第6話 コーヒーとメロンパン


 中庭につながるガラス戸のそばには何台かの自動販売機がそびえていて、そのうち一つにメロンパン専門のものがある。


 チョコチップクッキーメロンパンと練乳いちごホイップメロンパンとのあいだで指をさまよわせていた幸子は、ふととなりから差した影を見上げて手にしていた財布を落としそうになった。


「か、かな! かなどめさっ、先生!」


 京はちょうどボタンを押したところで、動転する幸子の声に缶コーヒーの落下する音が重なる。呼びかけてしまったあとでしまったと気づいた彼女は、いまだメロンパンを決めあぐねていた人差し指を彼の視線から隠そうとあわてて身体を回転させた。


「き、きき奇遇ですね! わたしはたまたま通りかかった小鳥遊幸子です」

「はて、背中だけではほんとうにおまえかわかりませんが」

「うそですそれはわかってる口調です!」


 とうにお昼休みは終わりに近い。お弁当箱をからにしたうえでまだ物足りず、こうしてカロリーモンスターを追撃させようとしている姿を好きなひとにだけは知られなくないという乙女心だった。運動をすればしただけお腹のすく幸子は、連日の体育祭練習のせいでこのところお昼の食事量が五割増しになっている。


 たまたま通りかかった顔をどうにかとりつくろって(くちびるは気まずげに尖っていた)ふり返りながら、言い逃れできない財布だけを後ろに隠す。ほらなんでもないでしょうと言いたげに見上げられた京は、幾度か咳払いをした。


「……あれから、鬼の接触はありますか」

「クロちゃんとかは、けっこう……」

「山谷新のほうは」

「山谷くんはまったく。もしかしたら、こっちが警戒してるのわかってるのかも」

「それはそうでしょうね。下手に関わると呪いの進行をうながすことになりかねないので、いまのままでいてくれるとこちらもやりやすいのですが……」


 幸子にかけられた呪いがどういったものか、いまのところわかっているのは穢れが異常に溜まりやすくなるということだけだが、鬼門いわくこれはあくまで副作用なのだという。本命の効果がべつにあって、それが判明しないことには呪いをかけたものの正体、そして肝心の解き方もわからない。


 穢れを溜めすぎて鬼の道に逸れてしまったことのある幸子には、すでに呪いの片鱗が現れているはずだと鬼門は言った。だが彼女に心あたりはなく、いまのところは進行を早めないようこまめに穢れを清めながらようすを探っているところだ。


「……誘いだして、白狐でおどしてみずから解かせるという手もありますが……逆上されたときどうなるかわかりませんからね。けれど最終手段として、そういうこともありえると覚えておいてください」


 うなずきながら、幸子ははじめて会った日に目にしたきりの白狐を思い出していた。


 どこか京にも似たふんいきで、白い毛なみをみずみずしく光らせる姿は神々しさすらまとっていたが、あれもおそらくは鬼だったのだろう。送り狼のように、折り紙で作られた〝縁〟で呼び出して、力を借りていたのか。


「かなどめさんって、陰陽師、ですか」


 人差し指と中指を重ねて言った幸子に、京は目をしばたかせた。


 彼女としては核心をついたつもりだったが、手応えのない沈黙が横たわる。


「……いえ、違いますけど」

「ち、違うんですか! ぜったいそうだと思ったのに!」

「……ああ、あの折り紙が誤解させましたか。あれは式神のような使役の強制力はありません。あくまで鬼を呼ぶ道しるべです。縁をつなげることで多少、心は通いやすくなりますが、あちらの気が乗らなければ来てもくれません」


 幾度となく白狐に無視された経験のある表情だった。


「で、でもあの折り紙を折ったのはかなどめさんですよね……やっぱりふしぎな力がなくちゃそんなことできませんよ」

「べつに、体質です」


 京は缶コーヒーのプルタブを開けて、ひと口傾けた。


「鬼に好かれるおまえは、じつは俺より多くの鬼が視えているんですよ」

「えっ」

「俺はおまえより、祈りが鬼に届きやすい」


 それだけです。と、こんどは飲み切ってしまおうとするようにコーヒーをあおる。


 彼は空き缶をそばのゴミ箱に捨てた。


「さて、そろそろ昼休みが終わりますよ。おまえも早くメロンパンを食べないと、放課後の練習、体力が尽きてしまうんじゃないですか」

「あわ!」


 目に見えてうろたえた幸子に、からかいのまなざしが向けられる。


(あわわ……顔がかっこいい……)


 なんとなく話を逸らされてしまったことを感じないでもない幸子だったが、彼が言うならば間違いないのだろうとすぐに思いなおす。もしくは、貴重なほほえみを目の当たりにして思考はどろどろにとけ落ちた。


(——そうだ、体育祭のこと聞かなきゃ)


 京が背を向けたところではっと気づいて、どうにか脳みそを固めたあとで声をかける。


「かなどめさん! 体育祭、見に来ますか」

「さっきから『先生』、とれてますけど」


 首だけでふり向いた彼は、呆れたようにそう言ってからうなずいた。


「手伝いで、一応は教員として参加する予定です」


 本番は最高記録が出せると幸子は確信した。


 財布を握る手にぎゅっと力が入る。


「そしたら、わたし……女子でいちばん高く跳びます! だから、忙しいかもですけどできたら見ていてほしいのと、もしほんとうにいちばんになれたら——」


 体温が上がって、せっかく固めたはずの脳みそがまたとろけはじめる。

 もはや彼女の意思を飛びこえて、くちびるが勝手に言葉を紡いでいた。


「な、なんでもお願い一つ、きいてほしいです……!」

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