第3話 〝ヤバいもん〟

 登下校の時間帯だけ、商店街の表通りは白希第四高校の生徒たちで賑わう。けれど相変わらずどこもシャッターは閉じられていて、肉屋『とろとろ』のコロッケ以外に彼らの足を引きとめる誘惑はない。


 幸子が日常で見かける行列はせいぜいコロッケを待つ二、三人程度なので、たまにテレビで都会のようすを見ると本当に同じ国だろうかと思う。


(あ、でもバス停だったらうちも負けてないか)


 商店街を抜けた先の広場に、大人が五人はかけられそうな青いベンチが二つ、それから商店街の有志が持ち寄ったパイプ椅子が三つ。そのすべてが今日もみっちりと埋められてあった。駅にあるスーパーで買い出しをするために、車を運転できない人たちは山道を二時間近くかけて徒歩でのぼるか、バスを使うほかない。


 木なんかぜんぶ切り倒しちゃえばいいのに、とはいつだったかバスを待ちきれず一緒に山道をのぼった際の美世の言葉だ。つづら折りに何度もカーブを描く急坂をぜえぜえと行きながら、細道のわきを埋める青々とした木立を親の仇のように睨みつけていた。言われて幸子も、せめてもう少し道が広く、平坦であったならと思った。


 なぜそうしないのか。


 あるいは、なぜそうできないのか。


(よく聞くよね。山を切り崩そうとして祟りに、みたいな)


「この土地は、どこもかしこも悪しきものに呪われている……」


 『祟りじゃ祟りじゃ!』と渦をぐるぐる荒ぶらせる鬼門を想像しながら坂を下る幸子のとなりでは、ロザリオを握りしめる早乙女が髪を揺らして力説していた。


「恐ろしい事実かもしれないが、この町は人間よりも悪魔のほうがずっと多い」

「やっくん……みーちゃんが言ってた〝ヤバいもん〟の引き取りって、たぶんやっくんが食べてるんだよね。かなどめ堂のことは知ってたけど、そんなお仕事してるのは知らなかった」

「実は俺は、この町に巣食う悪魔を退治するため引っ越してきたんだ。……ああ、もちろん危険なミッションなことはわかってる」

「なにか、うちにいわく付きの物ってないかな。そしたら後ろめたくなくかなどめさんに会いに行けるし、本を買うより長くお話できそう……またお家に上がれるかも」

「ふっ……心配しなくても俺は凄腕のエクソシストだからな。それに、すでにめぼしい情報をいくつも手にしている。悪魔を退治して、すぐにでもこの町に平和をもたらそう」


 お互いにまったく相手の話を聞かないまま、そのくせなぜだか和気あいあいとしたようすの彼らに呆れて、美世はさっさと一人で帰ってしまっていた。


「うーん……なにか」


 怪しげな壺も髪の伸びる人形も幸子の家にはない。しいて言えばいちばんのいわく付きは自分自身かもしれないと思いつつ、それもつい昨日かなどめ堂で清められたばかりだ。ならば、と彼女はそこでようやく早乙女をふり向いた。


「早乙女くん、なにか〝ヤバいもん〟ない?」


 早乙女は長い前髪の下で目を見ひらいた。あんぐり開かれた口はわなわなと震え、紙のように白かった頬は瞬く間に歓喜に色づいていく。


「……なんてことだ、悪魔退治の協力を申し出てくれるなんて! ゆっこ、かけがえのない友よ! 危ない目にあわせたくはないが、断れば友情を裏切ることになる」


 だが、と彼はきっぱり首を横にふった。


「はじめから〝ヤバいもん〟に挑むのは危険すぎる。なにがあっても守ると言ってやりたいところだけど、残念ながら俺にはまだそこまでの力はない」

「早乙女くん……」

「だからまずは、そこまでヤバくないもので、少しずつ慣れていってほしい。俺も力をつける訓練になる。ちょうど、気になっていた噂があってな」

「わかった……聞かせて」


 悪魔退治ってなんだろうかと内心で首を傾げながらも幸子は話をうながす。とりあえず早乙女の持っているいわく付きの品は、悪魔に関わる物なのだろうと思った。


 早乙女は真剣なまなざしを空と海のあわいに向けた。


「これは春休み、商店街でうちの学校の奴らが話しているのを、たまたま聞いたものなんだが……」


 おそらく彼はそのとき白希第四高校の一年生、新学期がはじまったいまは二年生で、もし学校に部活動があれば間違いなく運動部に所属していそうな活発な印象の少年だったという。実際、彼は夕食のあと坂道をランニングするのが日課だったらしい。


 春休みも欠かさずランニングを続けていた彼は、それまで自宅からバス停の広場までの往復だったのが、その日は興がのって、商店街を抜けて学校のほうまで走った。敷地を囲う桜の木に沿って、ぐるりと一周してから帰ろうと考えた。


 とうに陽は沈んでいてあたりは暗い。彼は明かりを持たずに走っていたので、桜も道も等しく墨に塗りつぶされたようだった。そんななか、ふと、彼の瞳に色が光る。


「——青。それも、ごく淡い、彼に言わせれば『ミントシャーベットのような』炎がひときわ明るく燃えていたらしい。炎のなかには一本の桜の木があって、花びらや幹を焦がすでもなく、ただ静かに冷たい色のほむらをまとわせていたと」

「え、なんかきれいだね」


 幸子は、美世が持っていたシャーベットブルーのバッグを思い出していた。同じ色の炎が、焼くでもなく桜の木にまとわりついているのだとしたら、なかなか幻想的な光景のような気がした。もちろん、実際に目の当たりにした少年の衝撃もわかる。鬼の道で見たマーブル模様の空は、いろいろな意味で一生忘れられそうになかった。


「ちょうど、近いうちにようすを見に行こうと思っていたところだ。よかったらゆっこも一緒に来ないか? 俺の勘が正しければ、きっとなにかしら見つかるはず」

「見つかったら、かなどめさんのところ持っていけるかな」

「ああ、こういう経験はいずれはカナドメに立ち向かう際の糧となる」


 やはり会話は微妙に噛み合っていなかったが、二人は満足そうにうなずいた。


「おっと」


 話に夢中でいた幸子は、前から歩いてきた少年に肩をぶつける。


「あわっ、ごめんなさい!」

「いや、ぼくも不注意でごめんね」


 少年は人のよさそうな細められた目に眉を落としながら、ぱっと両手を合わせて言った。短い髪がさわやかで、着ている真っ白なシャツとズボンとあいまって、全身真っ黒の早乙女と比較すると光と影のようである。


(この町にあんな子いたかなぁ)


 去っていく背中をまじまじ見送ってしまったが、またすぐに幸子の頭は京のことで埋められた。

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