第9話 贈りもの

 今朝のホームルームでも転校生の紹介はなかった。


 お昼休みになって机を合わせた幸子と美世のところに、近くから椅子を拝借した早乙女が加わる。去年と変わらない顔ぶれでそれぞれのお弁当箱を囲みながら、ふと思い出したのはいまだ制服が届かないらしい白い少年のことだった。


(山谷くん、いまも保健室にいるのかな)


 いまからでも友人二人をつれて保健室まで会いにいってみようか、それとも本人が教室を避けているあいだはそっとしておくべきか、赤いたこさんウィンナーをもぐつきながら幸子は悩ましげにくちびるを尖らせる。


「のんびりしていると散ってしまうかもしれないからな。青き桜の悪魔について、さっそく今日の放課後にでも調査をしようと思う」


 食事の前と後にそれぞれ十字を切って祈る早乙女の姿がもの珍しかったのは、彼が転校してきてから数日のあいだだけだった。神に捧げる祈りの言葉にも、悪魔だなんだという発言にもいまさらふり向くクラスメイトはいない。


「はあ? なにそれあたし知んないけど」

「君は昨日さっさと帰ってしまったからな。俺とゆっこの尊い友情の応酬があって、なんやかんやそういうことになったんだ。もちろんおいそれと他者を巻きこむものではないが如月も俺たちのかけがえのない友だからな」

「なんか腹立つな」


 いーよ、あたしは。と美世はあしらう。

 これがほかの男ならば大事な幼なじみと放課後に二人きりなど論外であったが、早乙女であればなんら不安に思うことはなかった。


「ゆっこはあいてるか?」

「うん、あれだよね、〝ヤバいもん〟取りにいくって話だったよね。だいじょーぶ、行ける」


 ちらとよぎったのは、『鶯宿梅』について分からないところをまとめたノートだった。けれど次の古典は来週で、今日を逃したところでまたいつでも聞きに行くことはできる。


(かなどめさんに会う理由を増やすために、今日のかなどめさんはがまん……)


 おかずの少なくなったお弁当箱のなか、好物のたまご焼きを避けて幸子はからあげに箸を伸ばす。右の頬につめながら、ふと窓の外を見やった。


 校庭のふちに連なる桜の木のそばに人影があった。向けられているのはグレーの背中であったが幸子はすぐにそれが京のものであると見抜いた。恋の慧眼だ。木々をなぞるように歩いていくさまは、気ままに散歩をしているというよりもなにか探しものをしているように見受けられた。


 ろくに噛みくだかないままからあげを飲みこんで、たまご焼きも放課後の段取りを話す早乙女もすっかり意識の外に追いやってじっと見つめる。箸を持つのとは反対の手が机のなかを探ろうとした。彼の姿を撮りたくて、いまは壊れて持っていない携帯を無意識に探ろうとしたのだ。


 しめった硬いなにかに触れた。思わぬ感触におどろいて我にかえる。指先で転がせる細さは木の枝に似ていて、おそるおそる引き抜いてみるとはたしてそれは梅の枝であった。


「えっ、なにそれゆっこ」


 急に机から梅の枝を取り出した幼なじみに、美世がぎょっとして言う。幸子はちょうど手のひらと同じほどの長さをした枝を目の前にかかげて首を傾げた。真っ白な梅の花がつぼみを割って咲いていた。触れてみるとみずみずしく、造花の類ではなさそうだ。


「わかんない。なんだろ、移動教室でここ使った子の忘れものかな」

「いや、今日はまだだっただろ。さっきまで科学実験室だったし、そのあいだに誰かこっそり忍びこんで入れたんじゃないか?」

「えっ! それっていたずらってこと?」

「さあ、悪魔のしわざという可能性もある。なにかほかに入ってたりしないのか」


 いたずらかもしれないと考えると無防備に手で探るのは怖いような気がして、幸子は直接机のなかをのぞいてみることにした。椅子をおりて床にしゃがみこみ、そっとうかがう。


 筆箱と、雑多にプリントをまとめるファイル。その上になにやらルーズリーフの紙片のようなものが入れられていると気づく。


 考えてみても身に覚えはなかった。おそるおそる取り出したあとで、机の上に置いてみる。


『きのうは話し相手になってくれてありがとう。お礼に梅を。きみに似合うかと思って』


 癖のない字はそれだけ書いて、記名はなかった。だが文章を読んだ幸子には、柔和にほほえむ白い少年の姿がすぐに浮かんだ。


(山谷くん、教室に来てたんだ……!)


「んー? どういうこと、ラブレター?」

「ちがうちがう、これ転校生の子からだ。きのう、ちょっとお話ししたの」

「転校生? 後輩か?」

「ううん。わたしたちとおなじ三年生だよ。ちょっとわけあってまだ教室には来られてないんだ」


 いたずらじゃなかったと胸を撫でおろす幸子のもとから、美世が梅の枝をつまむ。


「なぁんだ、どっかのキザヤロウがゆっこに一目惚れでもしたのかと思ったけど」


 ネイルの先でぐりぐりと回されるそれを、横合いから早乙女が引き抜いた。


「いや待て、なにかよくない感じがするぞ。悪魔の気配を感じる。そもそも、いまの時期に梅なんておかしくないか?」

「そうなの? でもどこかにまだ咲いてる梅があったんじゃないかな」


 早乙女から枝を取って、幸子はそれを大切にカバンのなかにしまった。たとえ好きなひとからでなくても、誰かから花を贈られるというのはそれだけで嬉しいものだと思った。


(あ、かなどめさんいなくなってる)


 ふと思い出して見やった桜のそばはもう誰の姿も見えなかった。


「……ちょくなればいともかしこし」


 宿題にされた和歌の意味をどうしても読み解くことができず、何度もくり返しているうち歌は自然と彼女の舌にはりついていた。


うぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」


 お弁当を食べおえたら急いで彼のもとまで駆ようと考えていた足が、つまらなそうに椅子の下で揺れる。

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