第8話 夏のきざし

 商店街のアーチ看板、バスが去ったばかりで無人のバス停、そして鉄の巨大どら焼き。『UFO広場』という呼び方がじわじわと町の中に定着しつつあるバス停前広場で、幸子と美世、早乙女のオカルト研究部(仮)は緊急会議を開いていた。


「うん、蛇の鬼については、『白蛇の縁結び』ってかたちでどうにか噂になってくれそう。うまく広まってくれるかどうかは、しばらくようすを見ないとわかんないけどね」


 好きな人と自分の髪の毛を一本ずつ束にして、なにか白い動物の毛で結ぶ。それを相手の身近なところに忍ばせて、一週間バレなければおまじないは成功……晴れて両想いに。バレてしまうと、おまじないは呪いに変わって、おそろしい蛇の鬼が相手を呪い殺そうとする。呪いを解けば、今度はおまじないをした術者のところに蛇の鬼がかえってくる。


 すべてその場で美世がでっちあげたものだったが、『蛇の鬼』のことを刷り込むには上出来な仕上がりになったという手応えがあった。中村も、取り囲んでいた聴衆たちも真剣な面持ちのまま彼女の話に聞き入っていた。


 だが、すっかり信じこんだ中村が呪いを解いてほしいと依頼してきたのは、今回の作戦立案者である幸子も想像していなかった事態だった。


「いやまあテキトーでいいんじゃない。解いたっつって、事後報告みたいにすれば」


 めんどうくさそうに提案する美世に、真剣な顔でかぶりをふったのは早乙女だった。


「いや、それだけじゃ呪いは解けない」

「そもそもかかってねーよ、呪い。あたしの作り話だもん」

「作り話でも、あの陽の気をまとう者は信じたわけだろう? そうなったらもう、呪われてしまったも同然だ。噂を使って蛇の悪魔を引き寄せるのと原理は同じ。と思えば、彼にとってはまちがいなくんだよ」


 美世の首が傾く。


「……んー? どゆこと、催眠みたいな?」

「似てるけど、さらにたちが悪い。彼に〝呪いを解いた〟とはっきり認識させない限り、蛇の悪魔がほんとうに命を狙うだろう。事後報告なんかじゃ信憑性は薄い。目の前で解呪の儀式をやってみせるくらいじゃないと」

「ええ……うわ……それってつまりあたしが呪いかけたようなもんじゃん。んなことになるならもっとマイルドな呪いにしてたわ」

「待って待って、それ放置しててだいじょうぶなの? いますぐにでもかなどめさんに相談したほうが……」


 チッ、チッ、チッ、と早乙女の人差し指がメトロノームのようにゆっくりと振られる。


 蒼白になる女子たちに、彼は余裕の笑みを見せつけながら言った。


「そもそも俺たちはなんのために噂を広めている? 蛇の悪魔を誘き寄せるため、だろう。悪魔があの男を呪い殺そうとするとき、まさにその瞬間がチャンスになる。彼の見ている前で悪魔祓いをすれば、彼の呪いとゆっこの呪い、どちらも同時に解くことができるだろう。フッ……まさに一石二鳥、だな」


 それから哀れむ目を幸子に向けた。


「ゆっこ、何度も言うが、カナドメは信用できない。今日、間近で見て確信したが、やはりあいつは悪魔だ。君に近づくのには裏がある。未熟ながら、悪魔祓いはこの早乙女レオンが引き受ける。だからゆっこは、なるべくカナドメに近寄らないよう注意してくれ」





「かなどめさん、こんにちはっ!」


 帰宅するなりお気に入りの洋服に着替えてUターン。白いブラウス、新緑のスカートを風にふくらませながら坂を駆け上がり、『春夏冬』の札がさがる戸を思いきり引き開ける。


 すっかりおなじみになった、幸子のルーティンである。


「あ、そのまま戸は開けていてください」


 夏めくにつれて、ただでさえ湿気の多い店内は熱帯雨林のようになっていた。窓という窓はすべて背高の本棚に潰されていて、篭った熱の逃げ場がない。カタカタと鳴る扇風機はぬるい空気を意味もなくかきまぜている。


 レジスター奥の京は、着物を羽織っていなかった。まくられたシャツの袖から伸びる腕で頬杖をついて、片手に開かれっぱなしの文庫本ではなくぼんやりと宙をながめている。気だるげなのはいつも通りだったが、切れ長な目もとの涼しげな印象は、しっとりと濡れて赤らんだ頬に打ち消されてしまっていた。


 開かれた戸から入りこんだ風が前髪を浮かせたことで、ようやく焦点が幸子に定まる。


「か、かなどめさん、五月とはいえこんな暑かったら熱中症になっちゃいますよ。なんでずっと戸を開けないままでいたんですか」

「……ああ、ええ、めんどくさくて……」


(め、めんどくさい……)


 意外な発言よりも、来たる夏がおそろしくなる幸子だった。


「さっそく報告なんですけど、蛇の鬼の噂、いいかんじに広められそうです! でも早乙女くんが不安なことを言ってて……そのことでかなどめさんに相談したいんですけど」

「いいですよ」


 また面倒ごとを増やして、と呆れられるかもしれない——もじもじとうつむく幸子が言いおわるより先、食い気味に京は快諾した。


 おどろいた彼女が顔を上げると、視線の追求を避けるように背後の戸を向いてしまう。


「でもその前に、塩の間に行ってきなさい。着替えは、おまえがいつも使っている右奥の部屋に用意してあります」

「あ、ありがとうございます……あの、かなどめさん、お水ちゃんと飲んでます? もしよかったら、戻るときになにか持ってきましょうか」

「…………」


 たっぷり三秒、沈黙があった。


 ちらと首だけふり返った京が、なにか言おうと口を開く。そこからさらに一秒置いて、


「……玄関を上がって右手の戸が台所です。たしか冷蔵庫に里見さんから押しつけられたジュースが……何味だったか、あったはずなので……来客用のコップがなくて申し訳ないですが、それでよければおまえの分も一緒に」


 まだ踏み入れたことない場所に京の案内なく入ることを、家の物に触れることを許された。それはまるで、これまでよりさらに深く京の内側に入り込めたようで……たとえ暑さで正常な思考を失っていたのだとしても、幸子にとっては大事件、大進展であった。


 弾む足取りでレジスターを回り込む。


 正面を向いてしまった京の後ろ姿を、右巻きのつむじをじっと目に焼き付けたあとで、彼女は奥の生活スペースへと入っていった。


 戸が閉まると、京は一人ため息を落とす。


「……あつ


 頬杖をついた右腕に、汗がつたった。

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