村当人にも呪いを解けるようにした。いざというとき早乙女が間に合わずとも、自力で対処する手段を与えたのだ。


 中村の抱える不安は、幸子も京にたずねたことだった。もう手元にもない毛束の持ち主を当てるだなんて難しすぎる、もっと簡単な条件にしたらどうか、と。


「簡単な条件にしたら、解呪の方法として信憑性がないでしょう。と信じたからこそ生じた呪いなのだから、解く際にも相応の納得をともなわなければ。心配せずとも、危機が迫れば彼はおのずと見つけます。『白蛇の縁結び』はまやかしでも、彼がそれを信じるに至った因縁はきっと存在するはずですから」


(因縁、かぁ……)


 身じろぎのたび、シャツの内側をぬめぬめとすべるうろこの感触を覚えながら、幸子は蛇の鬼——山谷新のことを考えた。


 やはり京を警戒しているのか、送り狼の折り紙を肌身離さず持っているおかげか、彼からの接触は一切ない。白蛇の噂は順調に広まっているが、無理やりに引きずり出すにはまだ足りていないのか。代わりにうろこが、はやくはやくと決断を追い立てるように肌を覆っていく。


(わたしも、どこかで山谷くんとの因縁を作っちゃってたのかな……)


 保健室で出会うより、坂道でぶつかるよりももっと前に——


 中村と別れ、もんもんと考え事をしながら歩いていた幸子の前に、とつぜん一人の女子生徒が飛び出した。


 ぶつかりそうになるのをたたらを踏みながら耐えた幸子を、出会い頭の勢いとは裏腹のひかえめさで少女はおずおず見上げた。


「わっ、あ、えっと」


(だ、誰だろう……うちのクラスじゃないってことは、後輩かな)


 乱れなくキュッと束ねられたおさげ髪が、まじめそうな印象を与える。しわ一つないスカートも、校則よりわずかに長いくらいだ。どんぐりのような目に眼鏡はかけられていないが、少女漫画ならば委員長ポジションだと勝手に位置付ける。


「あっ、あの! いまっ、仁也くんと話してるの、き、聞いちゃいまして……!」


 委員長系後輩女子→イケメン(ただしナルシスト)人気者先輩男子


 図式を頭のなかに浮かべて、勝手に拍手を贈りたくなっている幸子を、少女は真剣な面持ちでじっと見上げている。


 少女漫画でおおいに学習している幸子からすれば、なにを言わんとしているのかなど聞かずとも簡単にわかることだった。


「だいじょうぶだよ、心配しなくてもわたしにはほかに好きなひとが——」

「オカルト研究部の方なんですよね! 助けてください! じつは仁也くんに『白蛇の縁結び』をしちゃったの、私なんです!」

「ほえ」

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