第7話 体育祭
あとから思い返せば、さすがに少女漫画の読みすぎだと顔を覆いたくなる幸子だったが、京はそんな彼女の煩悩をあっさりと了承した。
はじめて会った日の告白はやっぱり伝わっていなかったか、それとも忘れられてしまっているのか……深刻に思い悩んだのはほんの一日だけだった。それからはどんなお願いを叶えてもらおうか、夢と下心をふくらませながら来たる体育祭当日に想いを馳せた。
校庭を照らす日光に、水あめのような金色の輝きが混ざりはじめたころ。
ちょうどその日が春と夏の境だったように気温はぐんと上がって、白希第四高校の体育祭は熱された青葉のにおいのなか執り行われることになった。
「ゆっこ、ちゃんと日焼け止めぬった?」
「あ」
「ここ日陰ないから焼けんぞ。ほら、腕だせ」
校庭の南に集う椅子が幸子たち三年生の待機場所だ。いままさに佳境となっているリレーに目を奪われながら言われるまま差し出した腕に、美世の手でひやりと白いラインが引かれる。両手でぬりひろげると、つんとしてほの甘い日焼け止めのにおいが立ちのぼった。
手のひらに残ったぶんを頬にぬれば、見えないひび割れにしみるようにひりひり痛んだ。さっそくしてやられたらしいと、幸子は陽ざしにひそむ憎き紫外線をじっとり睨む。
「大助、足はっや。マジで今年はうちの組でよかったわ」
「奥永くん毎年いちばんだもんね。あ、あそこ奥永くんとこの家族じゃない?」
「げ! そんとなり、うちのパパとママじゃん! そろって来るとは聞いてなかった」
生徒の数が少なければ集まる保護者の数も同様で、見まわせばすぐに家族の姿を見つけられる。幸子の両親も娘二人の勇姿を見に来ているはずだったが、目があったときどう反応するべきか、学校にいるときと家にいるときのどちらでふるまうのもなんとなく気恥ずかしくて、あえて探さないようにしていた。
(かなどめさんはどこにいるかな……)
教員席に姿は見えない。手伝いをすると言っていたので、もしかしたらつぎの競技の準備などしているのかもしれないと校庭のすみに目を向けたとき、彼女は思いがけず自身の両親と京が一緒にいるところを目撃する。
遠目からでは彼らの表情までわからず、会話の内容も当然届かなかったが、どうやらなごやかに談笑しているらしいふんいきは伝わった。自分の話をさてれいるような気がして、足もとがそわそわと落ちつかなくなる。
しばらくそこからようすをうかがっていた幸子だったが、そのうちにがまんできなくなって立ち上がった。
「みーちゃん、わたしちょっとかなどめさんのところ行ってくる」
「え! あんたもうすぐ出番だけど!」
「だいじょうぶ! さっと行ってさっと出るから!」
そう言って勢いよく走りだした幸子は、実際すぐに京たちの近くまでたどり着いた。
けれどやっぱり学校で両親に話しかけること、そして両親の前で好きなひとに話しかけるということにも照れてしまう。思わずためらってしまった隙に、どうやら彼女の接近に気づいていたらしい京から声をかけられた。
「出番、つぎじゃないですか」
「あっ、はい! でもその、お母さんたちが先生と話してるのが気になって……」
母親の
「あんたって、本当に悠人くん好きね」
「悠人くん⁉︎」
「覚えてないの? あんたの初恋でしょ」
声をひそめる配慮もなくはっきり言われて、幸子は思わず「わあああ!」と頬をおさえながら叫んでいた。突然の大声に眉を寄せた慶子を、それまでなにも言わずかたわらで大仏のようにほほえんでいた
「こら、デリカシーがないよ。年頃の女の子なんだから」
「そ、そうだよ! えっ! 待ってどういうこと、わたしってもうかなどめさんに初恋してたの? というか、そもそもいつ会って」
目を白黒させる幸子と対照的に、京たち三人はのんびりと顔を見合わせる。
「同じ町に住んでいるんだから、これまでに会っていてもおかしくないだろう。ねえ」
「まだあんたがぽぽちゃんくらいだったころ、公園からよく脱走するのを悠人くんが捕まえてきてくれてたのよ。あのころからしっかりしてたけど、しばらく見ないあいだに本当に大きくなって……いまじゃ幸子の学校で先生してるなんて信じられないわ」
「教師は臨時で、本業は古書店のほうですが。……それにしても慶子さんが俺のことを覚えてくださっていたことに驚いています」
「何度も助けてもらったのに、忘れるわけないでしょう。この子、目を離した隙に忽然といなくなるんだから……」
当時の苦労をにじませた慶子の視線から顔をそむけ、幸子はさっと京の腕を取った。
「ちょっと、かなどめさん、借りるね!」
そう言い残すや、「迷惑かけるんじゃないよ」という母親の呼びかけを背中に、なるべく大股歩きで人混みを抜けていく。もういつ走り高跳びの招集がかけられてもおかしくなかったが、胸のうちにふくれたもやもやをそのままにしていては、重たくてうまく跳べそうになかった。
校舎のひさしの下、だれの姿も見えないところまでつれてきてから腕を放す。抵抗もなく彼女のうしろを追ってきた京は腕組みをして首をかしげた。
「走り高跳び、もう間もなくですが」
「それは、話がおわったらすぐ行きます!」
かぶせるように選手を呼ぶアナウンスがかかって、なおのことせき立てられる。しれっとした顔でいる京に言ってやりたいことはやまのようにあったが、幸子にすべてを口にする時間はない。
「お願いが決まったんです。もしわたしが、女子の高跳びでいちばんになったら」
とうの昔に会ったことがあるのにこれまで初対面のようにしらを知っていたこと、幸子の『初恋』の話が出ても動じなかったことから告白は正しく伝わっていたらしいということ、それらも十分に気になるところではあったが、このとき彼女の頭を占めていた問題はただ一つだった。
(——お母さんだけずるい!)
「わたしも名前、呼んでください!」
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