第12話 宿はと問はば
店主が読書に耽っていたために、町が夜ごはんのにおいに満たされる時間になっても、いまだかなどめ堂は『春夏冬』のままだった。そもそも気まぐれに明かりがともり、つぎに見たときには消えているような店で、これと定まった営業時間は存在していない。
おそるおそると戸を開けた幸子は、レジスターの奥に目当てのひとを見つけてもすぐには声をかけられなかった。胸に重ねる手のなかにはシャーベットブルーの梅を咲かせる枝が握られている。本当は明日の放課後にでも、たまたま拾ったとか友人にもらったとかごまかして持っていこうと考えていたのだが、帰り道にちらとのぞいたかなどめ堂の明かりを見たとたん足は勝手に誘われていた。
(こんな時間まで学校に残ったって知られたら、怒られちゃうよね……)
頬杖をついて机にうつむく京は本に夢中になっているようだった。
いまからでも、気づかれる前に引きかえそうと戸を閉めようとしたとき、声がかかる。
「で、今度はなにに遭ったんですか」
たった数日で、それは京の口癖のようになってしまっていた。本にうつむいたまま、切れ長の目だけがじとりと幸子を睨み上げた。
閉じかけた戸を、そのまま閉まるわけにはいかなくなる。いたずらを謝りにいく子供のように足をひきずりながら、幸子は本棚の林を抜けて重たい身体を京の前まで運んだ。
歩くあいだなにかうまくとりつくろえないものかぐるぐると悩ませた頭は、間近で京に射抜かれると真っ白になる。すべて正直に話してしまうほかないような気がして、彼女はかなどめ堂に持ちこむためのいわくつきの品を探そうとしたところから順に説明をした。
ばつの悪さとついさきほど学校で体験した出来事の衝撃で、ところどころ舌がもつれて話も何巡か同じところをいったりきたりしていたが、彼はただ黙って耳を傾けていた。
梅となった鶯の話が終わったところでようやく京は口を開いて、まずため息をついた。
「……反省があるならば、あえて言うことはありませんが……それとも、叱られたいですか?」
「ええと……」幸子はぽっと頬をそめてくちごもった。「そ、そしたら、反省はしてますけどいちおう、し、叱られておきます……」
カウンターごしに伸ばされた京の指が招く。なにも考えず顔を寄せた幸子の前髪を、撫でるようにそっと割りひらく。
そうしてあらわになった丸いひたいを、しなった人差し指が思いきり弾いた。
「痛いっ‼︎」
思わずひたいをおさえて座りこんだところに、追い討ちのように説教が降りそそぐ。
「うちは警備員を置いていないんです。不審者が入りこむかもしれない。下校時間には必ず帰りなさい。それと、ただでさえ穢れを溜めやすい体質なのにみずから穢れを蓄えにいってどうするんですか。案の定そうして、つい昨日清めたとは思えない穢れを持ち帰って。そもそもいわくつきの品などないに越したことはないのに、その梅の枝、回収しますよ」
山谷から贈られたものをそうして手渡すことにためらいはあったが、しかたなく彼女は握りこんでいた梅の枝を差し出した。
「お、お代は」
「いいです。高校生から一万も取れません」
「い、いちまん!」
「ええ。……おまえ、いくらの引き取りかもわからないのにわざわざこんなもの探したんですか。馬鹿ですか?」
冷ややかな言葉に容赦はない。
「す、すごくたくさん怒る……」
「叱られたいと言ったのはおまえでしょう」
うむむ、と少女のくちびるは尖った。
「ごめんなさい……ごめんなさいですけど、かなどめさんは、どうしてわたしがいわくつきのもの探してたか知らないです。わたし、」
「俺と話したかったんでしょう」
勇気をふりしぼった反論は、当たり前のようにその先を言い当てられて止められる。開いたままの口からなんの言葉も出なくなって、いよいよ顔を覆うほかなくなった。
「それにしても
受け取った梅の枝をしげしげと眺める彼はすっかりそちらに意識を奪われているようで、レジスターのすぐ真下でつむじまで赤くなって震えている彼女になど目も向けない。
「昔、俺が通ってたころ」
「え! かなどめさん四校だったんですか!」
恋する乙女は羞恥からの復活も早かった。
「ええ。そのころ、たしかに梅の木があったんですよ。桜に埋もれるように一本だけ。……おそらく学校が建てられる以前からあったものだと思うのですが、あとから植えられた桜の木のなかでどうしても目立ってしまうからと、植え替える話が出ていて……」
学校に梅の木があったことなど幸子は初耳だった。入学してからこれまで見たこともない。
「俺が卒業するまでは結局そのままだったんですけど、今日ふと思い立って探したみたらどこにも見あたらず。きっと、桜に植え替えられてしまったのでしょうね」
「……じゃあ、鶯さんが泣いていたのって、大好きだった梅の木がなくなっちゃったから?」
それには答えず、京はふと小首を傾げた。
「『鶯宿梅』の宿題、解けていませんね」
「え、えへへ……」
「今夜はもう遅いですから、また明日の放課後来なさい。教科書とノートを忘れずに」
さらりと告げられて、一瞬それがどういう意味かわからなかった。ちょっとして、いつの間にか自分に都合のいい妄想をしていたのじゃないかと怪しんだ。それからさらに経ったあとでようやく、彼女の瞳が輝きだす。
(それって! それってそれってつまり、かなどめさんからのお誘いってこと……!)
浮かれる幸子をしりめに椅子を立った京は、そのまま出口に向かおうとした。
彼女はそこで重要なことを聞き忘れていたことに気がついて、戸が開かれる前にあわててたもとを引きとめる。
「ま、待ってください! あの、これ、かなどめさんがくれた折り紙、送り狼さんが」
スカートのポケットからピンク色の狼を取り出せば、彼は「ああ」と視線を逸らした。
「……はじめ、あれに喰わせようとも思ったのですが。どうしてもおまえのそばにいたいようなので。……もちろん使役できるようなものではありません。それを
言葉は最後まで続かなかった。
感極まった幸子が、堪えきれず京に抱きついたのだ。このひとが好きで好きでたまらないと、叫びだしたいようなどうしようもない感情が心臓のあたりから際限なくわきでる。
どうやら我を忘れているらしい少女を無理やりひきはがすこともできず、京はどうしたものかとただ眺めるしかなかった。そうしているうちに頬ずりまではじまったので、ひとまず戸の内鍵をかけながら、クレームをひっさげた里見などがやってこないことを祈った。
『シャーベットブルーの花』完
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