第4章 運命の白い糸
第1話 あと一ヶ月
鬼門は鼻歌をうたいながら今宵の
京が何度直してもいつの間にか狂っている壁時計の針は、午後五時十五分を示している。つまり五時になるかならないかというころで、一般的な夕食にはすこし早い時刻だったが、鬼門にとって人間の風習など隣の家の献立くらいどうでもいいことだった。
壁際を飾るように並べられたいわく付きの品々はよりどりみどりだ。
さて、場所をとる大壺をたいらげてもいいが、髪がしだいに癖毛になる市松人形がそろそろアフロの様相を呈しはじめている。壺に比べればたいした穢れはないが、渦の〝むずつき〟もそれほどだし、パンチパーマになってしまう前に喰らってやったほうが彼女のためだろう——鬼門を形作る黒い煙のようなものが、強く息を吹きかけられたように市松人形までたなびいた。
人形はたやすく持ち上げられた。鬼門の中央の穴があんぐりと開けられて、黒のクレヨンでめちゃくちゃに塗りつぶしたようなそこへ、いまにも呑み込まれようとする。
「鬼門!」
珍しい大声が、蹴り開けられたふすまの悲鳴と同時に叩きつけられる。
ふだんの陶器のような顔からさらに色を失った京が、ぐったりとまぶたを閉じる幸子を抱きかかえて大股歩きに入ってきた。塩の間から直接つれてきたのだろう、白の着物から彼女の手足をつたってぽつぽつと塩がこぼれ落ちる。
市松人形をつまんだまま呆然とする鬼門の前に、京は幸子ごとかがみこんだ。
そのまま彼女の後ろ髪の下に手をすべりこませると、うなじをあらわにさせて訊いた。
「これ、どういうことか分かりますか」
身体の内側にひっそり根を広げていたものがいよいよ肌をつきやぶって芽吹いたような、生えたての乳歯ほどの真珠色のうろこ。
後ろ衿からのぞく、背中と首との境にある骨の隆起をみっしりと覆っている。
『あァ、蛇』
鬼門は舌打ちを一つして、市松人形をひょいと呑み込んだ。
『ったく、こいつはこう、どうしてめんどくせェ
「呪いの主は、蛇の鬼ですか」
『おおざっぱに括ればそうなんじゃねェの。ほかにも色々と混じってそうではあるけど』
もやもやと鬼門から煙が伸びて、幸子のうなじに生えるうろこに触れた。
そのとたん、閉ざされていたまぶたがぱっと開かれる。幸子は尻尾を逆撫でされた猫の勢いで肩をわななかせながら跳ね起きた。
「あれっ? わたし塩の間で、えっと……」
「首の後ろ、清めようと触れたとたん気を失ったんですよ。……呪いの進行で体調に不具合が出ているのかもしれません。無理をせず、しばらくこのまま身体を預けていなさい」
真剣な顔でそう言いつけて、京はいましがた起き上がったばかりの彼女をまた自分の胸へと引き寄せた。
お清め用の着物はほとんど肌着と変わらない薄さで、そこから伝わる体温に幸子はくらりと目を回しながら、同じように塩の間で気絶したことを思い出した。
(そうだ、かなどめさんが塩の間に入ってきて……呪いの兆候がどうのって、わたしの首の後ろ、塩でお清めしてくれようと……)
体調が悪かったわけでは決してない。
ただ、彼らしくもなく焦りのにじむ強引な手つきと距離の近さに、単純に恋する乙女のキャパシティが限界を迎えただけだった。
『なんでもいいけど捕まるなよ。ヤるならバレないようにヤれ』
「は?」
『それと、いまのうちにたっぷり楽しんどけ。こいつの身体が全身びっしりうろこに覆われて、まるきり蛇に変わっちまう前にな』
あっけらかんと言い放たれた言葉に、京はくちびるを噛み、幸子はさっと顔を青くする。
「ど、どういうこと? まるきり蛇になるって、わたしの首の後ろ、どうなって——」
言いながら自分のうなじに手を回した幸子は、途中で声を途切れさせた。
中指と人差し指の腹に、ひやりとした硬いものが触れている。
信じがたいことにそれはなだらかな肌の延長線上にあって、指の熱、わずかに爪が当たる感覚まで伝わっている。
『猶予は、そうだなァ、俺様の予感じゃあと一ヶ月ってとこかな』
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