第3話 はじめての相談

「山谷くんを誘い出すっていうなら」


 はっきりそうと分かるエサが、一つあった。


 幸子は意味もなく両手の指を組んだりほどいたりしながら、かなどめ堂の戸に鍵をかける後ろ姿に向かっておそるおそる声をかけた。


 だが言葉はその先へ続かなかった。


 壁のようにそびえる白シャツの背から、そこはかとない冷気がただよいだしたのだ。ふだんのように着物をへだてていないせいか、放たれる気配は言葉や表情などよりよほど雄弁だった。無意識ににのうでのあたりをさすりながら、彼女は大人しく口を閉ざした。


 戸をゆすって施錠の具合をたしかめたあとも、京はさきほどの幸子の言葉など聞こえていなかったような態度だった。彼女を見やることもなく、店に背を向けて歩きだす。


 会話のないまま、商店街を通り抜ける。

 坂の底では、陽が海に沈もうとしていた。


 足取りは、夜になってしまう前にと急かすようだった。幸子も小走りになって並びながら、そっと横顔をうかがう。照りつけるオレンジ色に隠されて、視線がどこへ向けられているのかすらわからなかったが、ぎゅっと手をにぎってなけなしの勇気をふりしぼる。


「でもあの、なにか、なんでも、わたしにできそうなことがあれば言ってください。わたしのことなのに、かなどめさんに任せきりなんて、そわそわしちゃいますし……」


(わたしだって、おとりになりたいわけじゃないけど……)


 そのくらいの覚悟だということを、ただ伝えたかった。


 鬼門の間を出てからの京はずっと、外の音などまったく聞こえていないかのように深く考えこんでいるようすだった。真剣に自分を救うための手立てを探ってくれているのだとわかって、温かくなる胸とはよそに、ふと疑問がよぎった。


 丸投げした鬼門に相談ができないいま、京にはほかに誰か頼れる人はいるのだろうか。


「わたしはやっくんみたいに助言はできないけど、かなどめさんの話を聞くくらいならできます。誰かに話を聞いてもらうと、なんとなく考えがまとまったりするし……そんなふうに役立ててもらうのでもいいです。もちろんおとりになれって言うならなるし、わたし……」


 京はおもむろに持ち上げた左手でひさしを作って、夕陽の影から幸子を見おろした。


 そっと、歩む足がゆるめられる。


 彼女の小走りがゆったりとしたものに落ちついたところで、彼はひさしをほどいて坂の方へ顔を戻した。わずかに陽の傾きが進んだために、今度は影になって横顔が見えない。


「……変わりませんね」


 苦笑まじりのつぶやきは、遠い過去を懐かしむような、諦めと憧れがにじんでいた。


「えっと……子どもっぽいってことですか」

「いいえ。逆ですよ」


 幸子の眉は怪訝に寄った。なんとなく幼少期の自分と比べられたのだと思ったが、当時から〝大人っぽい〟の評価とは縁遠かった。


「かなどめさんだけ、昔のこと覚えててずるいです」

「こちらももどかしいですよ」

「それじゃあ、教えてくださいよ。聞いたら思い出せるかもしれないじゃないですか」

「思い出せませんよ。今はまだ」


 だからその話はいずれ、と有無を言わせない口調に打ち切られる。同時に、水面に揺れていた陽がいよいよ沈みきって夜が訪れた。


(なんだかんだで、頼ってほしいって言ったこと、はぐらかされただけだったのかも……)


 思わず落としそうになったため息を、彼女はあわてて顔を持ち上げながらぐいと飲みこんだ。ついでに夜空に星を見つけて、せめて家についてしまうまではどうにか説得を続けてみようと意気込んだ。


 決意して開いた口は、京にさえぎられる。


「……相談、なんですけど」


 幸子の口は大きく開かれて、そのままあわあわと震えたのちに、ようやくかぼそい返事をする。


「はい……、はい!」

「どうにかして、例の蛇鬼の知名度を上げられないか、案はありませんか」


 これまで生きてきたなかで一番の速度で幸子の頭は働きだした。


 京がをしてくれた。


 絶対に応えなければならないと、発火する勢いで考えだす脳のかたわらで、頬を桃色に染めた幸子がカレンダーに『かなどめさん相談記念日♡』とルンルンで書きこむ。


「知名度ということは、知名度ということですよね! つまり山谷くん……蛇の鬼のことをたくさんの人に知ってもらうっていう」

「ええ。知られれば知られるほど、鬼は姿を現しやすくなる……隠れにくくなるものですから」

「それなら、噂を流してみるっていうのはどうでしょうか!」


 しごくまっすぐな提案は、首を横にふる京に却下された。


「あと一ヶ月たらずで、そのうえ俺とおまえだけで町じゅうに噂を広めるのは無理があります。そもそもこの町の住民はほとんどご老人で、家から出歩く者も少ないですから」

「こう……迷子放送とか、たまにあるじゃないですか。あれを使わせてもらって、いっきに町全体に知らせるっていうのは」

「……すみません、『知られれば』と言いましたが、ある程度はその存在を信じてもらう必要があるんです。その方法だと蛇鬼については流布できても、信じてもらうことは難しいかと」


 ぐう、と幸子は唸った。彼女の脳は早くも白旗を上げていたが、せっかく頼ってくれた京にこのまま「お手上げです」などと開きなおることはできなかった。


 おどろくような名案で、どうにか彼の信頼を勝ち取りたかった。欲を言えば「なんて賢くて使えるひとなんだ。こんなひととは人生でもう二度と出会えない」とプロポーズされたかった。


(どうしよう、なにも、なにも思い浮かばない……あともうちょっと考えたらいい案が出るかもなのに……もうすぐ家に着いちゃう)


 ゆっこ、ゆっこ……と。幸子の中で、ふと美世の声がした。


 こういうときはね、『いったん持ち帰って検討します』って言やぁいいんだよ。大抵のことはそう言っときゃ切り抜けられる。


 それはいつだったか、制服改造について生徒指導室に呼び出されていった彼女が、思っていたよりだいぶ早く説教を終えて戻ってきたときに教えてくれた魔法の言葉だった。


「だっ、だいじょうぶです! わたし、いい感じに蛇の鬼の知名度、上げてみせますから! ——でもとりあえず今日のところはいったん持ち帰って検討ということで!」


(今夜は徹夜の覚悟で、考えなくちゃ!)


 京がなにか言おうとする前に、幸子は勢いよく頭を下げて、まだ少し距離のあった家まで坂を転げ落ちるように走っていった。

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